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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦うメイド、9条を守る(完結編)


 まるで鬼であった。
 角やら牙やらを生やした怪物の頭部、筋骨たくましい人型の肉体。
 液体金属が、そんな形に固まりながら琴美に迫り、カギ爪のある豪腕を振り上げる。
 振り下ろされる前に、琴美はユラリと踏み込んでいた。
 踏み込んだ両足が、体重を感じさせないステップを踏む。
 花弁のようなスカートが翻り、しなやかなボディラインが柔らかく捻転する。フリル付きのエプロンを豊麗に膨らませた胸が、横殴りに揺れる。豊かな黒髪が、ふんわりと弧を描く。
 それと共に、刃の閃光が奔った。一閃、もう一閃。
 純白のサテンロンググローブに包まれた左右の繊手が、それぞれ1本ずつ大型のクナイを握り、縦横に振るっていた。
 鬼の巨体が、滑らかに切り刻まれながら液体金属に戻り、床にぶちまけられる。
「他愛ない……こんなものを輸出したところで、日本の恥さらしにしかなりませんわ」
 弱々しく蠢く液体金属の溜まりに、冷ややかな一瞥を投げながら、琴美は歩き出した。
 主任研究員が、研究施設の奥へ奥へと逃げて行く。
「否……そう決めつけたものでも、ありませんわね」
 ゆっくりと歩いて追いながら、琴美は己の言葉を訂正した。
 流動体合金を人型に凝固させ、曲がりなりにも自律行動を取らせる。そこまでは成功しているのだ。武器の扱いを学習させる事が出来れば、即席の兵士にもなり得るだろう。
 しかも殺せば死んでしまう人間の肉体ではなく、再利用可能な液体金属である。今はこうして1度のダメージで容易く戦闘状態が解除されてしまう段階だが、改良を重ねれば、無限に再構成が可能な不死身の怪物と化す。
「その技術……憲法違反でしてよ」
 琴美は立ち止まった。
 まるで雨漏りであった。天井から、水が滴り落ちている。
 いや、水ではない。今のものと同じ、液体金属だ。
 大量に滴り落ちた流動体合金が、通路で蠢きながら、盛り上がってゆく。そして何体もの人型を成す。
 今度は鬼ではない。西洋甲冑であった。
 人間を内包しているわけではない鎧が10体近く、通路のあちこちで剣を抜き、斬り掛かって来る。
 機械そのものの正確無比な斬撃が、様々な方向から琴美を襲う。
「憲法違反には、厳正に対処させていただきますわね」
 生命なき鎧剣士たちに微笑みかけながら、琴美は軽やかに通路を蹴った。
「私、こんな格好しておりますけれど……公務員ですから」
 ワンピースの黒色とエプロンの純白。清楚な色合いを成すメイド姿が、通路内に増殖した。
 残像だった。
 何体もの鎧剣士と、何人もの水嶋琴美が、通路のあちこちで1対1の戦いを繰り広げている。傍目には、そう見えるだろう。
 鎧剣士たちが、琴美の残像を叩き斬りながら縦に、横に、斜めに、真っ二つになってゆく。
 彼らが残像を相手にしている、その間に、残像ではない2本のクナイが、液体金属製の甲冑を全て両断していた。
 全ての残像が消え失せ、全ての鎧剣士が滑らかな断面を晒して崩れ落ち、ドロドロと流動体合金に戻ってゆく。
 その戦果を確認もせず、琴美は歩を進めた。
 もはや急いで追う必要もない。
 通路の行き止まりは部屋状の空間になっており、主任研究員はそこで琴美を待ち受けていた。
「お覚悟、決めていただけましたの?」
 琴美は、まずは会話を試みた。
「それなら楽に死なせて差し上げられるのですけれど……見たところ、悪あがきをなさる気満々ですわねえ」
「覚悟を決めるのは貴様の方だ。我が国の憂えるべき現状を全く理解しておらぬ愚か者が!」
 主任が、手元の端末で何らかの操作を行いながら、世迷い言を吐いている。
「実戦を知らぬ自衛隊などに、国の守りを委ねてはおけん! 我ら日本人はな、新たなる力を持たねばならんのだ!」
「その新たなる力というのが?」
「これよ!」
 床から、ドロリと重そうな液体が大量に噴出し、主任の全身を包み込む。
 彼の研究成果であろう、流動体合金。
 先程は生きた中身を持たぬ鎧を成していたそれが、今、生きた人間を内包した怪物と化しつつある。
「独立した兵器としては未完成……実戦で力を発揮するには、生きた人間が中核とならねばならん」
 蠢く液体金属に包まれながら、主任は語った。
「だがな、研究が進みさえすれば! 生きた人間を必要としない、不死身の自律兵器をいくらでも量産する事が出来るのだぞ! アフリカや中東のテロリストどもを容易く皆殺しに出来る! 日本の力でだ! 我が国が、軍事的にも世界の頂点に立つ! 大陸や半島の者どもを黙らせる事も出来るのだぞ! それがわからんのか非国民がぁあああああああ!」
 叫びながら主任は、金属の怪物と化していた。
 その細く貧弱な身体に、鎧、と言うより新たな筋肉と皮膚をまとっている。
 流動体合金で組成された、たくましい筋肉と強固な外皮。
 その全身で液体金属が波打ち、細長く隆起しながら伸び、何本もの触手を成す。
「私が! 私の研究が、日本を守るのだ! 実戦を忘れ単なるレスキュー組織と成り下がった自衛隊ではなく、この私がなぁああああああああ!」
「……そう実戦実戦と口走るものではなくてよ? 戦闘訓練を受けた事もない、貴方のような方が」
 琴美は言った。忠告、のつもりではある。
「実戦をご存じない方ほど、お勇ましくて好戦的……この国の、良くない所の1つですわね」
「黙れ偽善者が! エセ平和主義者が! 左翼が! 売国奴が! 時代遅れの9条信奉者が!」
 主任の絶叫に合わせ、液体金属製の触手たちが一斉に伸びた。毒蛇の動きで、様々な角度から琴美を襲う。
「それは無論いけませんわよ。9条は、何があっても守らなければ」
 会話をしつつ、琴美はステップを踏んだ。
 花びらのようなスカートが、エプロンと共にひらひらと舞い、むっちりと膨らみ締まった左右の太股が軽やかに躍動する。
 そこを狙って伸び群がって来た触手の群れを、琴美は両手のクナイで打ち払った。
「1度でも書き変えたら、それはもう憲法ではなくなってしまいますもの……政治的な建て前というものは、守り通さなければいけませんのよ?」
 火花が散った。
 液体金属製の触手はしかし切断されず、いくらか痛そうに揺らぎながらも、すぐさま別方向から襲いかかって来る。
 それらをクナイで叩き防ぎ、受け流しながら琴美は、
「馬鹿正直に条文を書き変えたりせずとも……何らかの戦力を海外派遣するための理屈など、ひねり出そうと思えばいくらでも作れますわ」
 思いきり、身を翻した。
 黒のワンピースと白のエプロンで清楚に彩られたボディラインが、竜巻のように捻れた。そこに艶やかな黒髪がまとわりつく。
「に、しても!」
 美しく力強く引き締まった左脚が、まっすぐに伸びた。
 槍を突き込むかのような、後ろ蹴りだった。
 ガーターベルトとニーソックス、そして革のロングブーツで攻撃的に引き立てられた脚線が、そのまま鋭利な槍と化し、怪物の左胸に突き刺さる。
 液体金属製の分厚い胸板に、琴美の足型が刻印された。
 それだけだ。怪物の巨体は、微動だにしない。足型の凹みは、すぐに元に戻ってしまった。
 流動体合金で出来た隆々たる筋肉も、強固な外皮も、全くの無傷である。女の、と言うよりも人間の蹴りで、破壊出来るものではない。
 だが、怪物の中身の肉体は。
「貴方を海外派遣するくらいであれば、私が参りますわ。地球上、いかなる国においても、どのような汚れ仕事であっても……私が、この手で」
 微動だにしない怪物に、琴美は語りかけた。返事はない。
 心臓を、蹴り潰した感触。
 それを、しっかりと踏み締める感じに、琴美は左足を着地させた。
 液体金属製の怪物の中で、主任研究員は絶命している。
 琴美の蹴りでは、怪物の強固な胸板の内側に、衝撃を僅かにしか伝える事が出来なかった。
 その僅かな衝撃に、研究員の脆弱な肉体は耐えられなかった。
 ろくに鍛えてもいない人体など、防御がどれほど強力であろうと、こんなものである。
 先程まで彼が手にしていた端末に、琴美はUSBメモリを差し込んだ。
「不死身の自律兵器……と呼べるほどのものに成り得るかどうかはともかく、なかなかの研究を遺して下さいましたわね。憲法違反の技術、私たちが遵法的に活かして差し上げますわ」
 屍を内包する金属の怪物に、琴美は微笑みかけた。
「ふふっ。このような研究力と技術があるだけ、貴方はまし……お便所の落書きしか出来ない方々よりは遥かに、ね」