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<東京怪談ノベル(シングル)>


緋色を纏う刃 1

大理石の床を高らかに鳴らして、優美に歩いていく一人の女性社員にすれ違う誰もが振り返り――特に男性社員たちは鼻の下を思いっきり伸ばして見惚れる。
通気性のよい紺地の上下にブラウンのパンプス、という商社社員らしい姿だが、それを着こなす人間の見事なスタイルが目を引くのだ。
豊満、の一言でしか言い表せない胸を包み込むのは、質のよさそうなシンプルな白いブラウス。その上にきっちりとした紺地のタイトスーツを羽織っているが、隠すどころか、一層目を引き付ける。
さらに見事な曲線美を描く臀部や引き締まった太腿を包む紺地のタイトスカート。そこから覗くほっそりとした足を覆う黒のストッキングが男心をくすぐってしまう。
何とも罪造りな社員だが、セクハラやパワハラといった被害は受けていない。
それもそのはず。凛としたその振る舞いや姿が下心を持った男たちを寄せ付けない上に目の敵にしそうな女性社員たちからは尊敬と憧れの眼差しを持って迎えられていた。
もっとも、そのような下種な人間が何かしようものなら、手ひどい返り討ちにあっていたのは間違いないだろう。
颯爽と歩くエリート社員である彼女。その正体は自衛隊特務機動課のトップ、水嶋琴美なのだから。

「では、この条件で交渉を進めます。先日のプレゼンであちらも我が社の条件が最も良い提案と、かなりの好感触を得ていました。もう少し煮詰めて、丁寧に進めればよろしいかと」

会議室のホワイトボードに書かれたプレゼンの内容をよどみなく説明し、にこやかに微笑んでみせる琴美に同席していた課長をはじめとする社員たちは一瞬、ぼうっとなるも、即座に正気を取り戻し、拍手喝采を浴びせた。
隙のない完璧な提案に計画。難攻不落とまで言われた上場企業の契約を取りつけるまでに至ったプレゼンテーション能力は賞賛に値した。

「素晴らしいよ、水嶋君。これで更に業績を伸ばせるぞ」
「いいえ、私は皆様の『優れた』企画と提案をまとめただけです。進行の手順も全て決めてくださったおかげで、安心して勧められただけですから」

手放しで褒めちぎる課長に琴美は小さく首を振って謙遜し、拍手を送りながらも、憎悪に燃えた眼差しで睨みつける男性社員を見て、優雅に歩み寄ると、手にしていたファイルを彼の前に置いた。

「ファイルをお返ししますわ。当初の予定通り、私の役目は終わりました。後はお任せしますわ」
「?!……あ、ああ、分かった。元々、俺の仕事だったからな。派遣でしかないお前には分不相応な仕事だったが、助かったよ」

一瞬呆気にとられるも、千載一遇のチャンスとばかりに男性社員は下卑た笑みを浮かべ、口の端を歪ませ、わざとらしく琴美を貶める。
それが周囲の不快感を招き、怒りと不信を買っていると気づかない時点で、無能だと琴美は心の中で見下すと、笑みを崩すことなく、会議室を後にした。
その背を見送り、男性社員は課長や他の社員に媚びうるように笑いかけ――凍りついた。
居合わせた課長たちから送られたのは、鋭く冷たい蔑みの眼差し。こうもあからさまに他人の――しかも立場の弱い派遣社員から堂々と手柄を奪い取れば、当然の結果だった。

「あああああ、あの課長」
「確かに、当初は君の仕事だったが、成果が上げられずに水嶋君に押し付けたそうじゃないか」
「必死でフォローしてくれた上に契約まで取りつける、という成功になったら奪い取る、か……君は少し考え直した方がいいな」
「この件は引き続き水嶋君に一任すべきです。あちらも水嶋君なら、とおっしゃっておりますから」

慌てふためく男性社員に浴びせられたのは、容赦のない断罪と痛烈な非難。
結局、一言の弁明もできず、男性社員がこのプロジェクトから外され、降格処分を下されたのは言うまでもなかった。

「なるほど、一般企業でも水嶋の有能ぶりはいかんなく発揮される、ということか」
「買いかぶりすぎです。それで、私の本来の仕事は?」

くっくと愉快そうに笑う上司に琴美は小さく肩を竦めつつも、鋭い視線で問いかける。
オフィスで残っていた事務処理をしていた琴美の携帯が振動し、メールの着信を告げる。
さりげない仕草でそれを取ると、席を立った。誰一人として疑わない、ごく自然な動き。
だが、送られてきたのは本来の仕事――この会社の運命を一変させる重要な内容だった。
指示された通り、人目につかない地下の古びた事務倉庫。
床に置かれた一本のろうそくが揺らめくそこに踏み込んだ琴美を待っていたのは、使い込んでくたびれた清掃員の制服に身を包んだ一人の男――同じ特務機動課の上司。
手の込んだ連絡手段ではなく、誰もが利用する機能を使って、疑いを持たせないのはさすが、と琴美は感心しつつも、凛とした態度は崩さなかった。

「お前の潜入ぶりにも感心するよ、水嶋。で、今回の任務だ。読み終わったら、この場で燃やせ」
「! ここにスプリンクラーは? 警報装置が作動する可能性は」
「ない。最新鋭のシステムを採用していても、旧社屋の、しかも地下にそんな金はかけていない」

琴美の質問を見透かして、平然と答える上司につくづく感心しつつ、琴美は手渡された指令書の封を破り、内容を一読し――わずかに顔色を変え、ろうそくにかざす。
燃えやすい材質なのか、かざした途端、即座に火が付き、手を放したと同時に燃え尽きる。

「任務了解しました。行動開始は?」
「今日の夜、だな。一度、オペレーションルームに戻って、詳しく内部状況を確認すべきだろうな。新たな情報を入手しているとの報告もある」
「分かりました。では、終業後、そちらに向かいます」

敬礼もせずに踵を返す琴美を見送りながら、上司は優れた部下の姿を見て満足そうに微笑んだ。

格安、手ごろな値段ではないが業界では良心的な値段を提示し、報酬以上の働きをする警備会社。
そんなところでは、派遣される警備員はいい加減で、営業の見栄、と思われがちだが、その教育はきっちりと行き届き、どこよりも頼れる組織力と警備能力で信頼を集め、今や業界トップ3に食い込む勢い。
そんな報告を聞きながら、琴美はいつもの、着慣れた戦闘服へと姿を変える。
堅苦しいタイトなスーツと白のブラウスを脱ぎ捨て、身体にフットした黒のインナーを着込むと、豊満で引き締まった胸と体のラインがくっきりと浮かぶ。
覆うように両袖を落として、ノースリーブ状にした着物を纏い、かっちりと帯でまとめ上げる。
ほっそりとした両手には革のグローブをはめ、男たちを虜にした両足を編上げのロングブーツを履く。
優美な線を描く臀部にフィットする黒のスパッツを隠すミニのプリーツスカートは一層目を引き付けてしまう。
男たちの目を奪うだけの美貌の女、と侮れば、凄まじい反撃を食らうなど、誰も思わないだろう。
華麗にして妖艶なる戦闘服に身を固め、琴美は地下通路を抜け、警備会社から数百メートル離れた空きビルの地下に向かった。
薄暗い通路の先に、人1人がやっと通れるほどの鉄製のドアを見つけ、琴美は迷うことなく、ドアノブに手を掛け押し開ける。
一瞬、眩いLEDの光に目を細める。
そこに広がっていたのは、壁に貼り付けられたメインスクリーンと半円状のテーブル。そこに敷き詰められるように並べられたパソコンに向かい合うオペレータたち。
わずか数日前には存在しなかった地下オペレーションルームに琴美は若干驚きを露わにする。

「来たか、水嶋」

先刻の作業服を脱ぎ捨て、いつもの制服をきっちりと着こなした上司に琴美は背筋をただし、敬礼をする。
軽く片手を上げて、それを止めさせると、上司は一歩後ろに控えていた補佐官が差し出した書類を受け取ると、琴美に手渡した。
即座に一読し、琴美はまぁ、と眉をひそめた。
そこに記されていたのは、潜入していた警備会社の裏の顔。
海外系のマフィアや国内のヤクザ、果ては反政府組織に至るまで、巨額の依頼料さえ受け取れば、あらゆる武力行使を行う闇の傭兵部隊。
主義も主張もなく、命じられるまま、企業や政府に危害を加える凶悪な組織だ。
世間には超優良企業として売り出しながら、一歩裏返せば、闇社会に兵士を貸し与える傭兵集団とは誰も思わないだろう。

「潜入していましたが、このような裏の顔があるとは気づけませんでしたわ。不覚でした」
「恥じ入ることはないぞ、水嶋。潜入はお手の物の情報部がなかなか尻尾を掴めず、最終的には機密情報部に協力を依頼してやっと掴んだんだ。やつらは二重三重に姿を隠していた、ということだ」
「では、彼らのトップはかなりの曲者ということですわね」
「そういうことになるな……水嶋、お前の任務は傭兵部隊で『棟梁』と呼ばれる男の暗殺だ。奴はあと一歩まで追い詰めた機密の隊員たちを抹殺している。本件に関しては容赦はいらん」

厳しい表情を浮かべ、書類を補佐官に返しながら問う琴美に上官はいつになく厳しい口調で言い放った。
一瞬、虚を突かれたように琴美は呆気にとられた後、瞬時に表情を引き締め、敬礼を送った。

「了解しました。現時刻を持って任務に着任いたします」

いつもなら優美に微笑むところだが、鋭い表情で琴美は踵を返すと、通路の闇に消えた。


人気のなくなった警備会社の表口に漆黒に染まったトラックが一台停止する。
それを待っていたかのように、アスファルトで固められた道路の一部がゆっくりと下がり、地下へと続く広い通路が口を開けた。
トラックの運転手はゆっくりとアクセルを踏み込み、その通路へとトラックを滑り込ませると、入り口はゆっくりと閉じていく。
いつもと変わらない動作。いつもと変わらない非日常、と運転手は通路を進もうとした瞬間、運転席側の窓が軽くノックされ、思わずブレーキを踏んだ。
トラックを止め、車外に飛び出した瞬間、首筋に強烈な激痛が走り、そのまま意識を手放す。
意識が完全に闇に落ちる寸前に運転手が見たのは、冷やかな眼差しをした一人の女―水嶋琴美の姿だった。