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<東京怪談ノベル(シングル)>


古代竜の残滓
 とある研究所にみなもはいた。今日は治験のバイトに来ているのである。
「じゃあ海原さん、それしばらく着て、着心地とかあとで報告してね」
 特殊なスーツを着ているだけで大分高額な賃金がもらえる、楽なバイトだと思っていたみなもに渡されたのは。
「はい。……って、これは……!?」
 全身タイツだ。謎の角や鱗のような意匠が申し訳程度についているが、つるつるした薄い生地は完全に全身タイツだ。
「そこに更衣室があるから、着たらこっちの実験室でしばらく立っててね」
 研究員が指した実験室は、人一人入るのがせいいいっぱいのガラスの円柱だ。そこでデータを取られるらしい。
「う、はい……」
 みなもは更衣室で全身タイツを穿いていく。普段着るストッキングのような感じだ。下着は着けないよう言われているので、着ると体にピッタリ。顔の形も体の形もみなもをかたどっている。少し締め付けがきつい。
 鏡で確認する。胸やお尻に食い込んで、形がくっきりと出ている自分の姿が異常に恥ずかしい。まるで体を蒼い絵の具でコーティングしたようだ。
「うう、この格好であそこにいるの……」
 一度引き受けてしまったものは仕方がない。みなもは意を決して、出て行きガラスの筒の中に入った。
「OK、そこでしばらくじっとしてて」
 ガラスの円柱は、直立不動の状態で入ると、手を上に上げることも出来ないほど狭かった。研究員達がみなもを見ている。恥ずかしくてうつむいてしまう。
「はい……」
 ここに立っていればいい。簡単なアルバイトのはずだった。

(あれ……?)
 スーツに違和感がある。たしか竜の化石から遺伝子を取り出し、万能細胞で培養し、ナノマシンと合わせた新素材らしいが……。
「あっ」
 耳を覆っていたはずのスーツが、耳の中までも覆おうと伸びてきていた。
(やだ、なにこれ)
 耳の穴はどこまであるのだったか。素材がしわじわと侵食していく。同時に口の中、鼻の穴の中までも広がる皮。とてもくすぐったくて、ふるふると小刻みにふるえる。
(声が出せない……)
 ナイロンのような素材が、普段入るはずのない場所にピッタリとくっついていく違和感にぞわっとする。
(やだ……。気持ち悪い。あ、喉が……)
 喉に到達したスーツにむせそうになるが、スーツがその挙動を許さなかった。まるでみなもを表面から支配していくように、動きを制限される。苦しい。つばを飲み込むこともできない。というか、つばもスーツが自分の物だとでもいうように吸収している。
 そのうち、スーツが”沁みて”きた。傷に消毒薬が沁みるように、体中の皮膚が剥がされた上にガムテープでも貼られたような激痛が全身に走る。
(やだ! 痛い痛い痛あ!)
 全身の痛みに冷や汗が滝のように流れる。悶えるように苦しいが、スーツに動きを制限される。
(いやあ! 痛いって、研究員さん止めてよお!)
 目で訴えようとするも眼球に張り付いたスーツが、瞼を閉じさせることも許さない。
(目、痛い……!)
 瞬きをしないことによる涙、痛みによる涙ががたくさん流れるも、スーツが吸収していく。
「はあ……はあ……」
 呼吸が荒くなる。空気を通すスーツ越しに酸素が少しずつ入るが、喉まで到達したスーツがたわんで息苦しい。
 酸素不足もあってか、なんだかぼうっとしてきた。
(あれ……?)
 痛みを感じるたびに、体が自分を守る作用が働いて、脳内快楽物質を出してくる。
 沁みるけれど、気持ちいい。
 スーツが自分の体に沁みて、みなもと一つになろうとしている。その大きな波が来るたびに神経に触ったように痛い。
(きゃああああ!)
 しかし、その後みなもをなだめるように快感が沁みてくる。痛みと快感の連続で気を失いそうになりながら、ガラスの上でのた打ち回る。唾液や汗がダラダラとあふれ出す。
「ああ……ぐあ……」
 痛みと快感でフラフラだが、ガラスの筒の中ではしゃがむこともできない。と、そこで衝撃が走る。
(あああああああ!)
 腕がスーツの圧力でパキパキときしんでつぶされる。竜の腕の形になっていく。
(やだ、うあ、押さないで、痛……! なにこれ!?)
 指がくっつけられ、二本が一本になる。無理やり一つにされ、バキバキと骨が折れる音がする。
(やあああああああああ!)
 三本指に長い爪が生えてくる。体が溶けていくような感じ。ふわっと痛みが快感に変わる。ぶるぶる震える。
「ああ……」
(竜の手だ……)
 知っている。この指の動かし方を。
 足も同じように。下半身が蟹股になろうとする。突然股の筋を広げられ、筋が限界まで伸ばされる。
「いやああああああ! ………ふああ!?」
 痛みをごまかすように快感の波が襲ってくる。それに乗じて無理やり股が大きく開いた。筋がぶちぶちとちぎれる音。新しい筋が作られ、下半身の筋肉が隆起し、表皮はゴツゴツした硬い皮膚になる。
「はあ……はあ……」
 無理やり体を作り変えられることに、体がついていかない。呼吸が荒くなるが、自由に息が出来なくて苦しい。
 顔の形が変わる、口の中を殴られたような衝撃が襲う。
「うっ……」
 快感の中、鼻がつぶされ、口が無理やり伸ばされる。歯が抜けそうになるほど引っ張られ、ぱきぱきと削られ先細りになる。
「がごっ」
 瞳は人間の動きがスローモーションに見えるぐらい見通せる。
 ガラスのショーケースの外の人間がのろのろとデータを取っている。
(なんてのろまで、肉ばかりの生き物……)
 そして……。
「ガオオオオオオオオオオオオン!!」
(ああああああああああああああ!! 助けて!!)
 背中の皮膚が突き破られ、血がほとばしる。骨が木の枝のように成長する、物凄いスピードで。
 ガラスの割れる耳をつんざくような音とともに、翼が体からはじけ出てきた。見事な大きな翼が生まれた。
 人間が蟻の子を散らすように離れていく。何か騒いでいるが、些細なこと。
 翼をわっさわっさと羽ばたかせて、みなもは宙に浮く。ホバリングして悠々と人々を見下ろす。
 彼らが何をしているかはわからないが、ざわめいて、蝿のように耳障り。それに、こんなに狭い場所に自分を閉じ込めていたのも不愉快だ。
 咆哮を一つしてやると、人間達は今度こそ研究室から出て行った。自分も出て行きたいが、空が見える場所がない。上か。
 みなもは翼を一振りして、天井へ飛び上がると、その勢いを生かして爪で壁を突き破った。砂糖菓子のようにポロリと天井が崩れ落ちると、その先の配線を食いちぎって、屋根に激突、そのまま飛び上がる。壊した瓦礫が自分の体からぽろぽろと落ちていく。振り払うように思い切り羽ばたく。そこには。

 青い空。

 自由に飛べる。自分の世界だ。仲間はいない。匂いがしないから。たぶん、自分は世界に一人だ。
 眼下の景色はまるで真新しい。自分が住んでいたとは考えられないほど小さな街並。おもちゃみたい。
 記憶にある赤茶けた地表やどこまでも青い海はここにはなかったが、面白い。自分を閉じ込めていた体はもうない。惨めに地を這いずることもない。
 しばらくこの世界を観光してみようか、とみなもは思う。
 翼を大きく一振りすると、彼女は轟音とともに一気に飛んでいった。