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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒の降る夜(3)
 自室にて、瑞科はこれから自分が向かうであろう街で最も購読されている新聞に目を通していた。その新聞には『集団失踪』や『霧』という文字が一際大きく印刷されており、目を引く。
 ひと通り読み終わった頃、不意に通信機に連絡が入った。相手は、司令官である神父だ。
「ナイスタイミングですわね、司令官」
 瑞科の扇情的な唇が、綺麗な弧を描く。
「教会」に所属する武装審問官に、今日も任務がくだされるのだ。

 司令官室へと足を踏み入れた瑞科に、早速とばかりに神父は任務の内容を話し始める。
「先日街を襲った悪魔の拠点が分かりました。その場所は……」
「町外れにある、朽ちた教会ですわね」
 神父が言い切るより前に正解を言い当てた瑞科に、彼は一瞬目を丸くした。しかし、長い付き合いから彼女が今回の件について何か気付いた事を察したのだろう。
 すぐに穏やかな笑みを浮かべ、彼は頷く。
「ええ。任務の内容は、敵のせん滅です。頼めますか、シスター白鳥」
 答えに迷う必要も、気もない。瑞科は美しい笑みと共に、神父に頷き返した。
 
 ◆

 キィキィと鳴きながら、ほんの少し先にあるものすらも分からぬ深い霧の中をコウモリは飛ぶ。
 その後を追う、一つの影。白の編上げのロングブーツが地を叩く、小気味の良い音が周囲へと響いた。黒いミニのプリーツスカートが、影の動きに合わせて揺れる。
 ぴったりと肌に張り付き豊満で魅力的なボディラインを浮き立たせる「教会」の装飾の入った長い上着に、鉄の小型の装飾の入った肩当て。太腿に食い込むニーソックスとガーターベルトを身につけ、短めのマントをたなびかせながらコウモリの後を追うのは、戦闘用の衣服を身にまとった瑞科だ。
 やがて彼女は、ある寂れた教会へと辿り着く。
 瑞科を迎えるように、彼女のほうを振り返るコウモリ。彼は一度四散すると、黒い霧のようなものに姿を変えてから再び一箇所へと集まり、一体の悪魔の姿を象った。先日瑞科と戦った、言語を介す上級悪魔だ。
 どうやら彼は、息絶える寸前に自らの心臓の一部を体から切り離しコウモリへと姿を変え生き延びたようだ。そして瑞科は、その事に気付いていながらも、彼らの本拠地を知るためにわざと見逃したのだった。
『一人でこのような場所へくるとは、勇敢なお嬢さんだ』
「あら、道案内をしてくださったのは貴方様でしょう? ご苦労様でしたわ」
 ――おかげで、霧の中を迷わずこれましたわ。そう続けた瑞科に、悪魔は『くくく』と嫌な笑声を返す。
 この教会の近辺がある日突然深い霧に包まれてしまったという知らせは、もう何日も前に街の住民から届いていたので、今の仕事が片付いたら詳しく調査する予定だった。けれどもう、その必要はない。
 霧の正体は、悪魔が自分達の本拠地がバレないように周囲に魔術で作り出した幻惑だったのだろう。この悪魔を倒せば、恐らく霧も消えるはずだ。
「それで、わたくしをここに案内してくださった狙いは何でして?」
『決まっている。貴様のその美しく強靭な魂を、我に食らわせるのだ。この場所は我のための場所、我が一番力を発揮出来るところだ。先日のようにはいかぬぞ』
「場所を変えたくらいでわたくしに勝てると思っていまして? 甘く見られたものですわね」
 呆れたように肩をすくめた瑞科は、不意に視界の端で何かをとらえた。
 そこにいたのは、割れたステンドグラスの下で祈り続けている修道女だ。
 ……この街でここのところ起きている事件は、霧だけではない。十数人もの修道女達が、一斉に姿を消す集団失踪事件もあった。
「貴方様が、信仰深い魂を持つ彼女達の事を無理矢理さらっていたのかと思っていましたけれど……」
 どうやらそれは、違ったようだ。今も体勢を崩さず熱心に祈りのポーズを象っている彼女が、真実の証人となる。
 祈りを捧げるのは、彼女達の意思。
 悪魔が彼女達を集めたのではない。集まった彼女達が、悪魔を呼び出したのだ。
 彼女達は、神に仕える身でありながらも悪魔の事を信仰してしまった異教徒なのである。
 悪魔を崇める者達が集まり、この今はもう使われてない教会にて儀式は行われた。悪魔を呼び出すための呪術を教会の床へと描き、動物の亡骸を生贄として献上し、祈りを捧げる。召喚のための手順は完璧だった。けれど、この場に散らばっている動物の骨……。恐らく生贄のものだろうが、このような上級の悪魔を呼び出すためには数が足りなすぎる。
 ならば、何故彼女達は高位の悪魔を呼び出す事に成功したのか。その答えは、今も祈りのポーズを崩さぬその修道女にあった。
 否、正確にはー―。
 強風が吹き、修道女の衣服をさらっていく。その下から現れたのは、清らかなる聖女ではない。
 二つの窪んだ眼孔には、深淵なる闇が詰まっている。白骨には、ところどころに腐敗した肉片が付着していた。
 それは修道女ではなく、物言わぬ躯だった。
「彼女達は、動物達だけでなく自らの魂をも贄として差し出し、貴方様を呼び出した……という事ですのね」
 召喚のために、彼女達は自らの命をも差し出した。行き過ぎた信仰心は、元々濁っていたそれを更に歪な形へと変え、最悪な結末をもたらしたのだ。
『くくく、人間とは実に愚かな生き物だ。さぁ、我が信者達よ。客人をもてなしてやれ!』
 悪魔の呼びかけに応えるように、亡骸はゆっくりと立ち上がる。彼女達の魂は救われる事なく悪魔の糧として使われ、体は眠りにつく事を許されず悪魔達に利用され続ける。
 瓦礫の影に隠れていた他の死体も、自らの主の声に従いゆっくりと這い出てきた。
 もう救う事の出来ない哀れな魂達に、瑞科は痛ましげに瞼を伏せた。しばし彼女達のために祈りを捧げた後、ゆっくりと目を開く。瑞科の顔つきが、決意のこもったものへと変わる。
 透き通った空のような美しい青い瞳は、悪魔の事を勇ましく睨み上げた。
「これ以上彼女達の命を弄ぶ事は、このわたくしが許しませんわ」
 彼女は杖を構え、悪魔達は笑い、修道女の死体は這いずる。
 そして今宵もまた、長い長い――戦いの夜が、始まる。