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<東京怪談ノベル(シングル)>


外道忍群(5)


 まるで日本人形のような、可愛らしい女の子である。
 自分が男であったら、戦いを躊躇っていたところであろうか、と水嶋琴美は思った。
 思いながら踏み込み、クナイを振るう。
 斬撃用の大型クナイが、しかし空を切った。
 七五三のような格好をした幼い女の子が、琴美の斬撃をかわしたのである。
 後方へ、ではなく左右へ、でもなく上空へだ。
 それは、跳躍と言うより飛行であった。
「さすが犬、足は速いし牙も鋭い! けど、あたしに勝てるワケなぁあああああああい!」
 身長ほどに伸びた黒髪を、空中で振り乱しながら、女の子は叫ぶ。
 その髪を掻き分けるように頭からは、木の枝のようなものが生えている。
 角、であった。
 着物の裾と一緒にたなびいている蛇のようなものは、どうやら尻尾である。
 人外の生物……恐らくは竜の遺伝子を、その小さな身体に組み込まれた女の子。
「そーらそらそら焦熱地獄! ポシンタンになっちゃえ!」
 愛らしい唇から、炎の吐息が迸った。
 路面を舐めるように降り注ぎ走る、紅蓮の波。かわしながら、琴美は駆けた。
 躍動する左右の太股に、巻かれたベルト。そこから、光が走り出す。
 ベルトに収納されていた小型のクナイを、琴美は引き抜き、身を捻りながら投擲していた。
 いくつもの光が、地上から空中へと閃いて翔ける。
「くっ……!」
 竜の幼女が、悲鳴を噛み殺す。そのせいで炎が止まった。
 小さな全身で、着物がズタズタに裂けていた。微かに、鮮血も散った。
 致命傷を避けたのは、さすがと言っても良い。
 血染めのボロ布をまとった状態のまま、女の子が尻尾を引きずり、墜落する。
 墜落しながらも、よろよろと小さな身体を立ち上がらせ、琴美を睨む。
「このっ……権力の犬! 犬のくせに! 牝犬のくせにぃいいいいッ!」
 愛らしい顔が、可憐な唇をめくって牙を剥く。その口から、またしても炎が吐き出される……寸前。
「やめて! もうやめて下さい!」
 セーラー服姿の少女が、戦いの場に飛び込んで来た。竜の幼女と琴美との間で、両腕を広げている。
 先程、デモ隊の男たちに暴力を振るわれていた少女だ。
「何で、こんな戦い! しなきゃいけないんですか!」
「ば、馬鹿! どきなさいよっ!」
 竜の幼女が、吐こうとした炎を慌てて飲み込んだ。
「素人はすっこんでなさい! このクソ牝犬をぶっ殺すのはねえ、あんたたちを守るためにも必要な事なんだから!」
「山の人たちは確かに、この町を守ってきてくれました。それは感謝してます……だけど、この人だって! あたしを助けてくれました!」
 少女が叫びながら、琴美の方を振り向いた。
 いや。そこにはもう、琴美はいない。
 疾駆、跳躍。そして、竜の幼女の背後に着地する。
「戦闘中のお喋りは、控えるように……忍びの戦の、基本ですわよ?」
 可愛らしい耳元に囁きかけながら、腕を回す。
 しなやかに鍛え込まれた細腕が、竜の幼女の華奢な頸部に、背後から蛇の如く巻き付いた。
 力強いほど豊麗な胸の膨らみが、角の生えた頭に押し付けられる。
「はっ放せ牝犬! この馬鹿みたいな脂肪の塊で、あたしを圧殺しようったって!」
 このまま力の入れ方1つで、幼い女の子の頸椎など、容易くへし折る事が出来る。
 それをせず、琴美は囁いた。黒髪に隠れた可愛い耳に、問いかけを吹き込んだ。
「彼女もろとも、私を焼き払う事も出来たはず……何故、それをなさらなかったの?」
 もちろん、あんな正面から炎を吐かれたところで、回避するのは容易である。琴美1人ならばだ。
 飛び込んで来た少女の身を守りながら、竜の炎をかわす事が、果たして出来たかどうか。
 最悪、琴美だけが炎をかわし、少女だけが無残に焼け死んでいたかも知れない。
 そうならなかったのは、この竜の体質を持つ女の子が、吐きかけの炎を慌てて飲み込んだからだ。
「この町を守る……少なくとも、貴女のその言葉に偽りは無し。少しだけ、見直してあげてもよろしくてよ?」
「……さっさと殺しなさいよ、牝犬……」
 竜の幼女が、呻いた。
「あんた1匹だけで、あたしらを止める事なんて出来やしない。日本っていう腐りかけの国がねぇ、生まれ変わるのよ。この町を中心に、何もかもが変わる! あたしたちが変えるの! 牝犬1匹だけイキがったって無駄無駄無駄! あたしを殺して、ちっぽけな勝利をせいぜい喜ぶがいい!」
「やはり……この発電所で、貴女たちは何かをなさろうと」
 喚く幼女を捕えたまま琴美は、城郭の如くそびえる発電所を横目で見上げた。
 表向きは原子力発電所、という事になっている地熱発電所。
 原発と比べて遥かに安全なはずのエネルギー施設で、何やらあまり安全ではない事が行われようとしている。
 それを、この竜の幼女から聞き出すために、いくらか時間をかけるべきか。
 あるいは即座に発電所へと殴り込み、巧遅よりも拙速を尊んで情報不十分なまま殲滅を決行するべきか。
 琴美は思案した。
 その思案が、ある重大な見落としをもたらした。
「きゃああああああ!」
 悲鳴を上げながら、少女が宙に浮いている。
 セーラー服の似合う、その細い身体に、何匹もの蟲が嫌らしく巻き付いていた。
「うっ動くなよォー水嶋の嬢ちゃんヒヘへへへへ。ちっとでも動いたらよぉ、この貴重な貴重なセーラー服JKちゃんを雑巾みたく絞らなきゃならねえ。んな勿体ねーコトさせんなよぉおおおお」
 包帯でぐるぐる巻きにされた肥満体。その巨体のあちこちから、ゴカイあるいはオニイソメのような蟲たちが、おぞましく生え伸びている。うち何匹かが、少女の細い身体を、絡め取ったまま高々と持ち上げているのだ。
「貴方は……!」
 琴美は息を呑み、己の迂闊さを噛み締めた。
 卑劣な手を使う敵よりも、そのような敵の接近を見落としていた自分自身が、許せなかった。
「ちょっと、何やってんのよ!」
 琴美の腕の中で、竜の幼女が怒り狂う。
「あたしたちは、この町を守らなきゃいけない! それも忘れちゃうくらい、身体だけじゃなく脳みそも腐ってるわけ!? 前々からクソ野郎だとは思ってたけど!」
「前々からよォ、おめえにゃコイツをブチ込みたくてしょーがなかったぜぇえええ!」
 蟲の1匹が、嫌らしく凶暴にうねる。
 他の蟲たちが、じたばた暴れる少女を拘束している。
 拘束した少女の身体を、男は楯の形に掲げていた。
 琴美も、竜の幼女も、一切の動きを封じられた。
「クッソ生意気な牝犬にメスガキがよぉおお、2匹まとめてカラダじゅうの穴ぁブチ抜いてやっからよォー! イイ声出しながらキモチ良ぉく死んでくがいいぜギヒヘヘへへへへへ」
 蟲たちが一斉に牙を剥き、伸びうねり、襲いかかって来る。
「…………!」
 竜の幼女が、青ざめた。無意識に、であろうが琴美の胸にしがみついてくる。
 その小さな身体を、琴美は抱き締めた。左右の細腕で、守り庇った。
 何故そんな事をしているのかは、自身でもよくわからない。
 風が吹いた、ような気がした。
 蟲たちが1匹残らず、空中で切断されていた。そして琴美の周囲で路面に落下し、ビチビチと暴れながら弱々しく萎びてゆく。
 何が起こったのか、を考える前に琴美は跳躍していた。左腕で、竜の幼女を抱えたままだ。
 蟲に捕われていた少女が、解放されていた。セーラー服の似合う細身に、切断された蟲の死骸がまとわりついている。
 そんな状態のまま、少女も落下してゆく。
 路面に激突する寸前で、琴美は抱き止めた。細く優美ながら強靭な右腕が、少女の細身をしっかりと受け支える。
「ぐ……ぎゃあ……あがががががが」
 男が、悲鳴を漏らす。
 肥満したミイラ男のような巨体が、ずるりと崩れ落ちていった。人型が完全に失われるほど、ズタズタに切り刻まれている。
 琴美は、何もしていない。
「て……てめえ……裏切りやがるか……」
 切り刻まれ、崩壊しながらも、男が呻く。
 その様を見下ろすように冷然と佇む、細い人影。
 まるで人形の如く気配に乏しい細身を、黒い忍び装束に包んでいる。
 下忍たちと、同じ格好……いや、違う。
 ゆらりと琴美の方を振り向いたのは、能面であった。
 白い、まるで幽鬼のような若女の面で、素顔を隠している。
 左右それぞれの手には、琴美の得物と同じ、大型の斬撃用クナイが握られていた。
 若女の面の下で、両眼が鋭く冷たく輝いている。
 素顔はわからない。眼光だけを、琴美は感じた。