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<東京怪談ノベル(シングル)>


然るべき閉幕を

 某月、新月。

 月が無かろうと東京の夜は明るく、昼間に負けぬほどの賑やかさを誇っていた。

 水嶋・琴美(8036)は摩天楼の天辺から夜の東京を見下ろしていた。都会のにおいを乗せた夜の風に琴美のくの一装束が靡く。

『次の新月の日を待つが良い』

 琴美が思い返すのは、先日見た『悪夢』の出来事だ。彼女の夢に入り込み、琴美を精神から破壊せんと目論んだ怪奇が今際に放った言葉。
 唇を引き結んだ琴美は考えていた。

『夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊』
『自殺へ誘う怪奇』
『モノノケメトロ』

 これらは間違いなく、繋がっている。

 死の恐怖。負の感情。
 そして『悪夢』――何かから命を受け、琴美を殺そうとした怪奇。

 なぜ『悪夢の怪奇』は琴美を抹殺せんとした?
 琴美が憎いから、邪魔だから――ならば何故?
 おそらく、あれらの怪奇を討ち取った事が、何者かを邪魔する結果となったのだ。

 上層部に一連の出来事は既に伝えてある。すると上層部は彼女に「全事件の解決」という任務を発令した。
 『悪夢の怪奇』が言ったことは罠かもしれない。
 それでも、看過することは出来なかった

 と、その時である。
 琴美は不気味な気配を感じ取っては、そちらへ鋭く顔を向けた。

「来たか、水嶋」

 含み笑いのそんな声。
 そこにいたのは、古風な装束――土着的な信仰の『高位な存在』を思わせる豪奢さだ――を纏った女。
 一目で琴美は理解する。

 怪奇だ。
 それもかなり高位の。

「御機嫌よう。私の名前をご存知なのですね」
 琴美は静かな笑みを浮かべつつ、怪奇の様子を窺った。取り敢えず、敵意は無さそうではあるが。
「貴方のお名前をお尋ねしても?」
「怪奇で良い」
「そうですか。……単刀直入にお聞きしますが、あの『悪夢』を私へ差し向けたのは貴方ですか?」
「そうだ」
 怪奇はあっさりと頷いた。
「では……『夜な夜なビルの合間を飛び回る白い幽霊』、『自殺へ誘う怪奇』、『モノノケメトロ』、これらも貴方が関わっていると?」
「その通り」
「なんとも、躊躇せずに肯定なさるのですね」
「事実であるからな」
「成程」
 一つ頷き、琴美は言葉を続けた。
「状況を鑑みるに、貴方は私を殺したいようですが……。こうして呼び出すようなことをしたり、問答無用で襲い掛かられないのは何故ですか?」
「お前を仕留めるのは骨が折れそうだからな。……お前は本当に人間か? 実は怪奇<我々と同じ>ではあるまいか」
 琴美の恐るべき戦闘力に対し、ちょっと揶揄するように怪奇は言った。
「私は人間ですわよ。立派な、列記とした、ホモサピエンスでございます」
 貴方達とは違います、と琴美は苦笑交じりに答える。と、表情を戻した琴美は続けて曰く、
「しかし、貴方はどうやらかなり御高等な怪奇であるとお見受けします。貴方ほどの存在ならば、私など一ひねりでは?」
 試すような物言いだった。
「どうだかな」
 怪奇も琴美と同じような態度に出た。試すような言い方で肩を竦めて見せると、
「それは最終手段だ。お前の尋常ならざる強さには敬意を抱いている。互いに満足いくところで話をつけられればそれが最適ではないか?」
「今夜は私と話し合いに来たということですね」
「左様」
 怪奇が頷き、一間の静寂。
 互いにその場からは動かず――口を開いたのは琴美。
「……貴方はなぜ、『あんなこと』を?」
「我は生物の魂と感情を喰らう怪奇だ。これでも長い時を生きていてな……並大抵の感情では満足できなくなった。ならば美味い感情を作ろうと」
 それで怪奇の発生を促し、自殺者を増やし、絶望や恐怖を増やし、それを喰らうことを目論んだのだという。
「それをお前が邪魔をするから。それに抹殺も上手くいかない始末」
「別のものを食べる、などは不可能なのですか?」
「お前、明日から土を食っていけと言われたらどう思う? ……これでも死にそうな人間を狙っていたのだが、それも駄目、と」
「私としては、人間に危害を及ぼさないのであれば敵対する理由などないのですが……」
 今度は琴美が、浅くだが溜息を吐く番であった。

「おそらくですけれども、この話し合いに意味はないようですわ」

 くの一は冷然と言い放つ。真っ直ぐ向けたその瞳は揺らぎない。
「何であろうと、人々の心に干渉し死に追いやり絶望を味わわせた罪を、私は赦すことはできません。そしてここで貴方を放置すれば、新たな悲劇が生まれる」
「分かり合えない、と」
「残念ながら、そういう事になりますわ」
 半歩。片足を引いた琴美が身構える。

「水嶋・琴美の名の下に――怪奇。貴方を討ち取ります。全ての悲劇に幕を引く為」

 太腿のベルトから両手に構える黒いクナイ。
 怪奇はくつくつと不気味に肩を揺らした。
「人間風情が、愚かなことだ」
「どちらが愚かかは、じきに分かることでしょう」
「饒舌な女だ。その舌引き抜いてくれようぞ!」
 ざわりと生えた怪奇の尻尾。先端が槍の穂先状になったそれが超速で琴美へ襲い掛かった。
 琴美はそれを宙に舞う羽根の如く、ふわり。刹那の間合いで回避する。
 その時には両手のクナイが踊っていた。一つは怪奇の尾を切断し、一つは投擲され――怪奇の眉間に突き刺さる。
 刺突の衝撃に怪奇の頭部がガクンと後方に揺れた。
 けれど怪奇は、邪悪な笑みと共に眼球だけで琴美を捉え。

 びきり、びきり――何かが軋む音。

 クナイが刺さった所を中心に、怪奇の額が割れてゆく。
 そして、まるで脱皮のように……女の皮を脱ぎ捨てて現れたのは、悪魔めいた外見の巨大怪奇だった。
 轟。咆哮は衝撃波となって大気を揺らす。コンクリートや電球が壊れる。
 琴美は咄嗟に横に跳び、物陰に隠れて暴力の波をやり過ごした。
 その直後にはもう、蝙蝠状の翼を広げた怪奇が琴美の頭上から鉤爪を振り上げていた。
 ビルを抉る一撃。
 琴美は跳ぶのではなく、爪の隙間に体を柔軟に潜り込ませて免れた。同時にクナイを3本投擲し、怪奇の左胸、首、脳天に突き刺さらせる。
 だが――

「効かんな」

 平然と。
 怪奇が再び爪を振るった。
 瓦礫が飛び散る最中、琴美は大きく跳躍して距離をとる。
(なんて堅固な外殻……!)
 対怪奇戦闘用特殊合金製のクナイが、たった刃先数ミリしか刺さっていない。
 ならば。
 怪奇の凄まじい攻撃を軽やかにかわしながら琴美は再度クナイを投げた。怪奇は効かぬ攻撃だと防御も回避もしない。
 それが命取りとなることも知らずに。

「ギャアッ!」

 悲鳴。
 両目にクナイが突き刺さった怪奇が発したもの。
「眼球まではご自慢の外殻で護れなかったようですわね?」
 悶える怪奇の耳元で、妖艶な囁き。

「これで、終わりにしましょう」

 そう言う琴美の両手には大量のクナイ――対怪奇用特殊爆弾付きの。
 三日月の弧を描く跳躍。
 投擲されたクナイ達が、浅く、けれど確かに、怪奇の頭部を中心に大量に突き刺さる。

「恨み辛みはあの世にて。――さようなら」

 起爆は、琴美の着陸と同時だった。
 大爆発。
 怪奇を滅ぼす爆炎が、それを灰も残らず焼き尽くした。
 やがて吹いた都市の夜風が、その場を綺麗に洗い流す。跡形も無く。


「こちら水嶋。――任務完了でございますわ」


 新月の暗い夜は終わりを告げる。
 東には新しい太陽――産声の朝日が、微笑む少女の凛とした横顔を照らしていた。



『了』



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水嶋・琴美(8036)