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<東京怪談ノベル(シングル)>


―彼女の日常―

 カーテンの切れ間から、優しい光が差し込む。未だ覚醒しきれていない彼女の意識を、小鳥のさえずりが揺り動かす。
 ゆっくりと上肢を起こし、そっとカーテンを除けて外を見る。昇り切っていない太陽が、街並みの下から顔を出そうとしていた。時計に目をやると、時刻は間もなく5時になろうかと云う処だった。
「いい朝ですわ。今日も一日、平和でありますように……」
 彼女――白鳥瑞科は優しく微笑みながら、朝日に向かって一礼をした。そしてパジャマを脱ぎ、修道服に着替える。彼女の着替えは十数秒で済んでしまう。いつでも即座に戦闘態勢が取れるよう訓練されている上に、修道服も通常のものとは違う特別製だからである。
 まず外見が違う。普通の修道服のようにヒラヒラした物ではなく、急な挙動や風などで舞い上がる事の無いようタイトなデザインになっている点が大きく異なっていた。そして材質は斬撃・刺突攻撃に対し有効な防御力を持つ強化繊維であり、この繊維はタイトなデザインでありながら動き易さを損なわない、伸縮性に優れた特性も併せ持っていた。彼女はそれに加え、防弾チョッキに匹敵する強度を持つインナーを着用し、万一の事態に備えているのである。尤も、その身のこなしによって身体はおろか、衣服にすら攻撃を受けた事が無い為、防御を完璧に固める必要があるか? と問われれば、回答に困る処であろうが。

***

 朝の祈りが終わり、礼拝堂から出たところで、彼女は教会の『構成員』である黒服の男に出会う。
「あー、おはよっス! ……あれ? 今日は休みですよね?」
「ええ、でもお祈りは欠かさず行わないといけませんから」
 短く答えると、瑞科はまたニコリと微笑んだ。だが男はその笑みを見て戦慄した。何故なら、彼は嘗て彼女と敵対する組織に身を置く、戦闘員の一人だったからである。故あって教会の側に付く事となったが、その経緯に於いて瑞科の実力と、笑顔で敵と相対する丹力を知る事となり、表情からは彼女の御機嫌を伺う事は出来ない事が分かっていたのだ。
「……どちらへ?」
「決まっておりますわ、お休みを頂くのですよ。休息を摂るのも仕事のうちですわ」
 男は内心で『あの人が、心底から休む事なんてあるのだろうか』と呟いていた。然もありなん、少なくとも彼は、彼女が気を抜いて休んでいる姿が想像できなかったのだ。
「飲み物、用意させて貰いますよ。ついでに軽食も」
「有難う御座います、では紅茶と……クラブサンドをバルコニーにお願い出来ますか?」
 それを聞いて、男は『ああ、リラックスする事もあるんだな』と胸を撫で下ろしていた。木漏れ日の差し込む、教会の裏手にある庭に設えられたバルコニー。そこならば万一、敵襲があっても被害を受ける事はまず無い。だから安心して身を休められるそこを選んだのだろうな、と想像していたのだった。

***

「お待たせしまし……あのー、瑞科さん?」
「何ですの?」
「折角のお休みなのに、その姿……」
「常に装備を整えておかないと、落ち着かないんですの」
 あ、そうなんですか……と、男は苦笑いを浮かべながら、ティーポットとカップ、それにクラブサンドの載ったトレイをテーブルの上に置く。瑞科は短く『ありがとう』と礼を言い、読みかけの本に視線を落とした。
 男がポットからカップに紅茶を注ぐと、良い香りが漂う。それは瑞科の鼻腔をくすぐり、急激に喉の渇きを思い出させた。
「冷めないうちに」
「有難う、頂きますわ」
 カップからまず一口、紅茶を口の中に流し込む。それを舌の上で転がすと、程よい渋味と何とも言えない芳香が鼻に抜けて行く。そしてそれが喉を潜ると、後には爽やかな清涼感が口に残る。
「美味しいですわ……何処かで修業を?」
「エージェントやってる頃に、表向きの顔としてカフェバーの店員やってましたから。紅茶の淹れ方とカクテルには、ちょっと自信あるんですよ」
 照れ臭そうに、男が笑う。そして『ごゆっくり』と言って立ち去るその背中に向けて、瑞科は『今度はカクテルをお願いしますわ』と投げかけていた。男は振り返る事なく、右手をそっと上げる事でその回答に代えていた。
 男の姿が消え、瑞科が二口目を飲むためカップに口を付けた、その瞬間。ポットに反射した光が見えた。瑞科は少しその身を逸らせ、襲い来る光の矢を紙一重で躱した。飽くまで、カップは手に持ったままである。
(甘いですわ……射撃の瞬間さえ見逃さなければ、射角から弾道は予測できますの)
 まだ余裕、とばかりに彼女はクラブサンドに手を伸ばす。香ばしくトーストされたパンに、レタスとターキーがサンドされたそれは、食べやすさを考えて従来の物より薄く作ってあった。無論、これもあの男の作である。
「美味しい……彼、充分にお店を出せる腕前ですね」
 等と考えながら、笑みを漏らす瑞科。しかしそれを邪魔するかのように、今度は屋根の上からレーザーが飛んで来る。無論これも見えていたが、直撃コースではない為に敢えて回避行動を行わなかったのだ。無残に砕け散る皿と、地面に落ちるサンドイッチを見ながら、瑞科は僅かに口許を引きつらせる。
「美味しいサンドイッチを……食べ物を粗末に扱う事は、許せませんね」
 続いて、木々の合間からレーザーが次々に発射される。ここで瑞科は、初めて反撃に出た。サンドイッチを台無しにされたのが、腹に据えかねたらしい。
 横合いからの射撃を躱し、それが発射された位置へ向けて電撃を放つ。刹那、そこにあったレーザー銃が破壊され、爆発音が木霊する。しかし尚も攻撃は続く。瑞科はそれらを回避しながら、少しずつ相手の攻撃力を削いでいく。そして僅かなインターバルの後、今度は同時に複数の銃口から攻撃が開始された。流石にこれは、お茶を飲みながら躱すという訳にはいかない。椅子から立ち上がり、ファイティングポーズを取る。集中力を研ぎ澄まし、風鳴りや草木の動揺、小鳥の羽ばたき等の中から、僅かな機械音を聞き分ける。そしてそれが途切れた瞬間、彼女はそこへ向けて電撃を発射する。機械音は銃身を動かす、つまり照準を定めている時の音。これが聞こえる間は、銃撃して来ない。これが、彼女を取り囲むあらゆる位置で起こっているのだ。その数は全部で幾つあるのか、全くわからない。
 と、そこで思わぬアクシデントが起こった。第三者の介入である。
「瑞科さん! 今、爆発音が……」
「! いけない、来てはダメ!」
 男の出現で、心に動揺が生じたのだろう。瑞科はほんの僅か、光線の発射に対応するのが遅れた。その光弾は彼女の脇腹を掠め、衣服の一部を毟り取る。その様を見た男は、思わず懐から銃を抜き、戦闘態勢を整える。
「いけない、逃げて!」
「何言ってるんです、俺だってアシストぐらいは……」
「狙いはわたくしだけです、しかし流れ弾が貴方を襲う危険があります!」
 掠められた脇腹を庇いもせず、瑞科は次々に砲台を破壊していく。その様を、男は呆然と眺めている事しか出来なかった。

***

「はあぁ!? く、訓練? アレがですか!?」
「ええ。いつ始まるかは知らされていない、抜き打ちの訓練です」
「……今日って、休暇中ですよね?」
「はい、お休みですよ。それが何か?」
 男は、もはや何も言えなかった。そして『サンドイッチを台無しにされてしまいました』と言う瑞科の要望に応え、精一杯の礼を尽くしたという。

<了>