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<東京怪談ノベル(シングル)>


強かな彼女は二文字を知らない(5)
 ざあざあと降り始めた雨が地面を叩く音は、研究所の中の喧騒に紛れてしまう。
 未だかつて何人の侵入も許した事はなかった秘密研究所に、侵入者が入ったのはつい数分程前の事だ。一人の研究員が様子を見に行った頃には、すでに外にいた警備の者達は全員倒れ伏していた。

 ◆

 鳴り響く警報の中、プリーツスカートから覗く美しくしなやかな足を動かしながら、廊下を疾駆する影がある。
 長い黒髪がまるで彼女の軌跡を追うように優雅に揺れる。見る者を狂わせるような色香を孕んだ黒い瞳は、辺りの様子を注意深く伺っていた。
 水嶋・琴美。彼女こそこの喧騒の原因である侵入者であり、今宵の戦場という名の舞台の主演だ。
 不意に、人の気配を察し彼女は足を止める。廊下の向こうの闇の中に、研究員が二人ばかりいて何やら話し込んでいた。
「何故侵入者が……!」「警備は何を……!」侵入者が入ったという情報を聞き、慌てふためいている彼らの背後へと女は音もなく忍び寄る。
「がっ……!?」
 一人の研究員が、琴美の拳を受け唸った。目にもとまらぬ速さで研究員の一人を倒した琴美は、次の男へと狙いを定める。
 男は一瞬琴美の美しさに呆けそうになったものの、首を横へと振り邪念を追い払うと、負けじと彼女を睨み据え武器を構えた。振り上げられる刃物。研究員でありながらも、戦闘の訓練もしてきたのだろう。その動きは無駄がなく、鮮やかだ。
 しかし、琴美の鮮やかさは軽々と相手を上回る。華麗に彼女は身を翻し、研究員の攻撃を避けた。そしてそのまま体勢を崩した研究員の腹へと、見事な蹴りをお見舞いしてみせる。
 うめき声をあげ、男がよろめいた。その隙を琴美が逃すはずもない。再び、彼女の攻撃が男へと繰り出される。
「く、くそ……! 貴様ら、やってしまえ!」
 倒れた男は最後の力を振り絞り、息も絶え絶えに叫ぶ。
 その言葉を合図に、近くの部屋から影が飛び出してきた。影は迷う事なく琴美に向かい武器を振るう。琴美は突然の乱入者に驚く事もなく、努めて冷静に相手の攻撃を見切ってみせた。相手の武器と琴美のナイフが交差する、甲高い音が廊下へと響く。
 琴美は一度後ろへと跳び、相手と距離をとった。そして、影の姿を改めて見やる。
 個性のないシンプルな衣装を身にまとった男。その瞳は淀み、何も映してはいない。……件の、強化人間だ。無論、敵は一人ではない。次々に似たような出で立ちの者が現れ、琴美の事を取り囲んだ。
 彼らは銃を構え、一斉に琴美を狙い撃つ。発砲音が重なり、耳障りな音色を奏でる。
 琴美は動じる事もなく、冷静に自身の周囲に重力フィールドを展開。彼女は瞬時に四方に重力弾を放ち、襲いかかってきていた銃弾を全て叩き落とした。
 次いで、琴美は瞬時に前方へと駆ける。走る勢いのまま、強化人間へと拳を叩き込む。抉るように叩きこまれたそれに、声なき悲鳴をあげ一人の強化人間が倒れ伏した。
 近くにいた別の者が、銃を捨て琴美へと殴りかかる。近接武器に持ち替える暇はないと踏んだのだろう。意志はないが、戦闘に置いての判断能力は高いようだ。
 けれど、どれだけ判断能力が高くとも、その拳は琴美へは届かない。彼女は、ナイフで攻撃を軽々と受け止めてみせた。
 そして、ある事に気付き、琴美は瞳を僅かに細める。
(……! 以前戦った相手よりも、力強いですわね)
 この短期間の間に、研究は更に進んだらしい。先日戦った時よりも、強化人間達の能力が上がっていた。
 しかし、まだ完全なる完成には至っていないのだろう。限界を越えすぎた力に、彼らの肉体はついていききれてはいないようだ。
 改造人間の体の一部が、負荷に耐え切れずに崩れ落ちる。それでもなお彼奴は、攻撃の手をゆるめようとはしない。自身の体が傷つく事も厭わずに、彼らは琴美へと拳を振るおうとする。
 琴美は、くるりと踊るように体をひねった。回転の力を味方につけ、男の攻撃を弾く。よろめいた相手に息をつく間も与えずに、追撃。男の体に、ロングブーツの爪先が勢いよく叩き込まれた。
 琴美の周囲には依然として、強化人間達が取り囲んでいる。群衆と呼んでも差支えのない人数だ。
 うごめく瞳にはやはり、生気はない。哀れな改造人間達は、今宵もまた侵入者を倒すために動くだけの傀儡を演じる。
「全く、きりがありませんわね」
 雨はまだやまない。今宵の任務は、少しだけ長引きそうだ。
 しかし、琴美の瞳に焦燥や不安はなかった。無論、敗北を怖れる様子もない。
 周囲を敵に囲まれながらも、女は凛々しく堂々としていた。
「焦らなくてもよろしいですわよ。全員必ず、この私が相手してさしあげますわ」
 何せ、今日の任務はせん滅なのだ。一人も残す事は許されない。
 故に彼女は舞い踊る。雨音の響く戦場で、女が浮かべた表情はやはりぞっとする程に美しい笑みであった。