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<東京怪談ノベル(シングル)>


水嶋琴美、失業の危機


 空挺団所属の陸曹で、いろいろと荒っぽい噂の絶えない男である。
 筋骨隆々たるその巨体が、ごろりと転倒した。
「うおおっ……なな何だ、何が起こりやがった」
 立ち上がれぬまま、陸曹が恐慌に陥っている。
 見物をしていた自衛官たちが、囃し立てた。
「おいおい、何やってんだよぉ」
「わざと負けてやったって、琴美お嬢様はモノに出来ねえぜ?」
「ちっ違う、わざとじゃねえ! 何だかわかんねえうちに、負けちまった」
 筋肉の塊、としか表現しようのない右腕を、痛そうでもなくさすりながら、陸曹は慌てふためいている。
 この腕で彼は、約16キロの対戦車砲を軽々と担ぎ運ぶ。
 そんな剛腕が今、水嶋琴美の細腕に敗れ去った。戯れの腕相撲で、瞬殺された。
 一瞬の勝負だから、勝てたのだ。
「純粋な腕力なら、貴方を10とするなら私はせいぜい3。勝負にもなりませんわ」
 琴美は説明をした。
「3の腕力を押し倒すには、全く力の入っていない0の状態から、最低でも4まで、力を高めなければいけませんわよね。貴方の腕力が0から4に達する途中、1か2の時に、私は一気に3の力を振り絞った。0から3までの上昇速度は、私の方が上……というだけの事ですわ」
 説明をしながら手を差し伸べ、陸曹の巨体を引き起こしてやる。
「そのような小細工でも使わなければ……殿方を相手に戦う事など、出来ませんもの」
「……その小細工の積み重ねで、どえらい実績を作ってきやがったんだろう。大した嬢ちゃんだぜ、まったく」
 起こしてやる必要もなく、陸曹は自力で立ち上がった。荒っぽいが、敗北は素直に認める男である。
「小細工も、そこまで行きゃあ立派な技術だ。もったいねえよなあ……お前さん、刃物しか使わねえんだろう? 銃の扱いを覚えりゃあ、とんでもねえ戦力になれるぜ」
「……銃器類も、全く使えないわけではありませんのよ?」
 自衛官として、一通りの訓練は受けている。
(まあ、私が銃に頼らなければならないほどのお相手も……いらっしゃいませんし、ね)
「それにしても、あんた本当に大したもんだよ。俺たちの誰よりも、実戦ってものを経験している」
 自衛官の1人が言った。
「こんな事、言っちゃいけないんだろうが……羨ましくは、あるな」
「貴方たちが実戦を経験する……それは、あってはならない事態ではなくて?」
「そりゃそうだ」
 陸曹が笑った。
「俺たちゃアレだ。税金泥棒呼ばわりされてんのが、一番いいんだよなあ」
「しかしな、そろそろ実戦のノウハウが必要なんじゃないかって気はする。この先、何も起こらないとは限らないしな」
 日本は無論、直接的には他国と交戦しない。自衛隊だけが、実戦を経験する。
 不可能ではない。
 今の日本は、それが可能な状態となりつつある、と言えなくはないのだ。


「それは、私の口からどうこう言える問題ではないが……」
 特務統合機動課の、司令室。
 司令官が、いくらかは言葉を選んでいる。
「陸海空の自衛隊は無論、動かせない。代わりに特務統合機動課が極秘で海外へ派遣される……という事態は、可能性は低いにせよ、あり得ないものではないな」
「私たちなら、9条を書き変えていただく必要もなく動けますものね」
 言いつつ琴美は、ちらりと視線を動かした。
 司令室の壁に、ポスターが貼ってある。
「司令……これは?」
「我々にとって、一応の戒めにはなると思ってな」
 とある野党のポスターである。少し前に、いくらか話題になった。
 琴美は、読み上げてみた。
「あの日から、パパは帰って来なかった……季語がありませんわね」
「……不謹慎な事を言うな。これは俳句でも川柳でもないぞ」
「この子のお父様は、風俗嬢と駆け落ちでもしてしまわれたのでしょうか?」
「こら、いい加減にしなさい」
「この子に、きちんとギャラが支払われているのかどうか。それが気になるところですわね」 
 1円も支払われていないのだとしたら、この政党に綺麗事を言う資格はない、と琴美は思う。
「まあ私は、御命令さえいただければ中東にでもアフリカにでも参りますわよ。あの日から帰って来なかった、などと悲しんで下さる方もおりませんし」
 現地のテロリストや武装集団の凶悪さは、毎日のようにニュースとして伝わって来る。
 それらニュースはしかし大半が、欧米人によって編集されたものだ。
 現地に赴いてみなければ明らかにならない事が、いくらでもあるに決まっている。
「わざわざそんな所まで行かずとも、君の相手は日本国内にいくらでもいる……内偵を進めていた近衛警護局から、報告が上がって来た。例の、豪邸の件だ」
 軍事関係の秘密研究施設が、敷地内に併設されている。
 そんな疑いが持たれている、とある企業経営者の邸宅である。
「液体金属を応用した、自律機動兵器……であるらしい。そんなものを自宅の敷地内で研究・開発している企業経営者がいる。恐らくその企業だけでなく、日本政府の意向が働いているはずだ」
「自衛隊ではなく自律兵器を海外派遣して……国際貢献、と。そういう事ですわね」
「もちろん表向きには兵器ではなく、まあ何か機械の部品として輸出する。その部品が、輸出先でどのように使われるか。日本国憲法で、それを規制する事は不可能だからな」
「集団的自衛権など必要なく、国際的な平和貢献が出来る。世界的に大きな顔が出来る。自衛隊から戦死者が出る事もない。良い事ずくめ、ですわね」
 琴美は微笑んだ。
 その笑顔が微かに痙攣するのを、琴美は止められなかった。
「良い事ずくめ、ですのに……何でしょう、気分が悪くなって参りましたわ」
「その思いを、大いにぶつけてくると良い。君に、殲滅任務を与えよう」
 司令官は言った。
「この邸宅に潜入し、秘密研究施設を潰してもらう。研究・開発されている自律兵器が、もし稼動可能な状態であれば……これと、戦わなければならなくなるだろうが」
「施設もろとも、この世から消し去って御覧に入れますわ」
 琴美は、敬礼をした。
「そんなものが実用化されてしまえば……私たち自衛官は、お払い箱。ですものね」