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<東京怪談ノベル(シングル)>


喪服の戦女神(前編)


「刑務所……ですの?」
 自分もいずれ行く事になるかも知れない。水嶋琴美が常日頃、そう思っている場所である。
『詳しい情報が、まだ入って来ていない。確実に言えるのは……どうやら占拠されたらしい、という事だけだ』
「詳しい情報は、私が自分で入手しろと。そうおっしゃいますのね」
 山深い某県の、無人駅である。
 誰もいないホームで琴美は、スマートフォンを相手に会話をしていた。
「……何故、私が? 帰省中なのですけれど」
『君が一番、近くにいるからだ』
 司令官が、即答した。
 この県には琴美の実家、水嶋の本家がある。
 そして、死刑囚が特に多い事で全国的に知られた、とある刑務所が存在する。
 水嶋家から、そう遠く離れていない山の、奥深くに建てられた刑務所。
 そこで何やら、詳細不明の異変が起こったらしい。
 琴美が何故、こんな所にいるのかと言うと、曽祖父が亡くなったからだ。100歳を何年か超えての大往生である。
 葬儀のために休暇をもらい、帰ってきた。
 きちんと喪服を着て来たのだが、親戚一同の中には、琴美を見て眉をひそめる者も少なくなかった。
(やっぱり……短すぎ? ですかしら)
 スマートフォンを片手に琴美は、己の姿を見下ろし見回した。
 ブラウスも黒、ジャケットも黒。
 禁欲的な黒一色が、豊麗な胸の膨らみを閉じ込め、しなやかな胴のくびれを引き立てている。
 当然、スカートも黒い。瑞々しい白桃を思わせる尻にピッタリと貼り付き、両の太股を、いくらか際どい高さまで露出させている。
 形良く膨らみ引き締まり、攻撃的な色香を漂わせる左右の太股。黒のストッキングを穿いてはいるが、矯正の必要など全くないほど美しくスラリと伸びた脚線が、葬式には不必要なくらいに露わである。
 生前の曽祖父は、琴美が短いスカートを穿いて帰省する度に、鼻の下を伸ばして大いに喜んでくれたものだ。様々な意味で、元気な老人であった。
 だから琴美は、この短いタイトスカートで葬儀に出た。たとえ親戚一同の顰蹙を買おうと、死者への手向けという意味においては、これ以上の正装はあるまい。琴美は、そう思う。
 ちなみに親戚一同、例えば伯父や従兄弟たちといった男性陣は、生前の曽祖父と同じく大いに喜んで琴美を迎えてくれた。
 とにかく、葬儀は終わった。今から東京へ帰ろうというところで、この電話をもらってしまったのだ。
『いくらか早いが、休暇を切り上げてもらいたい。何しろ凶悪犯罪者ばかりの刑務所だ。何が起こったにせよ、その混乱に乗じて脱獄を図る者が出るかも知れん』
「そのような方々を、捕えろと」
 琴美の実家から、それほど遠くない山中の刑務所である。実家には、まだ親戚の子供たちもいる。
「生死を問わず……という事で、行かせていただきますわよ」
 言いつつも、琴美は思う。
 刑務所が、何者かに占拠された。司令官は、そう言った。
 何者であるのかは、自分が今から現地に向かい、調べ上げなければならない。
 ただ刑務所の看守や警備員、それに収監されている凶悪犯罪者たちよりも、強大な存在である事は間違いなかろう。
 生死を問わぬ対応を琴美がしなければならないのは、恐らく、その占拠者たちに対してだ。


 幼い女の子を3人、殺した男である。
 死刑判決が下り、だが当然と言うべきか執行される事なく10年近くを生き長らえて今に至る。
 同じ房で過ごした事もあるが、こんな男が何故と思えるほど、人当たりの良い親切な青年だった。
 今は、単なる肉塊である。死体と呼ぶのも躊躇われるほどに切り刻まれ、ぶちまけられている。弁護団があの手この手で死刑回避を図っていたようだが、全て無駄に終わった。
 詐欺師もいる。
 騙されやすい一般市民を何人も自殺に追い込んできた猛者で、詐欺師らしく会話の楽しい男であった。
 上手い話を垂れ流す口に電磁警棒を突っ込まれ、彼は絶命した。
 こそ泥もいる。
 罪状こそ軽い窃盗罪だが、今紹介した重罪人2名と比べても人間性は最低最悪で、私など何度殺そうと思ったか知れない。
 私が殺す前に、手を下してくれた者がいる。
 迷彩服に身を包んだ、屈強な男たち。全員、奇怪な仮面で素顔を隠している。
 ガスマスク、であろうか。
 もしそうだとしたら、この刑務所内に毒ガスを流し込む計画もあったのか。
 今のところ毒ガスなど使う気配もなく男たちは、様々な手持ちの武器で殺戮を行った。日本刀、警棒、鎖分銅にスタンガン。
 ここが日本でなければ躊躇なく銃を使ってもいただろう男たちによって、囚人も看守も皆殺しにされた。
 生き残っているのは、私だけだ。
 そして当然、私1人を見逃してくれるはずもない。
 迷彩服の男の1人が、私の眼前に肉塊を放り捨てた。
 私にさんざん不愉快な思いをさせてくれたこそ泥が、肉塊としか表現し得ぬ屍に変わっている。
 痛快な気分が、ないでもなかった。
 間もなく私も殺される。それも、痛快な話だ。
 すでに50歳を過ぎた身である。この歳で娑婆に放り出されるくらいなら、死刑になった方がましだ。
 死刑にはならなかったが、この男たちが私を死なせてくれる。
 目の前に立つ男が、ゆらりと得物を構えた。
 黒光りする、金属製のトンファー。男はこれで、こそ泥の頭を叩き潰してくれたのだ。
 ガスマスクのような仮面の下に、いかなる表情があるのかはわからない。
 私は、問いかけてみた。
「君たちは……正義の味方か? 法に守られた犯罪者を、義憤に駆られて始末しようと言うのか」
「…………」
 男は、何も答えない。
 違う、と私は感じた。特に根拠のない直感である。
 言葉も表情も仮面の下に封じ込めたまま、この男たちは黙々と淡々と、囚人・看守の差別なく殺戮を実行した。
 それは、明らかに作業であった。
 正義感など入り込む余地のない、何かしら実利的な目的を達成するための作業である。
 その作業を、男が続行しようとしている。
 重いトンファーが、横殴りに襲いかかって来た。
 頭を粉砕されて楽に死ねそうだ、と私は思った。
 思った瞬間、男の動きが止まった。
 私の頭を砕いてくれるはずだったトンファーが、床に落ちて転がった。握りの部分に、男の手首が貼り付いたままだ。
 手首だけではない。男のあらゆる部分が、滑り落ちてゆく。
 屈強な肉体が迷彩服もろとも、実に滑らかに切り刻まれていた。
「正義の味方ごっこは、ここまでにいたしましょう」
 幻聴か、と私は思った。
 涼やかで耳に心地良い、若い女の声。刑務所にいて聞こえるはずのないものだ。
「正義は勝つ。その展開を充分、堪能なさったところで……次は、悪が勝つ番ですわよ」
 聞こえるはずのないものが聞こえ、あるはずのないものが見える。
 天使。
 私は本気で、そう思った。
 黒衣の天使が、眼前に佇んでいる。
 喪服、であろうか。それにしては、スカートがいささか短すぎる。ヒップラインを強調する、以外には何の役にも立たぬであろう、ミニのタイトスカート。
 そこからムッチリと暴れ出すように現れた左右の太股には、黒のストッキングが貼り付いてはいるものの、その凶暴なほどの色香を全く隠せてはいない。
 ブラウスも黒、ジャケットも黒。その上からでも、格好良く引き締まった胴の曲線は見て取れる。
 喪服に閉じ込められた胸の膨らみは、美しさやエロティックさだけではなく、力強さをも感じさせた。このボディラインを維持するために、信じられないほど身体を鍛えているのは間違いない。
 しなやかな肩や背中をサラリと撫でる感じに伸びた黒髪は、清楚そのものだ。
 顔立ちは、思わず寒気を感じるほどに美しい。
 すっきりと綺麗な輪郭と鼻梁。切れ長の両目は冷たく鋭い眼光を湛え、可憐な唇は微笑の形に歪んでいる。
 年齢は20代初めか、もしかすると未成年かも知れない。
 美しい娘の姿をした、黒衣の天使。
 そのたおやかな両手に握られているのは、左右一対の得物だ。禍々しく湾曲した刃は、ブーメランのようでもある。
 大振りのグルカ・ナイフが2本。
 それを彼女は、左右それぞれの繊手で軽やかに握り、武装した人体を切り刻んでのけたのだ。
 迷彩服の男たちが、一斉に動いた。
 ある者は日本刀を振りかざし、ある者は鎖を振り回し、ある者は大型の改造スタンガンをバチバチッ! と帯電させて、あらゆる方向から黒衣の天使を襲う。
 仲間の仇を討つ、といった様子はない。
 仲間を殺された怒りなど全く感じさせずに男たちは、今までと同じく淡々と作業的に、邪魔者の排除にかかっている。
 襲撃の真っただ中で、黒衣の天使は舞った。同じく淡々と、名乗りを呟きながらだ。
「水嶋琴美……参りますわ」