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<東京怪談ノベル(シングル)>


サーキットの女神

1.
 ゆらゆらと陽炎が立ち上るアスファルト。灼熱の太陽が矢の如く降り注ぐ。
「あっちぃ‥‥溶けそう」
 7時間耐久・オートバイによるロードレース。少年は今日、この初舞台に立つために必死に練習をしてきた。しかし‥‥舞台は思った以上に暑かった。この暑さと大舞台に立つプレッシャーを伴った熱気に少年は気圧され気味だった。ライダーは少年を含めて3人。責任は重い。しかし、もう少しでこのレースは開幕する。
「俺にできるのかなぁ?」
 不安が付きまとう。心の内を声に出したことで、さらになんだか不安になる。次第に、顔は地面に向いていった。
 ‥‥と。
「熱中症かな? 大丈夫?」
「うわっ!?」
 ひんやりとしたものが首筋に当たり、少年は跳ねるように体ごと声の方に顔を向けた。
「わわっ! びっくりしたぁ‥‥」
 そこにはパラソルを差し、ハイレグの水着を堂々と着た黒髪ショートカットの可愛らしい少女がいた。
「な、なんなんだよ!?」
 どうやら首筋に当てられたのは少女が持っている飲み物のようだ。
「あぁ、ごめんね。これ、ブースから持ってきちゃったジュースなんだけど‥‥体調悪くない? 大丈夫?」
 少女はにこやかに、けれどしきりに少年の体調を気にする。
「大丈夫‥‥ちょっとレース前で緊張してただけだから」
「? 君、レースのライダーさんなの?」
「そういうアンタはレースクイーンなの?」
 質問に質問で返すと少女は「そうだよ」とくるりとその場でポーズを決めた。確かに、とてもよく似合っている。‥‥目のやり場に困るくらいに可愛い。
「‥‥そういうのはお客の前でやった方がいいんじゃね」
 少年がそっと赤くなった顔を横に向けると、少女はまた笑う。
「君だってお客様だよ」
 少女は持っていたジュースを少年に「あげる」とジュースを押し付けて去っていく。
「そのジュース飲んだら、きっと緊張がほぐれるよ。あたしがおまじない掛けてあげたから」
 パチン☆とウィンクして去っていく後姿に、少年は苦笑いした。
「嘘だぁ」


2.
 少女から貰ったジュースを飲み干して仲間の元に戻ると‥‥ウソかホントか、おまじないの効力はあった。
「お、いい顔して戻ってきたな」
 ドライバー仲間にそう言われ、少年はハッとする。
 まさか、あのジュースが効いたなんて‥‥そんなわけ、ないよな?
 レースは昼の少し前に始まる。高まるエンジン音と熱気。観客席から声援の声が聞こえる。
 弱小チームの自分たちを応援しているのなんて身内だけだと思いつつ、それでもこのレースの舞台に立てることが誇りだ。
 ‥‥できれば勝って表彰台に上がりたいが‥‥。
 コースは真昼の太陽を浴びて陽炎すら真っ白に見える。7時間もこの道を走り続けねばならないのだ。
「頑張れー!」
 たくさんの声援の中から聞き覚えのある声が聞こえた。見れば、あのショートカットのレースクイーンの少女だ。周りの一般客に混じって大きな声で応援している。
 おいおい、自分の仕事忘れてんじゃないよ。
 そう思って目で追うと、少女にカメラ小僧が声を掛けた。少し会話を交わした後、少女はパラソル片手にポーズをとる。レースクイーンの立派なお仕事である。
 フラッシュがたかれるごとにポーズや表情を様々に変えていく少女。プロだな‥‥と感心する。
 少女は時々金網越しにレースの状況が気になるようでポーズの合間にカメラ小僧たちから視線を外す。その一瞬、少年と少女は目が合った‥‥気がした。
 遠いし、こちらはピットの奥の影からだ。見える訳‥‥まさか目が合ったわけがない。
「おい、次交代だぞ」
「あ、はい!」
 1台のバイクを3人のライダーが交代で乗り継ぐ。次は自分の番だ。
「いける。やれる。‥‥大丈夫だ!」
 ピットインのスムーズな乗換と整備、それも限られた時間の中で重要な要素になる。
 でも、交代前にあの子の顔見れてよかったな。
 明るい笑顔に緊張もほぐれる。少女に貰ったジュース以上の働きはできそうだと思った。


3.
 レースはすでに後半戦。
 やや傾いてきた日は真昼のそれの比ではなかったが、それでもまだまだ予断を許さぬ暑さだった。
「あと2時間」
 長時間の疲労は確実にライダーにもクルーにも襲いかかっている。そしてこの暑さ。体に負担がかからないわけがない。そして、それは起こるべくして起こった。
 どさっ‥‥
 クルーの1人が突然倒れた。抱き上げた体が異常に暑い。
「熱中症か! だれか冷やすものを!!」
 バタバタと応急処置の為に走り回るクルー。動揺は大きく、倒れたクルーが救護室へ運ばれても動揺は残ったままだった。
「次、なんだっけ‥‥やべっ」
 ペースの乱れはレースの結果に響く。誰もが焦り始めていた。

「これ、差し入れだよ!」
 と、明るく大きな声が響いた。
 気が付くと小脇に閉じたパラソルを抱え、ジュースの箱を両手で持っているレースクイーンの少女が立っていた。
「倒れたクルーさんから差し入れ預かったので持ってきたよ。皆さんに熱中症に気を付けてって言伝もね」
 向日葵みたいに眩しい笑顔で、少女はそう言った。
「あいつが‥‥? 自分のことでも手一杯だろうに‥‥」
 クルーたちは少女の声に徐々に冷静さを取り戻す。
「‥‥アイツの為にも、頑張らないとな」
「そうだな、俺たちがあいつの分までやらなきゃな!」
 冷静さは動揺を消し、さらに士気の高揚につながった。
「みんな、気合い入れ直せよ!!」
 クルーたちは動き出す。レースに立ち向かう気力を得て、再び戦場に立ち向かう。空気が変わったのをはっきり感じた。
「アイツにありがとうって伝えてくれ」
 クルーの1人が少女にそう言うと、少女はにっこりと笑う。
「わかったよ。ちゃんと伝えるね」
 出て行こうとした少女は、少年と目が合った。少女はピースサインでウィンクした。
「君も頑張ってね!」
 その笑顔でなんだかやる気が出てくるような気がした‥‥。


4.
 レースは結局完走こそ果たしたものの、成績としては表彰台に遠く及ばずだった。
 けれど1人クルーが抜けた穴をしっかりカバーし、一致団結したチーム力はさすがと言わざるを得なかった。
「すいません、倒れちゃって‥‥」
 倒れたクルーが申し訳なさそうに顔を出した。
「気にするな。また来年もあるさ。差し入れのジュースありがとうな。気を遣わせちまってすまなかったな」
 そう言ってガハハと笑ったチームリーダーに倒れたクルーは慌てたようだ。
「いえ、僕はそんなことしてませんけど? え?」
 ‥‥してない? どういうことだろう?
 少年は首を傾げる。確かに倒れたクルーからだと言ってあの子が‥‥。
 あの子が‥‥?
 少年は急いで外に出て、少女を探し始める。
 黒髪ショートカットの可愛らしいレースクイーンの少女を。
 少女はまたパラソルを広げて、カメラの前でポーズを決めていた。
「ちょっと訊きたいことがあるんだ」
 少年がそう言うと、少女はちょっと驚いたようだったがすぐに笑顔で頷いた。
「さっきの差し入れ、アンタだろ?」
「‥‥そっか、バレちゃったか」
 ふふっと笑った少女に、少年は「なんで」と問いかける。
 すると「レースクイーンはサーキットの女神だからね。せっかくここまで来たんだから悔いのないように頑張ってほしかったんだよ」そう言って、少女は少年を少し待たせて売店へと駆けていく。そして何かを買って戻ってくると、それを少年に手渡した。
「はい、これ。あたしからの頑張ったで賞。これはちゃんあたしが買ってきたジュースだからね」
 少年がお礼を言おうと思ったら、遠くから声が聞こえた。
「ハナちゃん! 山田さん! 撮影再開しようよ」
「はーい、今行くよー! それじゃ、あたし行くね」
 走り去る後姿に、少年はかろうじて「ありがとう!」と言った。
 眩しいフラッシュの渦の中に少女は消えていく。
 
 そのレースクイーンの名が『山田(やまだ)ハナ』というのだと、少年はようやく知ったのだった。