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<東京怪談・PCゲームノベル>


それさえも有意義な日々



 捲った新聞の小さな記事に、幼げな雰囲気を残したその青年は目を留めて、手にしていたコーヒーカップをテーブルへ戻した。
 小さな古民家風のカフェは、雑多に置かれた家具類と、統一性のまるでないバラバラの椅子とテーブルが却って居心地良い空間を作りだしていた。卓同士の間には、これもまたアンティークだろうか、矢張り雑多な間仕切りが置かれているので他人の視線はさほど気にならない。だから彼――「フェイト」と名乗ることの多い青年は、新聞に意識を没入させた。それは東京近郊で起きた不可解な交通事故についての内容だ。人を轢いてしまったと通報があり、駆けつけてみたら何も無い。一件ならば悪戯で済むだろうが、最近同様の通報が増えている――。
 論調はすぐに昨今の社会の風潮を嘆き、心無い通報者を嘆き、という具合に展開していくが、フェイトは眉根を寄せた。
(…あったな、似たような事件…)
 彼の所属している組織、IO2内でのことだ。組織の調査員が事件の気配を察知し、エージェントを手配し、到着してみたら何も起きていない。そんな奇妙な出来事が、二度、三度、彼の身の回りで起きていた。勿論、夏休みの時期だし悪戯が増えたのかな、くらいの認識で、それ以上のことは彼とて考えもしなかったのだが、新聞の記事を見て改めて眉根を寄せる。ひとつひとつは小さなことでも、重なって見えるとどうにも気にかかる。
「…あれ、何してんだお前」
 そこで不意に声をかけられて、フェイトの思考は霧散する。目を上げれば、ここの所何度か仕事で縁を持つことの増えた青年が立っていた。左眼の眼帯が特徴的な、肩までの伸ばしっぱなしの髪の毛を無造作にひとつに纏めた長身の男性だ。30を超えるか超えないかといった年頃に見える。右目はじっと、フェイトの手にした新聞に落ちていた。
「こんなとこでお仕事か」
「いえ、今日は非番で」
「なら猶更、仕事熱心なこって」
 ここ空いてるか、と問われたので頷いて返し、対面に座る男性を改めて見遣った。
 藤代鈴生、という名前の人物は、IO2で要注意人物として名前を挙げられる程度には厄介な背景を持っている「魔導錬金術師」だった。ここのところ何度か仕事で同行することがあり、フェイト、改め、勇太にとっては知らない仲ではない。ただ、いささかこの人物、勇太にとっては扱いにくい部分があり、今もニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて頬杖をついている。何を言われるやらと身構えていれば、
「お前さ、休みの日に特にやることなくて困って何もせずに休日終わるタイプだろ。または仕事して終わるタイプ」
 そんな評を下され、勇太は眉根を寄せた。
「そんなことありません。俺だって休みの日の過ごし方のひとつやふたつ」
「ほほう。具体的には」
「具体的には…こ、ここで珈琲を飲んだりしてます」
「…はー。人生腐らせてねぇなぁ、詰まらねぇ男だ。そんなんじゃモテねーぞ。ちなみに頼まれもせずにお教えしておくがメイは本日カノジョとデートだ。どうだ羨ましいだろう」
「何で藤代さんが自慢げなんですか!」
「あ、店員さーん、俺ワインの赤。デキャンタで。グラス2つで。あとピクルスの盛り合わせと、キッシュ、それに――あ、今月のチーズいいもん入ってるね。これ頼みます」
 勇太の正論は一切合財無視されて、彼は呑気に店員にそんな注文を飛ばしていた。まだ昼日中だと言うのに何という自堕落な、と勇太は眉根を寄せて、それから注文内容を反芻して顔を上げる。
「グラス2つって、俺、飲みませんよこんな時間から!」
「お前な。休みの日に昼間っから酒飲まないで何すんだよ」
「もっと建設的な過ごし方があると思います」
「じゃあ言ってみろよ。カノジョとデートでもするのか?」
 いいから付き合え、と半ば強引に言われて、彼は嘆息した。酒はあまり好む方では無かった。
「…デートの予定はありません。そちらこそ」
 と言いかけて、勇太は言葉を噤む。――藤代の「デート相手」なんて、彼が薬指につけている結婚指輪を確認するまでも無く彼の妻が相手に相違なく、そしてその妻と来たら現在絶賛、家出中なのである。悪いことを聞いてしまったと俯く彼を見た藤代は、しかしくく、と声を立てて笑った。
「お前のそういう馬鹿真面目なところは好きだぜ。何なら俺とデートするか?」
「…浮気ですか」
「俺の嫁は理解があるからな」
 いずれ言いつけてやろう、と心に誓う。


 運ばれてきた赤いワインに、小皿に乗ったチーズはほんのごく少量。それをひとかけ満足げに口に運ぶ藤代の表情に、勇太は些かならず心を動かされた。元々、料理は好んでいたから味覚はそれなり程度には鍛えられている方だ。
「そんなに美味しいんですか」
「グリュイエールっつったらスイスの『チーズの女王』だがな。その中でも『アルパージュ』って言って、ま、ちょっとした『特別製』だ。喰ってみるか?」
 勧められるままに一口。ハードチーズに特有のくどさが無く、鼻の奥で、どこか爽やかな草原を想わせる薫りが広がる。目を瞠る彼を見て、藤代が楽しげに笑った。
「旨いだろ。…ウチの嫁さんのお気に入りの店なんだぜ、ここ」
 嫁、と無造作に話題に出されて、勇太は珈琲に咽そうになった。彼は案外にあっさりと、「家出中」で「行方不明」の彼女のことを口にする。心配していないのか、と思えばそんなことは無いようで、勇太が彼女の情報をIO2の伝手で集めて来るとにこにこと嬉しそうに耳を傾けているし、何かと勇太への配慮までしてくれるから、彼女に心を砕いていない訳ではないのだろう。
 第三者には計り知れない信頼があるのだろうなぁ、と。
 ぼんやり勇太はそう思っていたのだが。
(…この間、変なこと言ってたよな)
 思い出すのはいつぞや、彼が巻き込まれた事件の事だった。響名が出て行った理由を思い切って尋ねた勇太に、苦い笑みを浮かべて藤代はこう応じたのだった。
 ――あいつは俺の、残った眼が欲しいんだよ。
 藤代の左の眼は、眼帯に覆われている。IO2の資料にもこれは記されているから、彼も内密にはしていない情報なのだろう。勇太もその資料に目を通したから、彼の「左眼」の事情は知っている。
 彼の左眼は――悪魔に奪われた、のだと言う。
「…最近はあんまり響名さんの話は、聞かないですよ」
 一先ずはそう告げておく。藤代は顔を上げてから、嘆息した。
「バレてねーだけだよ。お前さんも今見てただろ」
 とん、と指を置かれた先、勇太が置きっぱなしにした新聞が畳まれている。彼が指差した記事は、先に勇太も目を留めていた三面の小さな小さな交通事故の――通報の悪戯を疑われている事件の記事だった。眉根を寄せる勇太の様子を見て、藤代が頬をかく。
「…何だ。その様子だとIO2はまだ把握してねーんだな、ウチの嫁さんの作ろうとしてるモノのこと」
 余計なことを言ったな、と彼が嘆息してグラスの赤ワインを一息に呷る。その様子の気まずそうなのを見るに、本当にうっかり口を滑らせたのだろう。さて、と、勇太は苦笑した。
「――俺は今日、非番ですから。プライベートに知人に会って、知人の身の上話を聞いたからって、それを上司に報告する必要はないですよ」
 彼なりに気を回した積りの発言だ。藤代はその言葉に一度瞬いて、それからふ、と力の抜けた笑みを浮かべる。
「知人?」
「…不服ですか」
「愛人ってのもアリだと思ってるぜ」
「本気で響名さんに言いつけますよ」
「フラれた。残念無念。じゃあ友人で」
「分かりました、そこで手を打ちましょう。…冗談はここまでにして、ですね」
「おっと」
 いつも藤代と、彼の相棒である名鳴にやられている――響名に遭遇した時は響名にも同じ方法でからかわれた――ことへの意趣返しの積りで告げれば、可笑しそうに藤代はグラスを片手に声をたてて笑った。
「で、…何を作ろうとしてるんですか、響名さんは。…そういえば、彼女が藤代さんの『眼』を欲しがってるのは」
「作ろうとしてるもの、の材料として必要だからだな。って言うか、俺の眼が最後のパーツの筈だぜ」
「…」
 彼は笑って言うが、さすがに感情は読めなかったし、幾らなんでも不躾だから己の力で読む気にもなれない。ただ、嘘をついていないことだけは、何となく肌触りだけで察することが出来た。
「彼女の作ろうとしてるものって、何なんですか。旦那さんの眼を…欲しがってまで」
 響名が、藤代を想っていない訳がない。
 むしろ彼女は、藤代を想うが故に、眼球を奪いたいという錬金術師としての自分と、彼を愛する人間として、彼の身を案じる自分との間で揺れ動くが為に傍に居られなかったのではないか。
 思い至って勇太は眉をぐっと寄せた。第三者の勝手な想像だ。それ以上にも以下にも、ならない。
 赤ワインを飲んで、うーん、と味わう様に間をおいて、藤代は少しの間右目を伏せた。




 しばしの沈黙の切れ目。それは随分と昔の話だ、と、藤代は他人事のように前置いた。
「――俺の左眼は悪魔に獲られた、ってのは、俺も公言してるし、知ってるよな」
 勇太は無言で頷き話を促す。
「随分と昔の話だよ。…俺がガキの頃の話。俺の両親はある悪魔を召喚しようとして、中途半端に成功しちまった。――尤も悪魔が呼び出された瞬間に、俺の親父とお袋は弾け飛んでたがな」
 はは、と乾いた笑いと共に彼は赤ワインのグラスを揺らす。血の様な、と呼ぶには、昼日中の灯りの中で見るそれは軽薄な赤。
「両親の命を代償にして、悪魔は現れた。儀式の生贄としてそこに居た俺は『死にたくない』と願い、代償に片目を奪われた。その後、1年だったかな。…俺はその悪魔と一緒に暮らしていたんだ」
「悪魔と、ですか」
 藤代鈴生が、己の「左眼の事情」を隠さないのは、彼がその眼球を奪った悪魔を探していたからだ。そのことは、IO2ですら把握しているレベルの情報である。てっきり勇太はそれを復讐心や、喪った眼を取り戻すためのものだと思っていた。もっと負の感情が絡むものと捉えていたのだが、
「まーな。俺の魔導錬金術の知識の基本は、その悪魔に教わったんだよ。俺の最初の師匠だな」
「え…」
「だから探してる、って部分もあるな。俺にとっちゃ、育ての親みたいなもんだ」
 俺の両親は息子を、悪魔を召喚する生贄にしようなんてロクデナシだったからなぁ。
「……意外と…何て言うか」
 奪われた眼球への執着、だけではなかったのか。そこに絡む感情の複雑さに、勇太はかける言葉をもたない。が、淡々と、ワインを口に運んで少し口が軽くなったのもあるだろう。藤代は話を続けてくれた。
「その悪魔の名前は、『ルンペルシュテルツキン』。…聞いたことあるか? ある童話に登場する、どんな願いも叶える悪魔の名だ。代償は『今、ここには無いもの』。物語の場合は、願いをかけた女が、未来に産む赤ん坊の命だった。尤も、女が悪魔の名前を言い当てて、悪魔は子供の命を奪わずに退散する訳だが」
「童話、の」
「――俺の奥さんの、特技は知ってるよなァ」
 知っていた。勇太は眉根を寄せる。不気味な一致だった。
 彼の奥方である藤代響名の特性は、「童話」。物語に登場するアイテムを再現する能力に長けた、魔導錬金術師である。
「…あの…でも」
 咄嗟に勇太が思い浮かべたのは時系列が噛みあわない、と言うことだ。藤代が眼球を奪われ、悪魔と共に過ごしたのは、恐らく彼が子供の頃の話――20年は前のことだろう。
 歯切れの悪い勇太の物言いに、藤代は彼の浮かべたアイディアを察したのかもしれなかった。苦笑を落としてグラスをテーブルに置く。すっかり冷めたキッシュを切り分けながら、

「御伽噺のルンペルシュテルツキンは『今ここに無いもの』を代償として要求する訳なんだが、あいつの作ったモノはそこを極端に曲解してあってな。――『今ここでは無い時間軸での出来事』を『奪って無かったことにする』ことが出来る力を持つ」

 つまり。

「過去の改変が可能な魔道具、ってことだ」



 場に沈黙が落ちた。折角の特上チーズを齧る気にもなれない。切り分けられたキッシュを差し出されたが、勇太はフォークを手に取ることも出来ず、ただ、あまり好まないアルコールを一口だけ啜った。味は分からなかった。このところ続いた不審な通報と、IO2でも度重なった、悪戯と片付けるには件数の多い、「何かがあったのに駆けつければ無かったことになっている」という、あの事象はまさか、と内心が冷える。
 誰も認識できない場所で、何かが起きている。
 ――彼女の作ろうとしているルンペルシュテルツキンが、動いている。
「動作テストにしちゃ件数が多い。…暴走してんじゃねーのかなぁ、って懸念はあるなァ」
 俺の奥さんの話がIO2で出てこないのはそのせいだろう、と彼は断じた。つまり、誤作動していると推測される「ルンペルシュテルツキン」を抑え込むのに忙しくて、それ以外のトラブルを起こせないのではないか、と。
「やっぱ、完成させちまうのが手っ取り早いのかね」
 他人事のような語り口が却って、勇太を動揺させた。
「完成させるのに必要なのは、さっきも言ってましたけど」
「俺の眼球。…元々あの『ルンペルシュテルツキン』は、過去において生贄にされた俺の右眼を奪ってる訳だからな。『現在の俺の左眼』が完成に必要、ってのは、まぁ納得はできる話だ」
「…あの、今、未完成のその悪魔…というか、魔道具、ですか。それの右眼、って」
「ああ、俺のだよ。過去の、ガキの頃のな。一度過去まで行って奪って、現代に戻ってきたんだろうさ。ご苦労なこって」
「響名さんがそんなことを、したんですか」
 声が少しだけ震えてささくれたのが分かる。――顔を合わせる勇気が無い。苦笑してそう告げた響名の姿も覚えているし、愛してるわ、と笑いながら冗談めかして告げた、夜の帳の中の彼女の声だって知っているのに。何故、と彼は眉根を寄せた。その様子に、藤代はまた、笑う。今度は本当に愉快そうに。
「お前、その調子だとカノジョは当分出来そうにねぇなー」
「なん」
 今、そんなふざけた話をしている場合なのか。
 反発しかけた彼の機先を制するように、ぐいとグラスの中身を乾して、
「男女の機微ってのはな、簡単じゃねーんだよ」
 笑みが蕩けるような、恍惚としたものを浮かべたのは果たしてアルコールの力によるところだったろうか。

「――俺はそういう愛弟子だから、惚れて嫁にまでしたんだからな」

 惚気と呼ぶには、些か苛烈な告白。
 果たして自分にかつてそれだけの想いを寄せる相手は居ただろうか。感情に呑まれた勇太は言葉を選べないまま、アルコールを口に含んだ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8636 / フェイト・− 】