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<東京怪談ノベル(シングル)>


強かな彼女は二文字を知らない(6)
 戦場を蝶のように舞う女。その女は蜂のように鋭い凶器を携えながらも、花のように美しかった。彼女の色香は、さながら猛毒のように人の体の自由を奪う。
 けれど、今この場にいる者達は彼女の魅惑に気付く事が出来ない。彼女に魅了されていない事こそが、彼らが正気を失っている他ならぬ証拠とも言えた。
 自分の意思をなくし、ただ黙々と動くだけの強化人間。見惚れる心すら失った彼らを、哀れだとは思う。けれど、もう手遅れだ。彼らを救うためには、彼らを倒すしか道がないのである。優しい琴美にとって、それはひどく辛い現実であった。しかし、その任を遂げる事が出来るのも、琴美しかいなのもまた事実。
 だから、彼女は先程宣言した通りに、この場……否、この秘密研究所で生まれた哀れな強化人間全てを、救うつもりだ。この手で、彼らを倒す事で。
 故にその動きに、迷いはない。
 琴美は、女性らしく豊満な肉体を駆使ししなやかに戦場を駆け、敵の急所を的確に突いていく。彼女の動きは、戦いというより舞踏だ。心を持った観客がこの場にいない事に違和感を覚えそうになるくらい、その動きは鮮やかで華麗であった。
 プリーツスカートが揺れ、長く伸びた扇情的な足が敵の足元を払う。体勢を崩した相手に、更に彼女の拳が突き刺さった。
 琴美の動きには一切の無駄がない。清らかな動きで、彼女は敵を一体、また一体と次々に屠っていく。
 強化人間も負けじと彼女へと攻撃を仕掛けるが、琴美はすぐさまに相手の行動を読み避けてみせる。敵の腕が、彼女の柔からな肌に触れる事は叶わない。
 それでも、数が数だ。琴美は、二人の敵に前後から同時に攻撃を仕掛けられてしまう。
 しかし、その瞬間琴美はまるで逆立ちをするように廊下へと手を預けた。そして、長くすらりと伸びた足でまるで円を描くように彼女は前後の者を蹴り飛ばす。次いで彼女は、廊下を叩く力を利用し宙へと身を踊らせると、強化人間達の後ろへと降り立った。
 振り返る間など、与えない。琴美はナイフを巧みに操り、彼らの命に終わりを告げた。

 やがて、一方的とも言える演舞にも終わりが訪れる。
 あれ程の数いた強化人間達の姿は、もうここにはない。あるのは、物言わぬ死体だけ……、残虐な実験に巻き込まれた悲しき犠牲者達の遺体だけである。
「もう戦う必要はありませんわ。安らかにお眠りなさい」
 その言葉が、彼らに届く事はないとは分かっている。けれど、琴美は言わずにはいられなかった。
 蝶のように舞い蜂のような凶器を持ち毒のような色香を持つ、花のように美しい女。彼女は、女神の如き優しさも携えているのだ。

 ◆

 宵闇に包まれた廊下を、彼女は再び疾駆していた。警報はいつの間にか鳴り止んでいる。微かに外の雨音だけが聞こえる廊下に、人の気配は……ない。せん滅の任務は、順調に進んでいた。残るは、敵の親玉を残すのみだ。
 たどり着いた先は、秘密研究所の最奥。製薬会社の社長の姿は、資料で確認済みだ。しっかりと、琴美の頭の中に今宵倒すべき敵の顔として刻まれている。
 息を潜め、琴美は扉の向こうの様子を伺う。かすかな物音が聞こえた。タイミングを図り、彼女は室内へと突入する。
 そして、そこにあった光景に女は目を見開いた。
「これは…………、なるほど。そういう事でしたのね」
 しかし、彼女は持ち前の聡明さで、瞬時に事態を把握する。
 確かに、社長はそこにいた。……瞳は濁り、物言わぬ人形のように体を投げだした状態で。
 彼もまた、何者かによって強化人間にされていたのだ。この事件の黒幕は、彼ではなく他にいたのである。
 社長の隣には、白衣を羽織り眼鏡をかけた見知らぬ女が立っていた。
「貴女様ですの? 他人の会社を乗っ取り、悪趣味な研究をしていたのは」
 琴美の言葉に、女からの返事はない。けれど、彼女が浮かべた怪しげな笑みは、下手の言葉よりも雄弁に琴美の問いかけが正しいのだと語っていた。
 ――この女こそが、事件の黒幕だ。
 琴美は、素早くナイフに構える。強化された社長が獣の如き咆哮をあげ、琴美に襲いかかってきたのはその直後であった。