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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜に堕ちる

 夜に連なる摩天楼。文明の光はキラキラと、まるで星空を奪ったかのよう。

 東京、深夜0時。
 今夜も怪奇が跋扈する。

「ああアあああ、嗚呼ァああぁアアアア」
 細く長く、悲鳴のような音と共にビルの合間を飛び回る、白い靄。
 それを追いかけるのは黒い影。合理的軽量化改造が施されたくの一装束の少女、水嶋・琴美(8036)である。
 高層ビルの屋上から屋上へ。まるで黒猫のようなしなやかさ、隼のような素早さで琴美は怪奇を追いかける。常人離れしたその動きは、けれど彼女にとっては動作もない。

「『夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊』――ですか」

 今夜の彼女の任務は、かの怪奇を討伐する事。怪奇が発する悲鳴は、まるで恐怖に瀕した人間が発するそれに良く似ていた。
 琴美は足に力を込める。短いプリーツスカートから覗くスパッツの黒がフィットした彼女の足は、無駄なく鍛えられているのにも拘らず女性的な美しさを併せ持っていた。

 跳躍。


 月下に胡蝶の如く、くるりと一回転した琴美が怪奇の進行方向へと回り込んだ。
 悲鳴を上げ続ける怪奇は進路を変えず、彼女へと一直線に突っ込んでくる。
「貴方は何処へ行くの? ……何処へ行きたいの?」
 凛と響いた琴美の問いかけに、しかし、返ってくるのは駄々っ子の如く、悲鳴ばかりで。

 激突は寸前。

 琴美はふわりと身を捻って最小限の動作で怪奇の突進を回避しつつ、太股のベルトに装着したクナイをその手に持った。
 擦れ違い様の一閃。
 一瞬にして的確。
 自信に裏付けられた冷静さと実力を以てこその技である。

 両断された怪奇は悲鳴を上げたまま――フッと、霧散し消滅した。
 残されたのは夜の黒に融けながらも艶やかなほどに妖しげな美貌を持つ、くの一が一人。







「……あの怪奇が再度出没した、ですって?」

 任務を下された琴美は思わず驚きの言葉を漏らした。
 夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊。あれは先日の晩、確かに討ち取った筈だ。
 けれど実際問題、それが再び現れたのだという。一度は琴美に倒されたが復活した可能性が高い。
(一体何故……?)
 任務に誇りを持つ故に、琴美は心に誓う。
 今度こそ、真の意味で完璧に任務完遂を。
 油断はない。けれど焦りや不安もない。妥協は決して、しない。


 そして再び、東京に深夜0時がやって来た。


 眠らぬ町とは正に。夜中でも東京は明るく、遠くから喧騒が聞こえてくる。
 琴美は一際高いビルの天辺、夜の街を見下ろしていた。

「……標的発見。これより任務を開始します」

 ふ、とビルより降り立ち、重力に身を委ねる。
 落ちる空中。靡く黒髪。
 琴美が宙に『着地』した。
 否、ビルの間に予め張り巡らせたワイヤーに超バランス力で降り立ったのである。

「御機嫌よう。……会うのは二度目ですね」

 見据えた先、白い靄。あの悲鳴が聞こえてくる。
「――今夜で最後にしましょう」
 薄紅の唇でそう告げた琴美はワイヤーを蹴って跳び出した。そして壁をワイヤーを足場に、まるで空を飛ぶように怪奇を追いかけ始める。
 いつでも太腿に取り付けたクナイを取り出せるようにしつつ――琴美は攻撃に出ず、じっと怪奇を注視した。
(おそらく……普通に倒すだけでは、この怪奇は倒せない)
 たとえ先日のように倒せたとしても、今夜のように復活する可能性が濃厚。そう判断した琴美は突破口を探す為に怪奇を観察する事にしたのだ。

(きっと何か、ヒントがある筈――)

 絶対不滅の存在――そもそも『絶対』などという事すら、この世の何処にもありはしないのだから。
 ワイヤーを張り巡らせた一帯は琴美の支配領域<テリトリー>。くの一は蜘蛛の如く糸から糸へと飛び移り、怪奇へと用心深く接近する。
「あァァあ、アアあアぁあああ!!」
 鼓膜にきんと響く悲鳴と共に飛び回る怪奇。
 それは弾丸のような速度でビルの合間を縫いながら、不規則な軌跡を描いて琴美に幾度となく襲いかかる。
 だが怪奇は琴美の滑らかな肌に掠る事すら出来なかった。変幻自在の動き、柳のようなしなやかさ。琴美は全てを無駄のない動作、すなわち紙一重で回避している。
 夜闇に映える琴美の白い肌はさながら侵されざる聖域の如く。摩天楼の中で黒揚羽と白い靄が踊っているかのようだった。
 怪奇の猛攻を掻い潜る琴美は、変わらず攻撃には出ぬまま、それと併走しながら様子を窺う事も忘れない。翼を持たぬ人間が空を飛ぶ怪奇に平然と追いついているのは俄かに信じ難い光景だった。人間とは翼が無くとも空を翔ける事が出来るのである。
「貴方は一体、何者なのですか?」
 摩天楼の空を翔けながら、琴美は怪奇に問うてみた。
「どうしてそんなに……、泣いているのですか?」
 悲しそうに。恐ろしそうに。
 泣き咽び、叫び続けるその怪奇。
 性根が優しい琴美にとってはそれが気になる事の一つであった。
(……一か八か)
 意を決して、いっそう怪奇との距離を詰めた琴美はそれへと手を伸ばし、触れてみた。

 瞬間。

 琴美の中へ流れ込んでくるのは、恐怖、不安、孤独、後悔、悲哀、絶望――あらゆる負の感情。
 そして見えたのは、遠ざかる空、近付く地面。

(これは……!?)

「オトシテ……」
「……!」
 聞こえた声。朧な声。
「オトシテ……オトシテ……」
 怪奇のその声に、点と点が繋がった。

(この怪奇は……飛び降り自殺をした方の残留思念!)

 飛び降りて、地面に着くまでのあらゆる恐怖。
 地面に落ちる事ができず、永遠とさまよい続けている深い絶望の塊こそが、この怪奇なのだ。

 落として。
 終わらない死への恐怖を終わらせて。
 地面に着かせて、どうか殺して、どうか楽にして。


 ――誰か助けて。


「大丈夫ですよ」
 優しく、琴美は微笑んだ。

「おいで。――私が殺して<助けて>差し上げます」

 伸ばした両手。
 子をあやす母の如く、怪奇を抱きしめる。


 そのまま、真っ逆様。


 遠ざかる空。
 近付く地面。

 激突まで……数ミリ。

 そこで琴美の落下は止まった。
 腰につけた一本のワイヤー<命綱>がピンと伸びて、琴美を宙に吊っていたのだ。
「ほら、落ちました」
 そのまま琴美は地面にごろんと仰向けに落ち転がった。

「あああ、あ、あ、あ、やっと……やっと、着いた……これで……死ねる……」

 琴美の腕に抱かれていた怪奇が、嬉しそうな声を上げて霞んでゆく。
「どうか……安心して、お眠りなさい」
 願わくば永遠の安寧を。琴美が見守る視線の先、怪奇は完全に消滅した。







 消えた怪奇へ両手を合わせて念仏を唱え、ビル間に張り巡らせたワイヤーを全て撤去し。
 一息を吐いた琴美はビルの天辺、空を眺めた。東の空はもう、明るい色を帯び始めている。

 今日もまた東京に新しい一日がやって来る。
 遠いところで始発電車が走る音が聞こえた。
 琴美は早朝の澄んだ空気を肺に満たす。
 任務達成の瞬間は彼女にとって最も心地よい瞬間の一つであった。
 と、その時。

 ――ありがとう。

 そんな声が、路地に吹く風に乗って聞こえた気がした。
 薄く微笑を浮かべた彼女は、虚空に呟く。

「任務完了」

 さぁ、今日も張り切って生きなくては。
 暁の闇に、くのいちが解けて消える。


 ――その日、『夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊』の都市伝説が東京から消滅した。



『了』



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水嶋・琴美(8036)