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<東京怪談ノベル(シングル)>


―ひとりでおるすばん―

 いつも通りの帰り道。海原みなもは、もはや習慣となりつつある『寄り道』をしていた。
 特に義務がある訳でもなく、その場所が好きだと云う訳でもない。しかし、何故か足が其方に向いてしまう……理由は誰にも分からない。そう、彼女本人にも。
 そして、いつも通りにそのドアを潜る……と、いつもとは違う光景がそこにあった。
「だからぁ! 俺は一人しか居ないんだって、何度も……OK、事情が変わったぜ」
 受話器に向かって怒鳴る、その部屋の主……草間興信所所長・草間武彦の目線が、未だドアノブから手も離れていないみなもの姿を捉え、険しかった表情から安堵のそれへと変わる。その間、時間にして数秒あったかどうか。兎に角、その様を見た彼女は、何が起こったのかが把握できないまま、ズルズルと流されるように事に巻き込まれて行った。
「戸棚の中に菓子が入ってる、好きなだけ食って良い。あぁ、コーヒーは自分で淹れてくれ。電話が鳴っても出る必要は無い、来客も無視して構わん。此処に居てくれればいい、俺が戻るまでな」
「あ、あの?」
「あー、客がしつこかったら『おうちの人居ないから、わかんなぁい!』とでも言っておけ……じゃ、よろしく!」
「あのー!?」
 ……一方的、と云う言葉で済ませるには余りにもいい加減……と云うより、限りなく無責任に近いやり取りの後、草間はサッと身支度を整えると、身を翻して、たった今みなもが潜ったばかりのドアから出て行った。
「急で、重要な依頼が入った……んだよね。で、あたしは留守番を頼まれた……筈。でも、電話も来客も無視して良いって……それって留守番?」
 いつもと同じ寄り道、しかし今日はちょっと違う。ドアを潜って1分足らず、みなもはただ呆然とするだけだった。

***

(……『お前が絡むと、いつも化け物の類に狙われて、その都度巻き込まれるから』……ちゃんと説明すべきだったかな?)
 草間はタクシーの中で、その一言を伝えなかった事について思考を巡らせていた。だが、それを言ってしまえば、彼女はそれが自分の所為だと思い込み、責任を感じてしまうのではないか……そんな思惑もあったのだ。
(名探偵と呼ばれる奴は、良く難事件にぶつかる。俺は何時も、怪事件を押し付けられる。それと同じで、アイツは……何か、物の怪に好かれやすい体質なのかな? いっつも変なモンに変えられたり、体を乗っ取られたり……見てらんねぇンだよな)
 兎に角、草間はこれ以上、みなもを『魑魅魍魎に近付けたくない』と考えていたのだった。何しろ、事が収拾した後で、両親に頭を下げるのは彼の役目。此処で変な噂が立ちでもしたら、社会的信用は地に堕ち、商売あがったりである。が、それ以前に、純粋に彼女を心配する一面もあった。
「お客さーん、禁煙車です。ご協力を」
「え? ……あ、すまん」
 運転手に指摘され、無意識に咥えていた煙草を慌てて仕舞う。それは彼が何かを心配する時の、癖のようなものだった。
(……らしくねぇなぁ……)
 ふと、そんな台詞が頭を過る。それを掻き消すかのように、彼は無造作に頭を掻いていた。

***

 その頃、草間興信所。
(本当に、無視してていいのぉー!? 洒落にならない気がするんだけど!? いつもは静かなのに、なんで今日に限って!?)
 電話のアラームは鳴りっぱなし、ドアからは呼び鈴を押す音が引っ切り無しに聞こえて来る。だが、下手に応対して手に余り、トラブルに繋がりでもしたら草間に迷惑が掛かる。電話のアラームは煩いが、これを受けてしまったらドアの前の来客に居留守がバレてしまう。兎に角、みなもはひたすら我慢して、両者が諦めるのを待つ以外に手立てが無かった。
(留守電機能、付いてるよね? 何でオンにして行かないのかな……あ、もしかして、行き違いを避けるために?)
 等々。いつもは閑古鳥が鳴く……と云う程でもないが、もっと静かである筈。なのに、今日は何かが違う。先刻ドアを潜った瞬間から、彼女がずっと考えていた事だった。
(留守番自体は、珍しい事じゃない。慣れてるし。でも、今日に限って電話も、来客も応対しなくて良いなんて……草間さん、何考えてるんだろう?)
 鳴っては止み、止んではまた鳴り出す電話の着信アラーム。流石のみなもも『しつこいなぁ』と苛立ちを覚え始めた頃。何処からともなく、声が聞こえて来た。
『……ウルサイ』
(え? だ、誰か居る? ……そんな、まさか……ね)
『ウルサイ……ウルサイ……』
(!! 気のせいじゃない、誰か居る! でも、あたしの他に誰が? 誰も入って来ていない筈なのに!)
 低く、凍り付くような不気味さを覚える、その声。何処から聞こえて来るのか……それは分からなかったが、空耳で無い事は確かなようだった。みなもは慌てて周囲を見渡すが、やはり誰も居ない。
(お隣……? いや、それにしては声が近すぎる。やはり、この部屋の中に……)
 クローゼット、戸棚、抽斗……みなもは、あらゆる『空間』をつぶさに調べて回った。そして、もしかして外から? と思い至り、窓に向かって歩を進め、草間のデスクに背を向けた……その瞬間。
『ウルサイ……!!』
「……!!」
 『それ』は目に入ったが、叫びは声にならなかった。いや、悲鳴を上げる暇も無かった、と云った方が正解かも知れない。
 窓に映り込んだその影は、驚くべき速さでみなもの背後を取り、逃げ道を塞いでいた。
「つっ……机!?」
 そう、その影の正体は、背後にあった草間のデスクであった。脚が伸び、身の丈を超えて天井に届こうかと云う大きさにまで拡大したそれは、一気にみなもの身体を包み込んでしまった。
 机である筈なのに、硬質な感触は無い。まるで雲に包まれるような柔らかさ、それでいて振り解く事が出来ない強固な囲い。みなもは『それ』に包まれながら、次第に『それ』に取り込まれて行くのを実感していた。
 腕が、脚が、胸が、腹が……そして頭までもが、『それ』……机と同化していく。しかし、痛みは感じない。四つん這いになり、そのままの格好で動けなくなったような、そんな感覚。目は見えているし、未だに鳴り続けている電話のアラームもしっかりと聞こえている。それどころか、机の上に乗っているアイテムの重さまでもが、触覚を通して伝わってくるのだ。
(……う、動けない……一体、何が起こったの? あたし、どうしちゃったの!?)
 自分自身がどうなったのか、それすら理解する暇のない怪事件。彼女は、草間の気遣いも空しく、またもそれに巻き込まれてしまったのだった。

***

「……っかしいなぁ? 鍵は掛かったままだし、鞄も置きっぱなしだが……本人の姿が無ぇ」
 帰着した草間が、無人となった室内を見回して怪訝そうな声を上げる。
「留守番ほっぽり出して、消えちまうような奴じゃない筈なんだが……」
 椅子を引き出し、ドカッと腰掛ける。そして灰皿を手繰り寄せ、気を落ち着ける為に煙草を吸い始める。
(ゲホッ、ゲホッ! け、煙い!)
「買い出しにでも、行ったかな……?」
(草間さん! あたし、此処……熱い!! はっ、灰皿はこまめに掃除してくださいー!)
 火種の一部分が、灰皿から溢れて机に落ちる。その熱さは、みなもの背部にモロに伝わる。
(お願い、気付いてー!!)
 ……みなもの、心からの叫び。だが草間は、首を傾げたまま窓の外を眺めるだけであった……

<了>