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モノノケメトロ
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
地下鉄は夜でもないのに真っ暗だ。
窓ガラスは真っ黒い。鏡のよう、黒の中に水嶋・琴美(8036)の横顔を映し出していた。
最後尾車両の一番後ろ。くの一装束に身を包んだ琴美は通路の真ん中に立っている。
ガランドウだ。誰も居ない――生きている人間は。
琴美は太腿のベルトからクナイを二本、両手に構え。
刃の如く見澄ます琴美の視線の先には、朧に揺らめく黒い人影。それも一つや二つではない。
生ける屍のよう。よろめきふらつき、されど確かに、琴美へ殺意を向けていた。
「さぁ、かかって来なさい」
揺れる車内、くの一が足に力を込めて跳び出した。
艶やかな烏の濡羽色を靡かせるその姿は黒い疾風。
床を壁を天井を足場に重力を感じさせぬ縦横無尽。
琴美と擦れ違う度、切り裂かれた人影が血潮の変わりに黒い霧を散らして消えてゆく。
ガタンゴトン、ガタンゴトン――
怪異識別名、『モノノケメトロ』。
それは夜の地下鉄に現れる大型怪異。
見た目は古びた雰囲気の電車。
それに乗った者は、二度と生きては帰れない。
なんて、まるで何処かの怪談に出てきそうな。
そしてモノノケメトロを討伐する事が今回の琴美の任務であった。
「今回は危険なミッションだ」――上官の言葉が琴美の脳裏を過ぎった。
何せ、乗ってしまった者の生存率は0%なのだから。
危険は承知ですわ。琴美は上官にそう答えた。被害者が既に出てしまっているのでしょう?
「――私がやらねば、一体誰が?」
琴美の言葉に迷いは無く、その心に傲慢は無く。
彼女は己の実力には自信を持っていた。これまで完璧にこなした数々の任務、その中で傷一つ負った事はない。
危険な任務、だからこそ己が。
心に誇りを。必ず戻る誓いを。
そして乗り込んだ人食い電車――明滅する電灯の中、黒い衣装の少女が躍る。
「はッ!」
艶消しされたクナイの一閃。現在琴美が居る車両にいた最後の人影が消えてなくなる。
(数が多い――)
弾んだ息を整える。
誰も居なくなった車両。
だが未だ未だ先がある。
琴美は怪奇を切り払いながら先頭車両を目指していた。
現在は丁度真ん中辺りか。
と、その時。
ガシャン、と聞こえた不気味な音。
「っ!」
振り返ると、琴美がこれまでいた後部車両の電気が――後ろから徐々に、ガシャン、ガシャン、消えてゆく。
電気が消えた部分は真っ暗で――そう、終わりのない虚無。
琴美の直感が、あの虚無に巻き込まれたら一巻の終わりだと告げていた。
「追い詰める心算ですか……」
走り出した琴美は次の車両へのドアを開けた。
座席にズラリと座っている黒い人影が視界一杯。
それらは琴美の姿を認めるなりユラリと立ち上がった。
「死ね」
「死ね、死ね、死ね」
「死んでしまえ……お前も」
「お前も、こっちに、来い」
「死ね」
口々に、ブツブツと。
最初からそうだった。この人影達は、かの『死へ誘う怪奇』の如く死を誘う言葉を口にし続ける。
そして同時に、だ。琴美の全身にひしひしと、冬の雨のように降り注ぎ続けるのは……深い絶望。恐怖。後悔。不安。悲哀。
くの一はそれに覚えがあった。
『夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊』――あれに触れた時と同じ、感覚。
(これまでの事件とこの怪奇は、繋がっている……?)
人々の絶望を助長させ、死へと誘い、死から生じる絶望がまた新たな怪奇を作り出す……。
(おそらく……)
この黒い人影は、飛び降り自殺をした者と、モノノケメトロに食われた者の成れの果て。
恐怖と絶望に囚われて、環状線をぐるぐると、ぐるぐると――永遠に、出られない。
けれど、ふと琴美は思った。
(不の感情が怪奇を生み出すのなら……より感情が濃密になっていけば……?)
蟲毒、というものがある。
百虫を同じ容器に閉じ込め、共食いさせ、勝ち残り神霊となった存在を用いて呪術を行う。
琴美の脳裏に過ぎったのは、そんな言葉だった。
(まさか……でも、誰が、何の為に?)
今はそれは分からない。全ては推察の域を出ない。
けれど何か、良からぬ気配を琴美は感じ取っていた。
「これが蟲毒というのなら……良いでしょう、この私が勝ち残ってみせようではありませんか」
琴美はクナイを握り直した。
降り注ぎ続ける暗い感情に彼女の心は揺るがない。
どれほどの絶望も。
どれほどの恐怖も。
この水嶋・琴美を震えさせる事は、決して出来ない。
「絶望などには屈しません。明けない夜などないのです――!」
ここが絶望の奈落なら、彼女は最後の希望そのものだ。
背後では「ガシャン、ガシャン」と光が消え逝く音がする。近付いている。琴美の体を魂を食い潰さんと迫ってくる。
けれど琴美は決して足を止めずに走り続けた。黒い人影は全て切り裂く。彼らを倒す事が、絶望から救い出す最後の手段であると信じて。
電車の暗い窓にくの一が翔ける姿が映し出される。
怪奇は先頭車両に近付くにつれて強くなっていた。
けれどそれすらも、琴美の驚くべき戦闘能力の方が上回っている。
人影の数の二倍、琴美を捕らえんとする腕がある。けれどそれらがどれだけあろうと、決して彼女を捕まえられない。
怪奇がまた一人と消えてゆく。
闇が琴美へ迫りゆく。
そして――
遂に、琴美は先頭車両へと滑り込んだ。
「……!?」
そこは混沌とした空間。
最早、電車の中とは呼べない空間。
ぐにゃぐにゃと、暗闇の中で黒が渦巻く不気味な場所。
ただ上の何処かから、まるで首吊りロープのように吊り革がたくさんぶら下がっていた。
聞こえてくるのは、死を誘う言葉。
耳から聞こえるという音声というよりは、脳に直接届くテレパシーか。
しくしく、しくしく。
そんな空間の最果てに、それは居た。
蹲った小さな少女。泣いている小さな背中。
けれど、ぞっと不気味な気配を、琴美は感じ取った。
「モノノケメトロの本体、ですわね」
琴美の声にモノノケメトロが振り返る。
「サミシイ……サミシイ……アナタモ……キテ……」
涙を零す悲しげな声。モノノケメトロが「抱きしめて」と言わんばかりに手を伸ばせば、虚空から現れた大量の闇の腕が琴美を掴み取らんと襲い掛かる。
「ごめんなさい。……貴方達と一緒には、なれませんわ」
燕の如く、闇の腕を掻い潜る琴美は静かに告げた。
「生者は死者になれるけど、死者は生者にはなれませんの」
「イヤヨ……サミシイノハ、コワイワ……!」
「ええ……寂しいのは、怖くて、辛くて、悲しいですね」
いつの間にか、腕の猛撃を回避し続けた琴美はモノノケメトロの目の前に。
「だから――私はその悪夢を、貴方の悪夢を、終わらせに来ました」
優しく微笑んで。
抱きしめるように。
クナイを、モノノケメトロに突き刺した。
「もう大丈夫……。安らかに、お眠りなさい」
「……ウウ、ア、コレデ……ワタシハ……ワタシタチハ……」
モノノケメトロが琴美を抱き返したその腕は、柔らかかった。
そしてその感触が、少女が、空間が解けていって……。
気が付けば、琴美はホームの真ん中に。
立ち上がった琴美は踵を返す。
地上へ、朝へと続く階段へと。
黒い髪を靡かせて、彼女は通信機にこう告げた。
「――任務完了」
『了』
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水嶋・琴美(8036)
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