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それは果たして何者であったか
今にも動き出しそうな金属の像がいつからそこにあるものか誰も知らないのだが、嘆きと苦悶を刻んだ美貌は見惚れるに値するものであったもので、誰もそこにあることに――つまり、美術館にあることについては疑問には思わなかったらしい。
尤も見える者が、聞こえる者が近付けば、その像が発している叫びと感情は露わであるし、それがただの金属では無く、この世ならぬ魔法のそれであることも明らかではあったが、現状、生憎とこの美術館にそうした客は訪れておらず、つまり、彼女――像の叫びが誰かに届くことは今のところ、なさそうであった。
事の起こりを、彼女は思い出している。
金属の像になって居る彼女は一応のところ、名前もあるれっきとした意思を持つ存在であった。ファルス・ティレイラと言う少女である。ひょんなことからこの美術館の館長から依頼され、美術品を荒らし回る盗賊とやらの撃退依頼を受けたのであった。多少の心得があるティレイラは二つ返事に引き受けたのだが、それを早くも後悔する羽目になった。
閉館後の美術館を歩き回る怪しげな人影を見つけ、本来の姿である被膜のある翼でもって盗賊――少女の姿をしていた――の先回りをし、強引に押さえつけたのが先程。
もみ合ううちに、身体に何か冷たいものがかかったのがついさっき。
そして現在である。
少女は空になった瓶を落として、ティレイラを見下ろし、ふん、と鼻を鳴らした。
「そこそこの魔力があるようね。綺麗な金属になりそうだわ」
言われる内にティレイラは気付いた。身体が段々と動かなくなっている。怯えるティレイラの表情を少女は愉快そうに見下ろしていた。
――身体が徐々に力を失い、ティレイラの羽が床に落ちた。脱力していく己の身体に怯えて涙目になりながら、ティレイラは少女姿の盗賊を見上げる。彼女の唇が弧を描き、ティレイラの眼を真っ直ぐに見ていた。
尻尾も落ちる。
「な、何、何よこれ!」
「ん。今起きてる通りの出来事が起きる液体」
必死の思いで抵抗しつつ叫べば今一つやる気のない回答だけが帰って来る。それはそうだけども、と危うく納得しそうになって、彼女はかろうじてまだ動く首を横に振った。
「そ、そうじゃなくって!」
「じゃあ何」
「ええと――」
尋ねるべきは山ほどあった様な気がする。何で盗みをしているのかとか。これどうすれば助かるのかとか。そもそも目の前の彼女が何者なのか、とか。ところが脱力していく身体のせいで思考が全くまとまらず、ぐるぐるしている間に咽喉もとまで硬直がやってきて、ティレイラは叫んだ。
「とにかく元に戻してーー!」
「あ、それは断る」
さらりと無情に返された言葉が、彼女の最後の一言だった。それきり、ティレイラは全身が固まってしまったのであった。
綺麗に固まったティレイラを少女はしばし見下ろしていたが、やがて、その身体を引っ張ろうとして――うん、と頷いて手を止めた。ティレイラは一応平均的な15歳の女の子くらいの体格はある。それがまるごと金属化している訳だから、その重量たるや推して知るべしであった。
(綺麗なのになぁ、残念だこと)
固まった金属の質感もそう悪くは無い。魔力に呼応して金属化するものであるから、どんな金属になるかはその時次第なのだが、これを使った判断は悪くなかったと彼女は独り満足して頷いた。閉館後の静かな美術館の中、しばし固まったティレイラの周りをくるくると回り、固まった尻尾と翼を突いて、その出来に満足した様子で一人愉悦の溜息を吐き出す。己の物に出来ないのが改めて残念ではある、が――
(また、準備をして盗みに来ればいいか)
一人で納得して、彼女は固まったティレイラをごろりと転がし、何とか展示品の隙間に見目よく並べると。
そのまま、愉しげに去って行ったのだった。
ここまでが、ティレイラの顛末である。
(…んもー! 動けるようになったら絶対覚えててよね…!!!)
泣きたくても泣けないティレイラが、美術館の隅で叫ぶ声は、今のところ、誰にも届く気配はない。
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