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<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚の心は魔物に堕ちる

1.
 静かな森。穏やかな風が木々の梢を揺らす。
「お嬢様、手配のものが参りました」
「御苦労様。そうね、1階の奥に運ぶように指示して頂戴。終わった後は、そいつらの記憶は全消去しておいて」
「承知致しました」
 メイドとのやり取りに、館の主である少女はにこやかに笑う。
 つい先日購入した人魚の石像。メイドに手配させ、少女は微笑み、満ち足りた気分でゆっくりとその歩を進めて石像の元へと。
 部屋の前に来るなり、すでに異臭が鼻を刺激する。扉を開け放つと奥からはさらに強い臭気がする。
「ようこそですわ」
 少女は臆することなく、人魚の石像の前に立つ。
 苔むし、この世のすべての穢れを擦り付けられたかのように汚い石像。その顔は苦痛に歪み今にも叫びだしそうな迫力さえある。
「イアル・ミラール‥‥という名前だったかしら?」
 フラフラとこの石像を運んできた男たちが部屋から出ていった。彼らはメイドによってここに運んできたこと全てを忘れていた。
「お嬢様‥‥やはり、このようなお戯れは‥‥」
「うるさいわね! 私が気に入ったのです。お黙りなさい」
「‥‥」
 魔女のオークションで競り落としたこのイアルの石像を、少女はとても気に入った。少女の望みのままに、メイドはイアルの情報を教えた。
 この石像は生きている、と。
 魔女をメイドに持つとなんて便利なのだろう。メイドに命じ、イアルの意識、聴覚、嗅覚を覚まさせる。
「折角封じてあるのに‥‥」
「いいからやるのよ」
 ブツブツと文句を言うメイドを黙らせて、少女はその時を待つ。
「‥‥石化してたら会話はできませんよ?」
「なら、テレパシーでも何でも使えるようになさいな。それくらい魔女なんだからできるでしょ?」
 ややこしいことをさらりと言ってのける少女に、メイドは渋々従う。
「用意が整いました」
 時は来た。少女は、にっこりと優しげに微笑む。
「ご機嫌いかが? イアル・ミラール」


2.
 ここは‥‥水の底ではないの? わたしは‥‥どこにいるの?
 声を出したつもりだった。けれど体が動かない。酷く嫌な匂いと見知らぬ人の気配を感じる。イアルは焦った。
 人魚姫は? 私はどうなったの?
「ここは私の屋敷ですわ。あなたは私に買われたの。だからあなたはもう、私のものなのですわ」
 優しげな声がそう告げた。
 何を‥‥何を言っているの‥‥!?
「‥‥優しい私があなたを買い取ってこなければ、今頃あなたはバラバラになっていたかもしれないのですよ? もっと喜びなさいな」
 喜ぶ? この状況を?
 体が動かない。口すらも動かずパニックになるイアルには手も足も出すことができない。
「そういえば先ほどから嫌な匂いがしませんこと? どこから‥‥なんて、優しい私の口からは言えませんけれども‥‥」
 少女が鼻を押さえて微笑む。確かに、嫌な匂いがしている。
 まさか‥‥まさか‥‥?
『いやぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
 叫びは少女にしか聞こえない。パニックは更なるパニックを呼ぶ。
「例の処置をお願いしますわ」
「‥‥承知いたしました」
 メイドは少女に応え、イアルの心の隙をつく。
 イアルの心に奥底に潜む呪いの欠片を、メイドは知っていた。そして、人魚になったイアルの心の脆弱性をも。
 呪いは、かつて魔女たちがイアルに仕掛けたものだった。心の奥底に眠らせたそのかけらをメイドは今引き出そうとしていた。
 狂い、もがき、足掻くイアルの心を、呪いは再び支配する。
「ふふっ‥‥いいものを手に入れてしまいましたわ。今日はゆっくり寝かせてあげましょう。明日から‥‥忙しくなりますわよ」


3.
 少女は次の日からイアルを目に入れても痛くないほどに寵愛した。
 少女の住む館には多数の番犬がいた。番犬‥‥といっても犬ではない。魔女結社のオークションで買ってきた美少女や美女たちだ。
「新しい子よ。仲よくしてあげるのですよ」
 番犬たちは誰もかれも野生化し、人間であることを忘れていた。低い声で唸り、お互いを威嚇する。言葉はなく、爪と牙がお互いを主張するすべてだ。
 イアルは、そんな番犬たちの中に置かれた。だが、イアルも番犬たちに負けていなかった。
 同じように牙を剥き、爪を立てて番犬たちをただ静かに威嚇する。石像のまま。しかし、イアルは変わっていた。
 イアルには大きな一対の羽がその背中に生え、牛のような‥‥いや、悪魔のような角がその頭を飾っていた。そして、その翼は蝙蝠の羽のように禍々しい。
 ガーゴイル。
 イアルは、少女の命によりガーゴイルとなっていた。
「良い仕事ですわ。さすがです。褒めて差し上げますわ」
「‥‥ありがとうございます」
 メイドはぺこりと頭を下げた。イアルの体をいじったのはメイドだった。
 イアルはガーゴイルの体を与えられ、その異様な雰囲気で番犬たちを威圧する。けれど、イアルは叫び続ける。叫ぶ心に応えるのは少女だけ。けれど、その少女は言うのだ。
「あなたは私の物なのだから、私の言葉を信じていればいいのです」
 優しげな微笑みはイアルの言葉に決して崩れない。イアルの心にどす黒いものが広がる。それが呪いに拍車をかける。
 魔女の呪いは根が深い。例えその一部が取り除かれたとしても、どこかに必ず痕跡を残す。そこからまた根を張り、芽吹き、花を咲かせる。
 メイドはその手伝いをちょっとしただけ。主人である少女の望みどおりに事を運び、その中で少しだけ呪いの目を覚まさせただけ。
「みんな、仲よくしておあげなさい」
 この場を治めるのは少女。その少女をイアルは心で呼ぶ。けれど、少女は笑って動かない。そうして、イアルの心はどんどんと砕かれ、壊れ、地に落ちていく。
「しっかり遊んでおいでなさい」
 少女の微笑みは優しく、まるで家族を見ているようだった。

 メイドは知っていた。少女が何故ここにいるのかを。
 まだ幼い彼女を残し、両親が死んだ。莫大な遺産は少女の親戚にすべて取り上げられ、少女は全ての居場所を失った。
 そうして、洋館に押し込められてしまった少女は壊れてしまった。
 人を人とも思わぬような人間になってしまった。

 少女は全てを愛していた。けれど、愛していても心はそこになかった。
「大丈夫よ、あなたは強いのだから」
 すがりつくようなイアルの心を少女は微笑みで突き放す。イアルの呪いは、より強固にその心をとらえる。
 なぜ? どうして‥‥?
 そう思うよりも深く、その心は闇へと落ちていく。
 それは呪いに身を任せ、野生のままに生きるという選択肢。イアルは身も心もガーゴイルになってしまったのだ。
「素敵なものがまた増えましたわ。私だけの庭。ねぇ、あなたもそう思うでしょ?」
「‥‥」
 微笑む少女に、メイドは答えなかった。

 茂枝萌(しげえだ・もえ)はその様子を遠くから見ていた。
 助けたい衝動に駆られながらも、今はその時ではないと心を押さえる。
 四つん這いになって番犬である女たちと戯れ、その黒い羽根を心にまで生やしたイアルに胸が痛む。
 けれど、萌は自分を律するのだ。
 今は、まだ‥‥。