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滅びの聖女
自分が何故、こんな所にいるのか。何のために、ここへ来たのか。
それをフェイトは、思い出した。思い出すと言うよりも、改めて考えてみなければならなかった。
ドゥームズ・カルトを壊滅させる。それが任務である。
だが壊滅とは、どういう事か。
ドゥームズ・カルトが本尊として崇め奉っている、実存の神。それを滅ぼせば、この組織は地上から消え失せてくれるのか。
ここは大僧正の間。実存の神は、この奥の聖殿と呼ばれる区域に在る。
そこへと攻め入り、実存の神を破壊したところで、しかし意味はないのだ。
「実存の神なんてもの、代わりはいくらでもある。そうだな?」
フェイトの問いに、レディ・エムは答えない。ただ微笑むだけだ。
高僧の衣装に身を包んだ男女2人が、対峙している。
男は、緑色の瞳をした若者。女は、真紅の瞳の少女。
微笑むだけの少女に、フェイトは拳銃を向けようとしたが、拳銃など持ってはいない。捕われた際に当然、没収されている。
この剣呑極まる相手と、素手で対峙しなければならなかった。
「このドゥームズ・カルトって組織そのものが、そうなんだよな……あんたの一存で、潰す事も出来る。地球上のどこかで、いつでも復活させられる」
「もう、そんな必要はないわ。貴方を捕えるための組織は、もう要らない。貴方は私のものに、なったのだから」
言葉と共にレディ・エムが、たおやかな片手を掲げる。
フェイトに奪われ、放り捨てられた杖が、ふわりと宙に浮いた。
「それが嫌なら、抗ってごらんなさい?」
少女の繊手が、杖を再び掴んでいた。
「可愛らしく、往生際悪く、刃向かっておいでなさいな。私が叩き潰してあげる」
言葉に合わせて、錫杖のような杖がブゥンッ! と空気を裂く。
フェイトは軽く後方へ跳び、かわしていた。
レディ・エムが、なおも踏み込んで来る。
杖が、またしても唸りを発した。
「これで思いきり殴ったら、きっと痛いわよね……かわいそうなフェイト……」
少女の細腕が、男の武術者顔負けの剛力と技量で、金属製の杖を猛回転させる。
暴風のような一撃をフェイトは、よろめくように回避した。
かわされた杖が、柱を直撃・粉砕する。仰々しく彫刻された石柱が、綺麗に砕け散っていた。
「だけど仕方のない事なのよ。だってフェイト、貴方は痛くしないと大人しくなってくれないから」
石の破片を蹴散らすように、レディ・エムの細身がくるくると舞う。ゆったりとした高僧の衣装が、超高速ではためく。
怪鳥の羽ばたきにも似た躍動に合わせて、金属の杖が唸る。様々な角度から、フェイトを襲う。
頭蓋を狙う、横薙ぎの殴打。鳩尾を襲う、一直線の突き。低く旋回する足払い。
全てを、フェイトは辛うじてかわした。
白兵戦技術だけで回避できるような、甘い攻撃ではない。小規模な予知能力が自然に発動し、身体が勝手に動いている。
(何だ……俺の能力が、上がっている……いや、上げられている……?)
フェイトは感じた。何かが、自分に働きかけている。
自分の内にあるものが、その何かと……共鳴、共振している。
聖殿の方向。
得体の知れぬ何かは、そちらから感じられる。
(まさか……実存の神……?)
「……この際、何でもいい。戦いが、少しでも有利になるなら……」
怪鳥の舞を披露しながら迫り来る少女を、フェイトは睨み据えた。
「利用させて、もらうぞ!」
両の瞳が、エメラルドグリーンの輝きを迸らせる。
念動力を宿した眼光が、真正面からレディ・エムに激突する。
少女の細身が、無残にも砕け散った。一瞬、そう見えた。ちぎれた僧衣が、ひらひらと花びらの如く舞い散る。
7人のIナンバー。その1人を、自分は砕き殺してしまったのか。フェイトは、そんな事を思った。
自分の分身とも言うべき、7人の少女。その1人でも命を落としてしまった時、フェイトに仕掛けられた「リミッター」が解除されてしまう。結果、何が起こるのかは、フェイト自身にもわからない。
だからと言って、生かしたまま無力化出来るような容易い相手ではないのだ。
(何とか……魂の連結を、断ち切る事が出来れば……)
少女に植え付けられた、とある女性の魂。それを討ち滅ぼす、のは不可能でも、せめて少女から引きずり出す事でも出来れば。
それは、しかしレディ・エムを、まともに戦って敗死させるよりも困難な離れ業である。
幸いに、と言うべきであろうか。無残にちぎれ飛んだのは、彼女のまとう高僧の衣装だけであった。
後方へと吹っ飛んだレディ・エムが、くるりと宙を舞いながら軽やかに着地し、杖を構える。
少女の細身にピッタリと貼り着き、いささか凹凸に乏しいボディラインを強調しているのは、強いて言うならばチャイナドレスに似た緑色の衣装だ。水着かレオタードのようでもある。
緑色。あの女性の髪の色だ、とフェイトは思った。
「貴方、可愛いわ……可愛すぎるわよフェイト。よりにもよって私に、念動力の勝負を挑もうなんて」
本当に楽しそうに、レディ・エムは笑っている。
「いいわ、もっと抗いなさい。逆らいなさい、歯向かいなさい。そんな貴方を、私は今から手に入れる……フェイトを、私だけのものにする。こんな楽しい事ってないわ」
「……一応、訊いておく。俺を手に入れて、一体どうするつもりなんだ」
フェイトは問いかけた。
「あんた、俺を一体どうしたいんだ?」
「嫌だわフェイト。私がそんな事……きっちり考えてあるとでも、思っているの?」
レディ・エムが、ゆらりと杖を掲げる。
フェイトを見つめる真紅の瞳が、燃え上がるように輝いた。
今、フェイトが放ったものと同じ……否。それよりも数段上の破壊力を有する念動力の波動が、真紅の眼光と共に襲いかかって来る。
「くっ……!」
目に見えぬ波動を、フェイトは睨み据えた。エメラルドグリーンの瞳が、激しく発光する。
同じく念動力の塊が、防壁の形で出現した。
そこに、真紅の眼光が、嵐の如くぶつかって来る。
轟音と衝撃が、大僧正の間を揺るがした。
防壁が砕け散り、目に見えぬ力の破片が、一瞬だけキラキラと光を発しながら飛散する。
光の破片と一緒に、フェイトは後方へと吹っ飛んでいた。
そして壁に激突し、ずり落ちる。倒れているのか座り込んでいるのか、判然としない格好になってしまった。
背中を強打し、呼吸が止まりかけている。
ぜいぜいと息をしながら、フェイトは血を吐いていた。体内のどこかが、破裂している。
「本当に……貴方を、どうしようかしら。ねえフェイト?」
レディ・エムが、ゆっくりと歩み寄って来る。
その足が、ぴたりと止まった。
「このまま、お持ち帰りするも良し。それとも……この悪趣味な建物を、綺麗なフェイト小屋に建て替えてみようかしら?」
花の香り、のようなものが漂っている。フェイトを、包み込もうとしている。
あの少女ならば「腐った花の臭い」と表現するであろう。
「貴方を、ここで飼ってあげる。仔犬ちゃんみたいに、ね」
濃密に匂い立つものが、レディ・エムの身体から立ちのぼり、漂い、押し寄せて来る。
人形のような棒立ちの姿勢のままレディ・エムは、今やレディ・エムではなくなっていた。意思を持たないに等しい、少女の肉体だ。
真紅に輝いていた瞳は、今は緑色をしている。眼光も光彩も失い、ただ緑の色素だけで満たされた瞳が、虚ろにどこかを見つめている。
先程まで少女の両眼を赤く輝かせていたものは、今は香気を発する何かとなって、フェイトの周囲に漂っていた。そして言葉を発する。
「こんな辛気臭い村は潰して、一面のお花畑にしてあげるわ。お花に囲まれたフェイト小屋で、貴方はもう戦う事も苦しむ事もなく幸せに暮らすのよ。ああ心配しないで。あの子もすぐに捕まえて、一緒に入れてあげるから」
レディ・エムの人格を成しているものが、少女の身体から離脱し、フェイトを取り巻いているのだ。
「私はね、今まで辛い事ばかりだった貴方たちに、幸せになって欲しいだけ……前にも言ったけれどフェイト、貴方はあの子と2人っきりで幸せに暮らすのよ。生活の面倒は私が見てあげる」
冷たく、しなやかで滑らかなものが、フェイトの頬に触れた。
たおやかな、女性の手。
目には見えない。だが確かにそれは存在していて、香気を発しながら、フェイトの頬を撫でている。本当に、愛おしそうにだ。
「私はただ、幸せな貴方たちを見つめて……幸せな気分に、なりたいだけ……」
その手が、痙攣した。
何かが、天井から降って来ていた。
3本の、ナイフのようなもの。
それらが、3方向からフェイトを取り囲む形で床に突き刺さり、三角形を成している。
ナイフ、ではなくクナイであった。
3本のクナイが、それぞれ1枚ずつ、長方形の紙片を床に刺し付けている。
真言、らしきものが書かれた、3枚の札。
それらが、雷鳴を発した。何者かの、呟きに合わせてだ。
「ナウマク、サマンダ、ボダナン……インダラヤ、ソワカ」
真言を呟きながら、ふわりと床に降り立った黒い人影。カラスか蝙蝠が降りて来た、とフェイトは思った。
思っている間にも、雷鳴は激しさを増してゆく。
3枚の札が、電光を発していた。
荒れ狂う放電の光が、3方向から発生しながらフェイトを取り囲み、まるでピラミッドのような電光の檻を形成している。
それは、しかしフェイトを閉じ込めるためのものではなかった。
「やっと出て来たな……フェイトに、直に触ってみたかったんだろ?」
カラスのような蝙蝠のような男が、言った。
吐血に汚れた口元を手で拭いながら、フェイトは声をかけた。
「穂積さん……」
「そいつは悪霊怨霊の類だけを縛り付ける結界だ。お前は動けるはずだから、そこから離れた方がいい……若作りの年増女と、いつまでもよろしくやっていたいってんなら話は別だが」
フェイトは少しだけ慌てて、その場を動いた。電光の檻から、這い出した。
荒れ狂う電光が、フェイトの身体に触れる。何も起こらない。静電気ほどの感電もなく、フェイトはそこから脱出した。
「待って……待ちなさい、フェイト……」
今までフェイトの身体にまとわりついていた何かが、電光の檻の中に残されている。花の香気を発する、形なきもの。
それが今、穂積忍が結界と呼んだものに閉じ込められている。
目に見えなかったそれが、荒れ狂う電撃の光に照らし出され、僅かながら姿を見せていた。
空間の揺らぎが、美しい女性の姿を成している、ように見える。
実体のない女性が、電光の檻の中で、両の瞳を赤く爛々と燃え輝かせているのだ。
「今まで……鬱陶しいけれど見逃してあげていた、ドブネズミのような男が……そう、私からフェイトを奪おうと言うのね……」
「奪うつもりはないさ。俺だって、こんなのは要らん」
「……じゃあ何で、助けに来てくれたのかな」
フェイトは穂積を睨んだ。
電光の檻に向かって独鈷所を掲げたまま、穂積がニヤリと笑う。
「お前はまあ、囮として役には立ってくれたからな。助けられるようなら、このまま助けてやる。まだわからんよ? お前を見捨てて逃げなきゃならん状況に、これから陥らないとも限らんからな」
「囮……ね」
フェイトは、全てを理解した。
穂積忍の目的。それはフェイトを手に入れるべく最終的に姿を現すであろう、とある人物の、捕縛あるいは討伐なのだ。
「ま、さすがに御本人様が出てくるわけはないか……それでもまあ、こうして魂の一部だけでも取っ捕まえておけば、本体に何らかの痛手は与えられる。上手くすれば」
「本体の居場所を、探り当てられる……かも知れない?」
「そういう事だ。ま、それはそれとして覚悟しとけよフェイト」
穂積は言った。
「お前の単独行動、探偵様がいたく御立腹だ。便所掃除1年間、くらいで済むといいな?」
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