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魅了の彫像
地図と睨み合いながら辿り着いた館の主は、艶やかな体付きの女性であった。
「何でも屋さん?」
「はい。ファルス・ティレイラです」
丁寧に頭を下げた少女の紫水晶が、陽光を受け止めて溢れんばかりの輝きを放つ。
その鮮やかな色が――。
琴線に触れたのだろうか、見惚れるように相好を崩した女性が、手招きをしながら踵を返した。
――それが数日前の話になる。
手にしたはたきの埃をゴミ箱に落として、ティレイラは大分慣れてきた広すぎる部屋を見渡す。
内容不明の長期泊まり込みの依頼と言われて、何があったものかと少しばかり警戒していたが、何ということはない。要はこの豪奢な館の掃除に手が回らぬというだけのことだった。
この家は実に広い。女性が一人で住むには少々部屋数が多すぎる――それに、装飾品が絢爛過ぎる。
ティレイラと同年代の少女が描かれた肖像画。
指紋ひとつついていない金の燭台。
人の姿をした大小様々な彫刻。
寒々とした広さを強調するような静物に、最初こそ不気味さを覚えていたものの、それも二日目には薄らいだ。今となっては躊躇なく近寄って裏側を覗き込むこともできるようになったし、こうなると少しばかり愛着も湧いてくる。
日に日に効率化されていく仕事を終えて、さて次はと別の部屋を想起したティレイラの思考を遮るように、大仰な造りのドアが開いた。
「ここにいたのね、お疲れ様」
「ありがとうございます」
依頼主の姿に笑いかける。一房だけが紫に染まった艶やかな黒髪が、
「本当に、可愛くて頑張り屋さんのいい子ね。頼んでよかったわ」
時折――。
彼女はこういう目でティレイラを見る。
恍惚としたような、何かひどく歪んだような――。
好意ではあるのだろう。
あるのだろうが。
何故だか落ち着かないと視線を装飾品へ這わせた少女を覗き込むようにして、女が唇を吊り上げた。
「じゃあ、今日はちょっと別のお手伝いもしてもらおうかしら」
言った彼女の手には知らぬ間に魔導書が現れている。
それだけではない。
頭から生えた捻じ曲がった角、禍々しく揺れる尻尾――。
――魔族。
廻らせた視界からそれだけを読み取るや、ティレイラは竜の翼を顕現させた。
逃げなくては。
けれど――遅い。
即座に飛び上がろうとした彼女の尻尾に縄めいた魔法道具が当たる。あえなく床へ引き摺り下ろされた肢体を見下ろす女が何か、呪文めいたものを唱えるのを、絶望的な気分で聞いた。
それでも抵抗を――。
立ち上がろうとした体から力が抜けた。座り込むような形で床についた足先から何かがせりあがってきて、思考が曖昧になっていく。
見下ろす。
灰色の膝が見えた。
――石か。
石になっている。恐怖を伴うはずのそれがひどく心地いい。まるで暖かな布団の中で眠っているような気分で、このまま身を任せてしまえばいい夢が見られそうだった。
「ああ! やっぱり最高だわ!」
なんて可愛いの――と。
脱力して石に変わっていく体に柔らかな感覚がする。抱き締められて、頬ずりをされて、子供のような眠りに抗えなくなっていく。
――ああ。
――ちょっと、いいかも、これ。
*
朝になっても少女の彫像は消えていなかった。
その事実が何より嬉しくて、女は竜の翼と尻尾を生やしたまま彫像と化したティレイラに抱き付いた。石の冷えた感覚が愛おしい。
全く可愛い少女である。どんな名工の作品も、この輝かんばかりの生命を凝縮した少女にはかなうまい。
しかもこの石像は後数日しか楽しめないのだ。
期限付きであることがまた一層女を煽って、彼女は残る依頼期間の全てをティレイラの隣で過ごした。
――そうしてティレイラの依頼は終わる。
賃金の入った袋を手渡す女を、彼女はおどおどと見上げた。
依頼主の女性はひどく喜んでいて、報酬を随分と弾んでくれた。ティレイラにとっても嬉しい誤算であるし、それは構わない。
――構わないのだが。
「あの、私――ちゃんとお手伝い、出来てましたよね」
「あらあら」
くすくすと笑声を漏らす女性に不安げな目を向ける。――何しろ記憶が曖昧なのだ。
確かに掃除をしていたような気はするのだが――。
不確かさにすっかり小さくなってしまった少女の疑念を拭うように女が笑う。
「私の思った以上に頑張ってくれたわ。また来てね」
――また可愛い姿を見せて。
口の中で呟いた台詞に首を傾げるティレイラにも、彼女はただ笑みを浮かべるだけであった。
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