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<東京怪談ノベル(シングル)>


喪服の戦女神(後編)

 ガスマスク、であろうか。
 その奇怪な仮面が、何らかの防毒装備である事は間違いない。
 首から下は、このような屋内戦闘においては意味を成さぬ迷彩軍装。
 そんな姿の男たちが、あらゆる方向から、様々な得物を叩きつけてくる。日本刀、特殊警棒、鎖分銅、大型スタンガン。
 その襲撃の真っただ中で、水嶋琴美は舞った。
 黒いストッキングに包まれた左右の美脚が、ステップを刻むかの如く踏み込んで行く。
 喪服に押し込められた胸が瑞々しく揺れ、黒い袖をまとう両の細腕が、鞭のようにしなって躍動する。
 黒髪が、芳香と色艶を振りまいて弧を描く。
 それと共に、光が閃いた。斬撃の閃光。
 左右それぞれの繊手に握られた、2本のグルカ・ナイフが、襲い来る男たちを縦横無尽に薙ぎ払う。
 人体を切断する手応えが、優美な五指を震わせる。琴美は、しっかりと握り締めた。
 男が3人、迷彩服や防毒マスクもろとも、横にずれて食い違ってゆく。
 だるま落としのような死に様であった。
「ふ……お葬式の帰り道に私、人殺しをしておりますのね」
 可憐な唇をニヤリと歪めながら、琴美は右のグルカ・ナイフを振り下ろした。
 男が1人、日本刀を防御の形に構える。
 その刀身が折れた。防毒マスクも、その中身も、一緒くたに叩き割られていた。
「ちょっと……渋滞いたしますわよ、ひい御爺様」
 旅立ったばかりの曽祖父に一言、断りながら、琴美は身を翻した。
 喪服で禁欲的に彩られたボディラインが、柔らかく捻転する。黒髪がふんわりと舞い、両の細腕が超高速でしなった。
 左右のグルカ・ナイフが、それぞれ別方向に一閃する。
 防毒マスクが2つ、高々と宙を舞った。無論、中身が入ったままだ。
 雷鳴が、轟いた。
 迷彩服の男が1人、電光をまとう何かを、横合いから叩き付けてくる。
 バリバリと放電光を発し、まとわりつかせる、金属バットほどの大きさの凶器。大型の電磁警棒であった。
 それを琴美は、跳躍してかわした。
 着地しつつ、左のグルカ・ナイフを振るう。防御の形にだ。
 ブーメランの如く湾曲した刀身に、鎖が絡みついて来る。先端に分銅の付いた鎖。
 迷彩服の男の1人が、それを思いきり引いた。
 力比べをしようとはせず、琴美は床を蹴った。引かれる方向に、跳躍していた。
 端から見れば、琴美の身体が鎖に引きずり寄せられた、ようでもある。
 引きずり寄せられる格好のまま、琴美は空中から左膝を突き込んでいた。格好良く膨らみ引き締まった太股が、黒のタイトスカートを押しのける。
 鎖を握る男の顔面が、激しく凹んだ。琴美の膝蹴りが、めり込んでいる。防毒マスクが破裂し、様々なものが噴出・飛散する。
 鎖の絡まったナイフを手放しながら琴美は、頭の潰れた男の屍を蹴りつけて高々と跳んだ。飛翔に近い跳躍。
 直前まで琴美の身体が存在していた空間を、電光をまとう一撃が激しく薙いで行く。大型の、電磁警棒。
 それを持った男が、空中を睨む。跳躍した琴美を、防毒マスク越しに、目で追おうとしている。
 そのマスクに、右のグルカ・ナイフを叩き込みながら、琴美は着地した。
 湾曲した刃が、男の顔面から股間までを一気に通り抜けてゆく。その手応えを、琴美は握り締めた。
「さあ、どうなさいましたの? このままでは悪が勝ってしまいますわよ」
 両断された男が、左右に倒れてゆく。
「法で守られた犯罪者の方々に、正義の罰を下す……そんな心正しい貴方がたが、このままでは全滅してしまいますわよ?」
 琴美は言い放った。
 まだ何人も生き残っている男たちが、いくらか遠巻きに、辛うじて包囲の形を保っている。
 全員、怯えてもいない。勇んでもいない。それを琴美は感じ取った。
 奇怪なロボットのようでもある防毒マスクが、実は彼らの素顔なのではないか。
 そんなふうに思えてしまうほど、感情というものが欠落した集団である。
 まともな戦いで琴美が苦戦するほどではないにせよ全員、そこそこの手練れではある。かなりの戦闘訓練を受けている事は、間違いない。
 そんな男たちが何故、刑務所を襲ったのか。
 違う、と琴美は感じた。彼らの目的は、正義を為す事ではない。法で守られた犯罪者に、天誅を下す事ではない。
 では何なのか。訊いたところで、この男たちが答えてくれるはずはなかった。
 遠巻きに琴美を取り囲んだまま、男たちは動かない。
 だが攻撃はすでに行われている、と琴美は感じた。
「重力制御……マイクロ・ブラックホール生成」
 得物を失った左手を掲げ、琴美は呟いた。
 ほっそりと綺麗な五指に囲まれた空間で、闇が生まれた。
 暗黒そのものが、テニスボールほどの球形を成している。
 超小型のブラックホール。
 それが、刑務所内全域に拡散しつつあったものを、吸収している。
「無駄な事をなさいましたわね……」
 琴美は、微笑みかけた。
「全員で、防毒装備など身につけておられる。何か危ないものを散布すると、無言で明言しておられるようなものですわ」
 成分は不明である。が、毒ガスの類である事は間違いなかろう。
 それを吸収し尽くしたマイクロ・ブラックホールが、琴美の左掌で、黒々と禍々しく、くすぶっている。
 悲鳴が、聞こえた。
 迷彩服も防毒マスクも着けていない男が、1人いる。枯れ木のような、初老の男性。
 囚人である。
 この刑務所でただ1人の生き残りである彼が、迷彩服の男たちに捕えられていた。押さえ込まれ、ナイフを突きつけられている。
「……一応、確認しておきますわね」
 琴美は、冷ややかな声を発した。
「その方を助けたければ、私に……武器を捨てて、投降でもしろと?」
「そ……それは、いけない……」
 初老の囚人が、か細い声を発した。
「わ、私は自分の妻を……暴力で苦しめた挙句、殺した男……そこまでして、助けてもらう価値などないんだ……」
「別に、貴方を助けに来たわけではありませんから」
 言いつつ琴美は、今や猛毒の塊でもある暗黒の球体を、男たちに投げつけた。
 捕われた囚人も、捕えている男たちも、一緒くたに潰れた。凄惨な音を発しながら、小型ブラックホールに吸い込まれ、圧縮され、消えて失せる。
 その間、琴美は他の男たちに向かってユラリと踏み込み、グルカ・ナイフを振るっていた。
 ブーメランのような刃が縦横無尽に閃き、迷彩服や防毒マスクを、中身もろとも斬り裂いてゆく。
 この男たちが何者であるのか。それを知るには、死体を調べてみるしかないだろう。
 恐らくは、何らかの薬物を投与されている。
 例えば人質など、その場で最も有効と思われる手段を、機械的に選択し実行する。それ以外の思考を一切、奪われている。もしかしたら、人工的な肉体強化も施されているかも知れない。
 実験。性能試験。
 彼らの、と言うより彼らを生み出した者たちの目的は、それ以外には考えられない。
 その者たちの正体に関しては、現段階では不明だ。
 最後の1人を斬殺しながら琴美は、正体の知れぬ者たちに向かって言い放った。
「私たち特務統合機動課に……人質など、通用しませんわよ」