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蘇る因縁
意識を失う寸前、僧衣をまとった男の姿を見た、ような気がする。
仏教の僧侶か、キリスト教の司祭か、判然とはしないがとにかく神聖な装いをした男性。
力を消耗し尽くしたイオナの目に、その姿は、とてつもなく神々しく映った。
気高き高僧。自分の臨終に、立ち会ってくれるのか。経を唱えてくれるのか、神に安らぎを祈ってくれるのか。
そんな事を思いながら、イオナは気を失っていた。
そして今、目覚めてこの部屋にいる。
「……ここ……は……」
イオナは、ソファーに寝かされていた。
いささか起伏に乏しい少女の細身に、まるで入院患者のような、ゆったりとした白い服を着せられている。
その下は、包帯だ。ほぼ全身に、巻き付けられている。
「安心したまえイオナ嬢。君を脱がせて手当てしたのは、俺じゃあない」
声がした。男の声。聞き覚えのある声だ、とイオナはまず思った。
「君と一緒に戦っていた、あのお掃除お姉さんだよ。彼女ああ見えて割といろんな事、出来るんだよね」
向かい側のソファーに、その男はゆったりと腰を下ろしていた。
白衣を身にまとった、理系の人間だ。イオナの世話をしてくれるIO2の技術者たちと、感じが似ている。
いや。彼ら彼女らと比べて、一癖も二癖もありそうな男だ。
年齢は、外見からは読みにくい。20代の青年にも見える。老獪な中年男にも見える。
そして、その光彩に乏しい暗黒色の瞳。
「ここって実は女の人が少なくてね。どいつもこいつも、可愛い女の子でも作ればいいのに何でか美少年しか作ろうとしない。君の世話は、だから彼女に任せるしかなかった」
「伊武木リョウ……」
イオナは、どうにか名前を思い出す事が出来た。
「ここは……そうか、貴方の研究室か」
見覚えのある部屋である。
以前ここで伊武木リョウに、コーヒーとフィナンシェを振舞ってもらった事がある。
「私は……戦闘中に力尽き、無様にも意識を失って、ここに運び込まれたと。そういう事だな?」
イオナは思わず、伊武木を睨んでしまった。緑色の隻眼が、鋭く輝く。
「助けていただいた事は感謝する。いずれ借りは返す……だが、やはり魂胆を疑ってしまうな。何故、私を助けてくれた?」
「魂胆か。まあ、無くはない」
その眼光を、伊武木は、不敵な微笑で受け止めた。
「あの男の研究を受け継いだせいか……君は、とんでもなく出来のいいクローンだからね。ついつい何かの実験材料にしたくなる誘惑、抑え込むのに苦労してるよ」
「……私を、もっと強力な生体兵器に改造してくれるのなら」
イオナは言った。
「実験台にでも研究材料にでも、してくれれば良い……とは思うが、私の一存で決められる事ではないな」
「強く、なりたいのかい?」
伊武木の笑みが、ニヤリと歪みを増す。
見据えたまま、イオナは答えた。
「私の兄が……1人でドゥームズ・カルトの本拠地へと向かってしまった。私は、兄の単独行動を止められなかった……戦力外と判断され、置いて行かれたのだろう」
「戦力外通告を、黙って受け入れてしまうのかな?」
伊武木の言葉に、イオナは答えられなかった。
「以前あの兄上を助けるために、ここへ殴り込んで来たのはイオナ嬢だろう。助けてもらった身分で、君に偉そうな戦力外通告なんて下す資格ないと思うけどね」
「……そうだな。確かに、偉そうだ」
あの兄は偉そうに、一方的に、イオナを気遣っている。1人で気負っている。確かに元々、気負いがちな性格ではあるのだが。
あの錬金生命体という怪物たちと遭遇した時から、であろうか。兄の様子が、どこかおかしい。
「その左目……」
黒いアイパッチを走らせるイオナの顔を、伊武木がいささか無遠慮に見つめてくる。
「初めてイオナ嬢を見た時から思ってたんだけど君、もしかして身体じゅうに不具合が出てるんじゃないか? 本当はまだ這い這いから立っち出来るかどうかって年齢なのに、日本刀なんか振り回せるくらいまで急激に成長させられたせいで……ああ大丈夫、君の刀はここにあるよ」
ソファーの傍に、イオナの刀は立てかけられていた。鞘を被った、無銘の数打ち物である。
「いいお薬があるんだけど、試してみる?」
伊武木が、少しだけ身を乗り出して来る。
「成長促進剤って言ってね。ああ名前は促進剤だけど大丈夫、一気にオバサンになっちゃったりする事はないから。急激な成長を、身体に無理のない状態に修正するためのものでね……うん、オバサンにはならないけど君の場合、年齢相応の身体に戻っちゃうかも知れない。つまり赤ちゃんか幼女になっちゃうかも知れないって事で、それはそれで見てみたいなあ。どう?」
「……私の一存では決められない、と言ったはずだ」
一言で却下しつつイオナは、ソファーから立ち上がった。
身体は、ほぼ問題なく動く。
「世話になった。あの清掃人のお2人にも、礼を言っておきたい」
「2人とも、もうここにはいないよ。俺なんかと違って忙しい人たちだからね」
伊武木は言った。
「イオナ嬢も忙しそうだねえ。もう行っちゃうのかい?」
「念のため言っておく。止めても無駄だ」
「止めはしないさ。君のお兄さんには、助けが必要だ」
「兄を助けに行くわけではない。任務を、続行するだけだ」
ドゥームズ・カルトの本拠地を潰す。その任務は、継続中なのである。
任務遂行の過程で、結果として兄の手助けをする事になってしまうかも知れない。
そこまでは、イオナは言わなかった。
「君は、生きてお兄さんを助けなければいけない」
伊武木の口調が、いくらかは真摯な響きを帯びる。
「イオナ嬢の身に万一の事があれば……君のお兄さんは大変、困った事になってしまう」
「……まあ、少しは悲しんでくれるかも知れないが」
「そういう事じゃなく、リアルに物質的な意味で大変な事が起こってしまうんだよ。目覚めてはならないものが目覚める。災害、と言ってもいい。人が大勢死ぬ。イオナ嬢の命は、言ってみれば鍵なんだ」
伊武木が、わけのわからない話を始めた。
無視して出て行くべきか、とイオナは思った。
思いとどまったのは伊武木が、ある数字を口にしたからだ。
「鍵は、全部で7つある」
「7つ……だと」
7。それはイオナにとって、聞き流す事の出来ない数字であった。
「昔……1人の男が、深く暗い牢獄に悪魔を閉じ込めた」
伊武木が、自分に何かを伝えようとしている、とイオナは感じた。
「牢獄の鍵は7つ……どれか1つだけでも、鉄格子戸を開いて悪魔を解き放つ事が出来る」
「私の命が、鍵。そう言ったな」
イオナはちらりと、伊武木に隻眼を向けた。
「7つの命、というわけか?」
「そう、命だ」
ある男が、悪魔を閉じ込めた。
その男を伊武木は憎んでいる、とイオナは思った。根拠はない。彼の口調から、何となく感じられるだけだ。
「……俺が言いたい事は、ただ1つ。その悪魔が、うっかり解放されてしまった場合の話さ」
「私に何か、出来る事が?」
「君にしか出来ない事だよ、イオナ嬢」
伊武木がソファーから立ち上がり、何かを手渡してくる。
「その悪魔をもう1度、閉じ込めて鍵をかける。それが出来るのは、君だけだ」
丁寧に折り畳まれた、黒い男物の上下である。
イオナが着ていたIO2の制服は、そう言えばあの戦いで、血まみれの雑巾のようになってしまった。
「用意出来る服が、これしかなかった。うちの子の、お下がりと言うか予備なんだけど」
「彼か……」
氷の能力を持つ、青い瞳の少年。
何か1つ間違っていれば、彼とも殺し合わなければならなかったところである。
「ここで着替えてくなら、俺ちょっと出てるけど」
「その必要はない」
白い入院着のような服を、イオナは無造作に脱ぎ捨てた。
伊武木が、いくらか慌てて後ろを向いた。
廊下を去って行くイオナを見送り、研究室のドアを閉める。
「ふう……やれやれ」
一杯やろうか、と思ったところで伊武木リョウは固まった。
もう1人の伊武木リョウが、ゆったりとソファーに腰を下ろし、ウイスキーのグラスを優雅に傾けている。
常温保存可能な数種の薬品類と一緒に、隠しておいたものだ。あっさり見つけられていた。
「どいつもこいつも何が美味くて、こんなもの飲んでるのか……この歳になっても、よくわからんよ」
ちびちびとウイスキーを啜りながら、もう1人の伊武木は言った。
「人生間違ってるのかなぁ、俺」
「職業柄いろんな人に化けなきゃならないし、人混みに紛れ込んで仕事する時もあるんだろ? だったら少しは酒の飲み方も覚えた方がいいと思うがね」
向かい側のソファーに、伊武木は腰を下ろした。
鏡と向かい合うような格好になった。
「ほらほら、そのグラスの持ち方。俺と比べて全然、様になってない。そんなんじゃすぐにバレるぞ」
「そうか。じゃ、本物に消えてもらおうかな」
鏡の中の伊武木が、ニヤリと笑った。
まさしく自分は今、この男に消されるところだったのだ、と伊武木は思った。
思いながら、微笑み返してみる。
「まったく……いつから、ここにいたのかな。あの子の生着替え、隠れてずっと見てたわけじゃないだろうな」
「そこまでして見るものでもなし。俺、駄目なんだよ。もっと胸とか腹とか弛んでて、生活の疲れが滲み出た女じゃないと。イオナ嬢ちゃんがそのレベルに達するまで、あとまあ2、30年はかかるな」
美少年ホムンクルスばかり作ろうとする、この施設の研究員たちよりは、正常な性的嗜好の持ち主なのだろう。
伊武木は、そう思う事にした。
「なあ伊武木先生。ここは研究所なのに何だ、白衣や眼鏡の似合う理系の年増女はいないのか?」
「白衣と眼鏡の似合うダンディーなら1人、知ってるよ。あんたと仲良く出来るかどうかは、どうだろうなあ」
「そうかい。じゃあ帰るとするか」
伊武木リョウ、に化けた男が、ソファーから立ち上がる。
「俺なんかを速攻で始末しに来そうな、あの坊やもいないし。楽に帰れそうだ」
「あの子は仕事中だよ。始末しなきゃいけない相手は、あんただけじゃあないんでね」
新しいグラスを用意しながら、伊武木は言った。
「というわけで……俺を始末するなら、今がチャンスなわけだけど」
「今日は、やめておく」
伊武木の傍を通り過ぎながら男は、己の顔面を引き剥がした。
「あんたの話は、役に立ちそうだからな」
「何の事やら」
「あいつのリミッターが、うっかり外れちまったら……あんたの助言が、必要になるかも知れん。そういう事さ」
伊武木の眼前、テーブルの上に、剥がれた顔面が投げ出される。
男は、研究室を出て行った。
弛んで伸びきった人面が、テーブル上から伊武木を見つめてくる。
「俺……こんな顔、してるのかなあ」
グラスにウイスキーを注ぎながら、伊武木は呟いた。
研究施設の近く。林道に1台、車が止まっていた。
イオナを迎え入れるように、助手席側の扉が開く。
「ドゥームズ・カルトの本拠地……その詳細な場所を、お前は知らないだろう」
「ディテクター隊長……そうだな、確かにその通りだ」
男物の黒服をまとった細身を、イオナは助手席に入り込ませた。
扉が閉まり、車が走り出す。
ハンドルを転がしながら、ディテクターは言った。
「あいつには、少しペナルティをくれてやる必要がありそうだな」
「……お兄様に、か?」
彼の勝手な単独行動は、指揮官としては確かに許し難いものだろう。
「だが……あいつが先走ったのも、俺の調査不足と差配ミスが原因だ。まさか奴らが、錬金生命体を持ち出してくるとは」
「錬金生命体とは……一体?」
イオナは訊いてみた。
「お兄様は、あやつらを見て、何やら冷静ではいられなくなったようだが」
「ちょっとした、まあ因縁があってな……道中、話して聞かせてやろうか」
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