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<東京怪談・PCゲームノベル>


Track 30 featuring 伊武木・リョウ

 ぴろりん、と音がする。
 無駄に可愛らしい電子音。先日、何となく気まぐれでネットの海から拾ったもので、この相手からのメールが届いた時にだけ鳴るように設定している音になる。

 …この相手でこの音って想像すると莫迦っぽくて何か笑えるから、面白いと思って。

 メールを開いて内容を見た時点で、んー、と軽く唸って考え込んでみる。と言っても、別にメールの内容について本気で悩んでいる訳でも――悩む程の事でも無い。これはただの頭の体操。最近知り合った相手から届くナンプレ――ナンバープレースの問題。9×9のマスに、ルールに従って1から9までの数字を入れて行く、と言うささやかでシンプルな――けれど作り手によっては幾らでも難しくも易しくも出来る奥の深いパズルゲーム。…どういう流れだったか忘れたけど、前にこのメールの相手と何となくそんな話になって、今は、お互いで気が向いた時に出題しては解き合って遊んでいる。別に暇な訳では無いのだけれど――何と言うか、日常業務と全然違う頭の使い方をするブレイクタイムをちょこっと入れた方が、結果として日常業務――大事な大事な研究の方も捗る節があるので、これもなかなか悪くないなとは思っている。

 のんびりまったりコーヒーブレイクを楽しみながら、頭の方ではちびちびこのナンプレを解いてみたりなんかするのは――なかなかに素敵な時間の過ごし方だと思う。

 近頃の俺の休憩の過ごし方は、こんな感じ。



 伊武木リョウはそんな風に思いつつ、メールで届いたナンプレ問題とにらめっこ。暫くそうしていたかと思うと、挽いた豆からじっくり淹れたブラックのコーヒーをちびりと口に含む。今日のお茶受けはカラメルとナッツのビスケット。甘さ控えめ…なんてケチな事は言わない代物で、そちらもひと齧り。
 コーヒーとは良く合う。うん。

 …うーん。あ、こっちのセルが4でこっちが8でいいかなぁ…って、あ、そうだ。

 つらつらとそんな益体も無い思考を巡らす時間を過ごしていると、ふと全然別の事を思い付く事もある――別の事に思い至れる事もある。今度はブレイクタイムではなく日常業務の方の事。生物兵器の開発――特に最近リョウが専門としているのは普通の人間に後天的な異能を与える為の研究になるが、幾らそれなりの能力も知識も持ち得ており、設備も素材も整っていたとしても――新たな領域へと切り込む以上、何だかんだで行き詰まる事は必ず出て来るもので。
 このナンプレタイムは、そんな行き詰まりを打破してくれる事も実際にあるから、また有難い。

 惜しげもなくナンプレ問題のメールを放り出して、行き詰まっていた研究の方に頭を持って行く。現在出ているデータを見直す。ここ数日、プリントアウトして何度かにらめっこしていたそれ――目の前に材料は揃っている筈なのに何かがしっくり来ず、実際にコンピュータ上のシミュレーションでは何度やっても失敗――想定しているのとは違う結果が出続けていたので、実験にまで持ち上げられずにいたものになる。
 リョウが今手掛けているのは、簡単に言ってしまうと薬物によるドーピング。…但し、先程『異能』と挙げた通り、効果が「あんまり普通の医学薬学では無い」方向のドーピングになる。…要するに、『こちら』がリョウの専門分野。虚無の境界の息が掛かった研究所に勤める類の研究者となれば、結局誰もがオカルティックサイエンティストになる。本来、それは別にIO2の研究員のみを指す呼称な訳でも無い――『こちらの世界』で言う「オカルティックサイエンティスト」は充分に一般名詞な筈だ。

 まぁ、そんな役職の呼称についての話はどうでもいいのだが…単純に医学薬学化学の範疇に収まる研究をしている訳では無い、とだけは取り敢えずはっきり主張しておきたい。それら『真っ当な世界』の学識だけでは無く、魔術やら錬金術と言った方面の知識や方法論も取り入れて――織り交ぜて、リョウのような者は諸々の研究に日々取り組んでいるのが日常である。
 で、今回は「人間以上の性能」をお手軽に発揮出来るようになるおクスリが作れないかな、とふと思い付いて、その為の方法論やらも新たに色々考えて――その結果、然程難しく考えなくとも実現出来そうだと思い、実際に色々とやってみているだけの事になる。まぁ、発想だけなら有り触れた発想の気がするが、別に誰かの後塵を拝するような真似をする気も無い。
 取り敢えず、有り触れている発想な分、そんなおクスリが完成したならばかなりの需要が出て来そうかな、とは見込める。少なくとも研究所の上の方は食い付きが良いだろう。…きっと、クライアントに理解させ易い――研究成果の意味を共有し易いだろうから。そしてそうやって研究所に貢献出来れば、その分研究費も多く下りて来る筈だし――そうなればもっと充実した研究環境が作れる…と言う現金な思惑が無いとは言わない。
 付与する能力の方向としては過去に自分が造った異能ホムンクルスの能力を参考にしてもいいか――いや、それではただの二番煎じか。…まぁ、予備実験としてならそれでやってみてもいいか。いやいや、そんな能力持たせるようなおクスリを使って普通の人間の肉体や精神の方が保つかと言う方が問題になるか。ああ、その辺りは使い捨てでいいと言う需要もあるかもしれない。その場合は一定時間保てばいいんだろうから…後の事を考えなくていいと割り切るなら臨床実験も大して要らないだろうし、結構すぐ出来そうだな。成長促進剤の時より余程簡単に出来そう。それもそれでありか。…いや、それやっちゃったらホムンクルスの子たちに何か悪い気もするかな?
 取り敢えず個人的には――本音のところでは、単純なドーピングどころか半永久的に安定して効果が持続するような、人体改造に近いおクスリなんか作っちゃえないかなぁ、とも考えているのだけれど。でも、それはもっと腰据えて掛からないと駄目だろうなぁ、とも同時に思う。
 どちらにしろ、今やってるのは――まだほんの取っ掛かりに過ぎない程度の研究なのだが。

 カラメルとナッツのビスケットをまた齧る。頭脳労働中なので糖分補給。行き詰まっていた当の件。どうにもしっくり来ていなかった、己の思考の迷宮に果敢に切り込んで行く――合わなかったピースがかちりかちりと上手く嵌って行くような心地好さ。…うん。行ける――素直にそう思えるくらい、脳内の電気信号が上手く伝達されている気がする。
 改めてコンピュータに向かい、幾つかのデータと計算式、化学式を再入力。更には薬品の魔術的精製用に組み込んだ魔法陣の一部も丁寧に書き換える。多分、引っ掛かっていたのはこれらの箇所――そう確信しつつ、再びシミュレーション開始。そして、結果を待つ――シミュレーションは結果が出るまでに少々時間が掛かるから、このまま暫く放置しておく必要がある。
 コーヒーをちびりと啜る。
 ほぅ、と軽く息を吐き、ちょっとした難題が解けた心地好さに、暫し浸る。

 が、結構すぐに、次に取り組もうかと思っていた研究課題の方に頭が行ってしまう。休む間も無い――と言うより、休むのが勿体無い、と言った方が正しい気がする。実際、休む気になれば幾らでも休める。シミュレーションの結果待ちなんか、例えば仮眠取るとか…休憩に当てて然るべき時間だと思うし。けれど、そんな時間の潰し方をするのはどうも勿体無いと思うのが先に来る。…いやいやそれ以前に、次の研究についてつらつら考え始めてしまう事自体が最早自動的と言った方が正しいか。こうやって考える事自体に改まった後付けの意味なんか無い。自分の心に照らせば、この思考の流れはごくごく自然な話になる。

 考えたいから考えてるだけ。
 研究がしたいからしているだけ。
 仕事がしたいからしているだけ。
 休むよりそっちが先。
 飲食する時間も、眠る時間も惜しくなる事がある。

 その方が自分が楽しいから。
 気が付けば、研究する事に夢中になっている。

 実際、自分の中では――「いつも通りの研究」イコール「一番楽しい遊び」、と普通に繋がるし。
 顔色が悪いとか時々言われて注意されたり心配されたりする事もあるけど、自分としては体調とか別に問題無いと思うんだけどなぁ。



 それから四時間くらい、思う存分気が済むまで研究の方に没頭してから…またちょっと頭の体操をする。さっき放置した、解く途中だったナンプレ問題。…気が付いたら飲み途中だったコーヒーも冷めていたので(さすがに四時間も放置していればそれは冷める)、そっちも淹れ直してからの事。
 新しいおクスリのベースラインも、やっと事前の想定通りにシミュレーション結果が出て目処が付いたし、そろそろまた頭が少し凝り固まって来た気もしたから――今の内に頭の体操がてらこのナンプレの方を仕上げて出題者に解答送っとこうかな。と思い立ったところになる。休憩の取りどころは何だかんだで全てが気分次第。そしてその方が――自分のペースに従った方が、結果的に色々と効率もいい。
 …元々、今回メールで届いたこのナンプレは、全般として然程難しい問題でも無かった――ただ、何やら妙な癖があって、普段にも増して一歩立ち止まって考える必要がある問題だった。…いつものこの相手からのナンプレ以上に、またちょっと違った頭の使い方を要する問題。
 そんな違いを何となく感じて、何だろ? とちょっと疑問も浮かびはした。それでも何とか解き終え、解答メールを送り返そうとしたところで――それより前にまた、ぴろりんとメールが届いた。
 ナンプレ問題を送って来た当の相手――ハンドルネーム『Cernunnos』こと本宮秀隆から。

「お?」

 ――――――『お疲れ様。今日みたいなのがまた欲しかったら一声掛けてね』

 文面としては、それだけ。
 が、やけに意味深な内容でもある。
 メールが届いたタイミングからしても、意味深と言っていい気がする。…ナンプレの解答を送ろうとした、まさにその直前。
 …そう。まるで、こちらの状況――軽く行き詰まってた研究がこのナンプレで頭の体操をしていたら何となく上手く行った――を見抜いているかの如き文面では無かろうか。…そして、こんな感じのナンプレ問題がまた欲しかったら作ってあげる――とでも言っているような。
 そんな気がする。

 と。
 思ったら。

 殆ど同じタイミングで、何やら来客が来た。…事務方から内線でそう連絡が入った。外部からわざわざ連絡してここに来るような来客って誰かなぁと思いつつ、繋いでもらう――宅配ピザお届けにあがりましたぁ、とやけに粘ついた、人を食ったような――からかうような印象の嫌味っぽい声が聞こえて来た。…口調自体は男っぽいが、確かこの声女の子だった気がする、とは何故か記憶にある。

 …。

 …えーと、誰だっけ?
 勿論、言われた通りに宅配ピザの配達員だとは思っていない。と言うより宅配ピザなんか頼んでいない…と言うか業務上、そもそもここで宅配や出前の類を頼む習慣は無い。『やってる事』からして不特定多数に簡単に入って来られたら困る『カイシャ』でもある訳で、適当そうに見えてもその辺りは意外と徹底している。

 …。

 …駄目だ、誰だかわからない。
「ごめん、あなた誰だっけ。声に聞き覚えはあるんだけど…ここの研究所所属の人じゃないよね?」
(違ぇって。俺ァただのピザの宅配だっつの。本宮の旦那から頼まれてね)
「…あ。えぇと…確か『蝙蝠』ちゃんだったかな。『速水博士の遺産』の」
(お、思い出したか。伊武木の旦那の歳じゃあボケるにゃさすがに早ぇもんな?)
「ん? となると…」

 …今日みたいなのがまた欲しかったら一声掛けてね。
 これは単に、この『蝙蝠』ちゃんに――速水凛に持たせた差し入れ(だろう。多分)のピザの事を指していたのだろうか? とちらっと思う。…もしそっちの話だったなら、さっきのメールとこれは、普通にタイミングが合っているとも思える。メールの方が微妙にフライング気味ではあるが、まぁこのくらいのおちゃめな時差はあってもおかしくない。充分に普通の範疇。
 が、それは何となくしっくり来ない気もした。ピザの事を指しているとするなら、メール文面が無駄に意味深過ぎる気がしないでもない。
 となると、やっぱり初めに思った通りか。とも思う。…このナンプレ問題自体についての話。こちらの今の状況をわかっていて、わざわざちょっとひねったナンプレを出題して来た。…となるとここは建前上、研究内容が外部に漏れている事も疑った方がいい事になる――当然、俺の方では漏らしたつもりも無いし、漏れるような機密の扱い方もしていない筈なのだが――まぁ、この場合だとどちらにしても本音の部分では特に問題は感じない。
 相手が本宮であるなら、その手の異能の一つでもあるんじゃないかと思えるくらいにこちらの事を何でも見抜いて来そうな気がするし――同時に、当の研究内容を知ったところでどうせこちらに悪影響がありそうな事は何もして来ないと言い切れる。精々でするのはこのナンプレ出題やらピザの差し入れ程度。…本宮の興味は、悉くがそういう方向に向いている。
 つまりは彼の場合、研究内容どうこうより――俺個人の方に興味を持たれてる気がする。…何と言うか、人間の精神活動サンプル的な意味合いで。多分、彼はそれしか考えてない。…突き詰めれば俺が研究以外に殆ど関心が無いのと同様に。そんな意味で似た者同士って自覚してるから、この相手に研究内容が漏洩してるかもとか、その辺の煩わしい大人の事情的な意味では全然不安は覚えていない。
 が、もし彼がその辺りの事を承知の上で色々やっているとするなら、軽く感嘆を覚えはする。

(…本宮の旦那のする事あんまり考え過ぎねぇ方がいいと思うぜ?)
「ああ、いや、その辺は別にどうでもいいんだけど。彼相手の場合って黙って思惑に乗っかった方がこっちの研究にも都合がいい事多いから正直有難いし」
(…あっそ。んで、ピザどうするよ?)
「勿論有難く頂くよ。考えてみればちょうどお腹も空いて来たとこだし」

 あ、ひょっとしてそこも読まれてたのかもしれないね?
 …そうあっさり言ったら、『蝙蝠』ちゃんの方からは何だか呆れられてるっぽい気配がした。



 まぁ、そもそもがこの『蝙蝠』ちゃんにピザ持たせたのも彼なりの気遣いだろうって気がするし。彼女なら外部の者は外部の者だけど、この研究所に来るのもまぁありかなって程度には関係者――虚無の境界構成員だし、名前と素性もそれなりに知れてるから、『カイシャ』のセキュリティで無為に弾かれる相手でも無い。半面、本宮本人がもし同じように来たとしたら――差し入れ目的でも何でも、『カイシャ』のセキュリティに警戒されて即決弾かれる事は容易く予想が付く。
 …確かこの彼女も実験体。生物兵器を造ってるうちの研究所と専門が幾分被るけど、うちの『製品』とはコンセプトが違うらしい相手。取り敢えず、速水博士って呼ばれてるちょっと伝説的な変人の――もうとっくに死んだって事になってるけど実際のところははっきりしない虚無研究者の作になる。…えーと、確か彼女の場合って染色体弄られてて、能力の安定化が重視されてるクローンだったっけ? 俺、余所の研究にはあんまり興味が無いからはっきりしないけど。
 差し入れのピザ一枚が入った箱を直接凛から受け取り――すぐに箱の蓋を開けて一切れ取り出しつつ、そんな事をのんびり考える。何はともあれ、いただきまーすともぐもぐ咀嚼。食べ始めて改めて、自分の腹がやたらと減っていた事を思い切り自覚した。
 有り触れたピザチェーン店の一番スタンダードなピザなのに、何だか特別に美味い気さえする。

「…なあ、伊武木の旦那」
「ん? 何? ああ、幾らお腹空いてるって言ってもこの大きさのピザ一枚は俺一人じゃさすがに食べ切れないと思うから…蝙蝠ちゃんも食べるかい?」
「いや、要らねぇし。多過ぎるってんなら研究所の誰か呼んで一緒に食やァいいじゃん。…つか全然疑わねぇんだなぁ」
「? 何が?」
「俺がここに客として来たコト自体もだし、そのピザにも何かあるとか疑ったりしねぇのかなー、と」
 正直、ここに入る許可あっさり出されたのにはちょっとビビったんだけど。
 そのピザも、毒見も何も無く速攻で平然と食い始めてるし。
「ああ、だって蝙蝠ちゃんも本宮さんも、今、俺をどうこうして得になる事何も無いよね?」
「…」
「蝙蝠ちゃんて一見何するかわかんない感じで怖く見えるけど、そういう無駄な事するタイプじゃないし。蝙蝠ちゃんから見て俺は『遊び甲斐』のある相手じゃないでしょ? 敵対する必然も今のところ特に無かったと思うし――まぁ、後の事はわからないけど取り敢えず現時点ではセーフかなって」
 それに本宮さんの方は本宮さんの方で、何事も無く普通に生活してる俺、を時々ちょっかい出しつつただ観察するのが当面の目的、って感触だしね。
「…あ、今日の蝙蝠ちゃんはそんな本宮さんのお使いで来てくれてるって時点でまぁ大丈夫って判断出来るか」
「…。…そもそも俺が本宮の旦那の使いってのが嘘かも、とか疑わねぇの?」
「だから。そんな嘘吐いても蝙蝠ちゃんにとって何の得にもならないよね、って話だよ」
「…。…ま、アンタがそれでいいならいいんだが」
「うん。本宮さんとは付かず離れず持ちつ持たれつ、って感じで気楽にやってられるのがいいんだよね…あ、今度お礼はするねって伝えといてくれる?」

 と。

 何やら呆れたように苦笑している『蝙蝠』ちゃんに伝えたところで、また、ぴろりん。
 おや、と思い、また本宮から届いたメールを確認する。

 ――――――『礼なら現状で充分間に合ってるから気にしなくても。むしろそのピザがこっちのお礼。新たな生命を造り出せる優れた頭脳に最大級の敬意を払うのは当たり前だからね』

 そんな文面が届いていた。
 過去の研究成果を漏らした覚えも勿論無いんだけど、どうやらホムンクルスの事は承知と来たか。
 …と言うかそれより何より、やっぱりこっちの反応が全部見抜かれてる気がするんだけど。凄いねぇ。

「…他人の事言えないと思うぞ、伊武木の旦那」



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 登場人物紹介
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■PC
 ■8411/伊武木・リョウ(いぶき・-)
 男/38歳/研究員

■NPC
 ■速水・凛(蝙蝠、速水博士の遺産)

(メール越し)
 ■本宮・秀隆(Cernunnos)

(名前のみ/未登録)
 ■速水博士