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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒の女豹(前編)


 その男子生徒は、皆に好かれていた。
 勉強も出来てスポーツ万能。芸能界入りが噂されるほどのイケメンで、僕以外ならば誰に対しても明るく優しく、おまけに親が有名な製薬会社の社長で家は大金持ち。
 皆に好かれていた、と言うより崇拝されていた。彼は、クラスの王様だった。皇帝だった。
 クラスメイトは男子も女子も、彼の言う事ならば何でも聞いた。
 僕を殴れと言われればそうしたし、僕を押さえつけて服を脱がせろと言われればそうしたし、僕の口にゴキブリを詰め込めと言われればそうしたし、僕の飼っていた犬にガソリンをかけて火をつけろと言われれば躊躇いもなく実行した。
 クラスの全員が彼の奴隷で、そして僕は奴隷ですらなかった。
 僕は、人間として扱われていなかった。
 だから、人間をやめたのだ。
 まず、彼を刺した。千枚通しで、思いきり抉ってやった。
 腸の中身を体内に拡散させれば、まず助からない。物の本に、そう書いてあったのだ。
 書いてあった通り、彼はたいそう苦しみながら死んでくれた。
 当然、僕は警察に捕まった。
 少年院だか少年刑務所だかに入れられる、その手続きの最中に、どこかから変な横槍が入ったらしい。
 気がつくと、少年院でも刑務所でもない、この施設に僕はいた。
 ここで僕の世話を担当してくれた女性は、優しい人だった。
 僕の言い分を本当に親身になって聞いてくれたし、僕にあの薬を処方・投与してもくれた。
 おかげで僕は、本当に人間をやめる事が出来た。千枚通しなど使わなくとも、人を殺せるようになった。
 彼女は時折、僕に自由時間をくれた。僕を、施設の外に出してくれたのだ。
 だから僕は、彼の奴隷となって僕にひどい事をしたクラスメイトたちを、次々と狩っていった。
 高校生連続殺人事件として、いくらか大騒ぎにはなったらしい。
 僕は、最高の気分だった。
 だがすぐに、最低な気分を味わう事となった。
 担当の女性が、不審死を遂げたのだ。
 後任の担当者も女性だった。前任者よりも若くて美人で、だけど心は悪魔そのものだった。
 悪魔のような女が今、僕の目の前にいる。
「よこせ……クスリを……よこせぇえぇぇぇえ」
 僕の口からは、そんな言葉しか出て来ない。
 あの薬を投与してもらえなくなってから、何日が過ぎたのか。僕はもう日を数える事も出来なくなっていた。
 全身に、何かがまとわりついている。
 金属の扉の、ひしゃげた残骸だった。
 僕はそれを引きちぎって放り捨て、ひたすらに叫んだ。
「クスリ! よこせよぉおおおおおおお!」
「独房の扉を破るとは……まだ、そんな力が残っておりますのね」
 悪魔のような女が言った。僕を、眼鏡越しに観察しながらだ。
 顔は綺麗で、眼鏡は似合っている。冷酷なほどに理知的な、白皙の美貌。
「もっとも、2日3日で抜けてくれるようなお薬なら苦労はないのですけれど」
 白いスーツは医療白衣のようでもある。
 純白のジャケットとブラウスを、ふっくらと格好良く膨らませた胸。
 綺麗にくびれた胴回りから、お尻にかけての広がり膨らみは、野性的な力強さすら感じさせる。
「いじめられっ子の坊やを、戦闘訓練もなしに生きた兵器へと作り変える……すでに、そんな段階に達しておりましたのね」
 わけのわからない事ばかり言う女に、僕は襲いかかっていた。
 どれほど美しい女性であろうと、今の僕にとっては叩き潰す対象でしかない。
 喉が潰れそうになるほど叫びながら、僕は右腕を振り回していた。
 クラスメイトに1人、力自慢の男子生徒がいて、皇帝の側近を気取っていたものだ。
 こうして右腕を振り回すだけで、僕はそいつの首をへし折った。
 その一撃を、しかし白衣の女は、かわしていた。
 長い黒髪が、ふわりと舞い上がって弧を描き、僕の視界を撫でてゆく。
 純白のスーツでぴっちりと強調されたボディラインが、竜巻のように激しく柔らかく捻れている。
 形良く引き締まりつつムッチリと膨らんだ太股が、白いタイトスカートを押しのけて跳ね上がった。
 次の瞬間、僕の頭は横向きに踏みつけられていた。
 顔面が、床ではなく壁に押し付けられていた。
「はい……もう、調査という段階ではないと思いますわ」
 ロングブーツで僕の頭を、ぐりぐりと壁に向かって踏みにじりながら、女はスマートフォンで誰かと会話をしている。
「殲滅の、ご命令を……いただけますわよね? 司令」


 あられもなく蹴り上げていた片足を、水嶋琴美はフワリと着地させた。
 壁に押し付けられていた少年が、ずり落ちるように倒れ、白目を剥いて動かなくなる。
 死んではいない。が、生きた状態でここから連れ出してやれるかどうかは、まだわからない。
 男たちの集団が、穏やかならざる足取りで、歩み迫って来たからだ。
 身なりの良い、偉そうな男が1人。他は、恐らく彼の護衛であろう。体格の良さ以外には、何の特徴もない一団である。
「あら、社長……このような場所に、何か?」
「その少年の前任担当者が、不可解な死を遂げた。後任の人事など、まだ決まってはいない」
 護衛を侍らせたまま、社長が語る。
「その間、我が社に忍び込んだ何者かが後任担当者に成りすまし、その少年を好き勝手に扱っている……勝手に薬の投与を止め、社運を賭けた実験を台無しにしようとしている」
 護衛の男たちが、さりげない動きで琴美を取り囲む。
 あの刑務所で戦った迷彩服の一団と、ほぼ同じだ。投与されている薬品の質は若干、向上しているかも知れない。
「もともと体力自慢の殿方に、いけないお薬を投与しつつ戦闘訓練を施して……強化兵士を、お造りになる」
 琴美は訊いた。
「その次の段階に、進もうとしておられますの?」
「その通り。体力の劣る一般市民を、戦闘訓練もなく超兵士に仕立て上げる……その少年は大切なサンプルだ。連れて行かせるわけにはいかん」
「ご子息の仇を、実験動物として虐め抜く。なかなかに楽しい復讐をなさいますのね」
「……私の事を、いくらかは調べ上げてあるようだな。やはり国家権力の関係者か」
 社長が、ニヤリと笑った。
「だが君は勘違いをしている。これはな、復讐などではない。私はその少年を憎んでなどおらず、むしろ期待しているのだよ。何の躊躇いもなく人を殺せる、その心……これはな、薬物や戦闘訓練で後天的に与えられる類のものではない。その少年の、生まれついての素晴らしい才能なのだ。彼はな、無様に殺されてしまった馬鹿息子などよりも、ずっと私の役に立ってくれる」
 この社長は1つだけ正しい事を言っている、と琴美は思った。
 躊躇いもなく人を殺せる心。それは、生まれつきでなければ決して持ち得ないものなのだ。
「私のように……ね」
 可憐な唇から、冷気のような呟きが漏れる。
「躊躇いもなく人を殺せる……それが一体、どういう事なのか。私が今から、お見せいたしますわ」
「やるであろうな、君ならば」
 社長が1歩、退いた。
 護衛の男たちが1歩、琴美に向かって、包囲の輪を狭めて来る。
 無言で、そして無表情で。
 刑務所で戦った者たちと同じく、感情と呼べるものを全て奪い取られている。生ける兵器として、躊躇いなく人を殺すために。薬物投与か、あるいは機械的な洗脳処理によるものかは不明だが。
「あの刑務所での君の活躍は、見せてもらった。1度だけ、声をかけておこう……私に協力したまえ。重役待遇で我が社に迎えたいと思う。強化兵士として、君ほどの素材は恐らくこの世に存在しない。その少年で開発した薬を、君のために」
「おあいにく様。私、その類のお薬は身体に合いませんの」
 琴美は、その場で身を翻した。
 そうしながら、白のジャケットを脱ぎ捨てる。
 同じく純白のタイトスカートが、ジャケットが、琴美の身体から剥離して宙を舞い、周囲の男たちに目くらましを見舞う。
 その間。琴美の全身は、打って変わった黒一色に包まれていった。
 黒光りするラバー生地が、豊麗な胸の膨らみを閉じ込め、引き締まった脇腹の曲線を強調し、白桃を思わせる尻の丸みをぴったりと包み込み、女豹のような肉感を詰め込んだ左右の太股に貼り付いてゆく。
 全身を包む、艶やかな暗黒色。ただ胸元だけはダイヤ型に開いており、深く柔らかな白い谷間が、むっちりと露出している。
 力強いほどに形良く丸さを保った尻の周囲で、短いプリーツスカートが花弁の如く広がった。
 そこからは黒一色の美脚がすらりと伸び、編み上げのロングブーツで軽やかに通路を踏んでいる。
 スカートと一緒に巻き付けられたベルトからは、棒状の物体が2本、腰の左右に吊られていた。
 鞘を被った、あまり長くはない日本刀。短剣と呼ぶほどには短くない。左右一対の、小太刀である。
 それらを、いきなり抜き放ったりはせず、琴美はまず眼鏡を外した。
 鋭利な眼光が、レンズに遮られる事もなく、周囲の男たちに向けられる。
 可憐な唇が、にこりと不敵に歪みながら言葉を紡ぐ。
「いかが? 超高速・生着替え……練習しましたのよ」