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魔女の目論み
森の中を、ファルス・ティレイラは走っていた。黒く長い髪が緑の背景と妙にマッチしていた。
もちろん、ただの散歩ではない。既に彼女は息を切らしつつあったが、れっきとした仕事でのことだった。
配達屋……いや、なんでも屋といったほうが正しいか。配達業がティレイラの収入源の主たるものであるが、それ以外の仕事も意外と多い。なんでも屋といえば聞こえはいいものの、実際のところは肉体労働や無茶な依頼も多い。持ち前の好奇心と人ならざる力、でティレイラはそれらをこなしてきた。
此度の依頼も肉体労働だった。目深にフードを被った魔法使いの女性がティレイラの元に現れ、こう言ったのだ。
「私はとある森で慎ましく過ごしている、魔法を遣うものです。浮世の人々とは離れ、ただ魔法の研究をして過ごしております」
その女性は口元の表情しかうかがい知ることはできなかった。身体をしっかりと覆うローブは厚手だった。
「このところ、私の館にある魔法具が盗み出されているのです。魔法の痕跡から、どうも魔族のようなのですが、どうにも逃げ足が速く、捕まえることが叶いません」
招かれたその館は、深い森の中にあった。街からは遠く、人々を無暗に怯えさせぬようにしているとその魔女は話した。出された木苺のタルトは甘く、ふんふんと頷きながらティレイラは二つ返事でその依頼を承諾してしまったのだ。
少しだけ軽率だったかな、と思わないでもない。しかし魔女は隠者のような暮らしを人々のために選んでいると言ったし、そんな人物から所有物を盗みだすなど、魔族でなくとも許せるはずはない。それに、魔族が魔法の品を狙うのも気になる点だ。魔族が悪人ばかりとは限らないが、元々高い魔力を持つ魔族が魔法の品など悪用した日には、魔女が気遣った街の人らにも何かの被害が出ないとも限らない。
首尾よく現場を抑えることには成功したが、逃げ出した魔族を追って、館から森に飛び出したのであった。
(でも油断したぁ……っ! 魔女さんと協力して、魔力封じの結界を貯蔵庫に張ったのに、まさか力づくで逃げ出すなんて……!)
ティレイラも竜の一族である。見た目は可憐な少女でも、単純な腕力ならば人間には劣らないのだが、どうも魔族にはそうも行かなかったようだった。おかげでこちらも、大がかりな結界を使って消耗した身体で、懸命に追いかける羽目になったのだ。
張っている木の根、うろのある大木を避けて少し前を逃げている魔族を見やる。小柄な身体だ。外見も少女そのものだった。だから油断したのもある、のかもしれない。
(このままじゃいつまで経っても追い付かない……)
むしろ少しずつ引き離されてる気がする。二本の足だけでは追いつけない。森は深いが、少し開けたところに出たのを見て、「ここだ」と思った。
ほんの少し、本来の姿を出せばいい。足を止めて、ティレイラは身体を丸めた。黒髪の合間から紫が差す。その色は膨らんで、ばさりと竜の皮膜が広がった。スカートの中から尾も覗く。
逃走している魔族が、追っ手の気配が遠ざかったことに振り返った。が、その時既にティレイラはその翼で空を裂き、滑空の勢いで油断していた少女の魔族に体当たりした。予想外にスピードが出て、ティレイラは魔族の少女と二人で土と草の上を転がり、木の根に引っかかってようやく止まった。マウントホジションをとったティレイラが、少女の魔族に腕を抑える。
「やっと捕まえた! もう逃がさな……」
余裕顔のティレイラが、しゃらんとした金属のこすれ合う音に、ハッと表情を変えた。後ろから誰かが、ティレイラの首に豪奢な首飾りをかけていた。金色の、繊細な首飾りだ。
「よくお似合いですよ」
ティレイラが振り返ると、ティレイラに依頼をしてきたあの魔女がそこにいた。数歩下がって。にこりと微笑む。相変わらずの分厚いローブ。フードが落ちて、頭に二本の角を認める。
「魔族……!?」
「罠にかかってくれて、どうもありがとう。竜族のお嬢さん」
罠? とティレイラが警戒するその時、首飾りから魔力が溢れて膜のように見える何かがティレイラの表面を覆っていくかのように広がっていく。
「何……!?」
危機を察して、ティレイラはその首飾りを取ろうとつかみ取った。
「魔法金属に変えて、身に着けた者を封印する魔法の品よ。高い魔力を持つものほど、純度は高くなる。竜族の魔力、それはそれはとても高純度の像になるでしょうね」
「ひっ……!」
力任せにティレイラは首飾りを引っ張った。繊細なパーツの連なる見た目とは裏腹に、引きちぎろうにも軋む音すらしない。そもそも封印具が簡単に壊れては意味がないので、当たり前とえば当たり前なのだが。
その魔力でできた膜は、出したままの翼や尾の先にまで既に広がりつつあった。
「さあさ、早くしないと、本当に像になっちゃうわよ」
「いや……いやあああああ!!!」
ついに泣き出し始めたティレイラを、膜が完全に覆っていた。淡い光を放った彼女は、首飾りを必死に引きちぎろうとする動きを止めて、白銀の彫像へと変わっていた。涙を流しながら、悲愴な表情そのままに。
魔女を偽っていた魔族はその頬に触れ、つつ、となぞった。冷たい感触。竜族の魔力は思った通り強く、魔法の金属は高い純度を持っていることがすぐに分かった。
はぁ、と魔女はその姿に興奮の吐息を吐いた。しなだれかかるようにして丸いラインをなぞってゆく。素晴らしい出来だ。
「姉さま。素敵ね」
少女の魔族が声をかけた。
「この像、どうするんですか?」
「飾るもよし、飽きたら好事家に売り払うもよし……。でも、そうね。しばらくは館を飾ってもらおうかしら」
少女の魔族に微笑みかける魔女は、同じ微笑みだというのに邪悪な気配を滲みだしていた。
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