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<東京怪談ノベル(シングル)>


人を忘れた犬が行く先

 おなかすいた。
 かったらごしゅじんさまがごはんくれる。
 おなかすいた。
 ねむい。
 あたしはだれ?
 あたしはいぬ。
 ごしゅじんさまのいぬ。
 ごしゅじんさまにちかづくやつは───ころす。

 あたしはだれ?
 あたしはいぬ。
 ごしゅじんさま、たくさんころしてあげるね。

「連絡が取れない……」
 イアル・ミラールは、弱ったように溜め息をついた。
 ブロンズ像にさせられていたSHIZUKUを助けてから数週間……念入りにお風呂で臭いを落としたSHIZUKUと交友を持つようになった彼女は、暇があればオカルトスポット探索に付き合っている。
 SHIZUKUは精力的に動き、最後に連絡が取れた時点で複数回足を運んでいた。
 ブロンズ像の1件から2ヶ月近く、SHIZUKUと連絡が取れなくなってから1ヶ月が経過している。
(嫌な予感がする……)
 最後の連絡は、オカルトスポットへのお誘いだった。
 が、イアルにたまたま用事があり、一緒に行けなかったのだ。
 日を変えることも考えていないらしいSHIZUKUへ、危なくなったらすぐに逃げるよう注意はしたのだが。
「……確か、都内郊外にある洋館に行くと言っていたわ……」
 情報を集め、イアルは知る。
 大正期に建てられたという触れ込みのその洋館付近では、少女の失踪が多発しているということ。
 洋館付近から、何か唸り声のようなものが聞こえた為、人が近づいてないということ。
「……何かがあるわね」
 イアルは支度を整え、件の洋館へと向かった。

 その住宅街は、都心から電車で1時間もしない内に着くことが出来る。
 都会の無機質さとは異なり、自然も感じさせるその住宅街は、一般的に高級住宅街と呼ばれおり、立ち並ぶ家の規模も大きい。
 洋館はこの高級住宅街の一角にあり、洋館の地下にはこの一帯を走る地下水道にも繋がっているらしい。
(失踪しているのは少女だけ……)
 立ち入っていないのか、失踪している者の中に男の名前はなかった。
 イアルは茂みをかき分け、姿を見せた洋館を見据える。
 雰囲気のある洋館だが、手入れもされず年月が経過しているからか、朽ちていると言って良い状態だ。
「……きっと、ここにいる……」
 イアルは確信めいた言葉と共に洋館へ踏み込んで行った。

 洋館に入ると、風に流れてきたのは強烈な悪臭だ。
 薬品のようなものでもなく、まして死体といったものの腐臭ではない。
(これは、体臭……)
 イアルは咄嗟に鼻を押さえるが、同時に人間がいる何よりもの証拠と判断し、先へと進む。
 部屋をひとつひとつ確かめ、やがて水が石を叩くような音が耳に届いた。
(地下水道……?)
 情報によれば、地下水道は石畳……もしかしたら、その音かもしれない。
 イアルが音の方角に目を向けた瞬間───

「グウウウウウ……ッ」

 咆哮と共に暗闇から大型の何かが襲い掛かってきた。
 咄嗟に飛び退き、イアルは驚愕に目を剥く。
「え……?」
 襲い掛かってきたのは、四つん這いの人間だ。
 恐らく失踪したという少女なのだろう、全員女性である。
 人としての尊厳もなく、唸り声を上げてイアルを取り囲んできた。
「お気に召していただけた? あなたも仲間入りするのよ」
 イアルが声の方角を見ると、女が立っていた。
 彼女が手を伸ばす先には、彼女達と同じような姿のSHIZUKUがおり、イアルへ敵意剥き出しに唸り声を上げている。
 名を呼ぼうとして、踏み止まったイアルは、女を見据えた。
「あなたがこれを?」
「そうよ? どんなコも私の前では這い蹲る犬なの。ふふ、可愛いでしょう? 私にだけ懐く、可愛くて怖いワンちゃん」
 つまり、この女はそれが可能な力を持った魔女だ。
 魔女を守るようにSHIZUKUが女の前へ出る。
「この子、可愛いでしょう? 出会った時も可愛かったから、もっと可愛くしてあげたの。誰よりも忠実なワンちゃんになってほしくて、手間を掛けたの。生きる為に他のワンちゃんと戦わせたり、私の可愛い魔法生物と戦わせたり……地下水道でずうっと頑張って……ほら、こんなに可愛い」
 説明しながら魔女が足を出すと、イアルへ唸り声を上げていたSHIZUKUは鼻を鳴らして無垢にその足を舐めている。その瞳には人としての知性はない。
 どこか羨ましそうな他の女性達もまた、今は野犬でしかないのだろう。
 ただの洗脳から、理性と尊厳を奪う調教……精神や心ではなく、魂に刻み込むやり方は───
「許せないわ」
 イアルの手に魔法銀のロングソードとカイトシールドが召喚される。
 敵意の表明に野生の番犬たる彼女らが咆哮と共に襲い掛かってきた。
「今は、ごめんなさい」
 イアルは柄の部分で少女達を昏倒させると、魔女へと向かう。
 人としての姿を見失ったSHIZUKUが跳躍し、イアルへ襲い掛かる。
 魔女はイアルの涎がついた足を靴に納め、艶やかに笑う。
「あなたはいいコよ? 後で特別に可愛がってあげるから、そのコから守って。……私の友達を苛めたの」
 まるでご褒美に飢えているかのようにSHIZUKUがイアルの喉笛目掛け、跳躍してくる。
 バックステップで回避したイアルは、この魔女と先日のブロンズ像の魔女の繋がりを察した。
 が、取り立てて、それらに対して思うことはない。
 寧ろ、その能力を駆使して、SHIZUKUを、少女達を……人としてのあるべき姿を奪った行為が許せない。
「わたしは───許さないと言ったわ」
 イアルはその言葉と同時に床を蹴った。
 SHIZUKUが人としての姿を失い、この魔女の番犬になったとしても、人間の姿のままであり、身体能力のスペックは変わらない。
 イアルはSHIZUKUの攻撃を回避すると、謝罪しながら柄で後頭部を殴り、気絶させる。
 後は、この魔女だけ───
「入念な躾をしなければ、ワンちゃんになれそうにもないわね」
 邪悪な三日月を口に描く魔女の後方より、彼女が生成したであろう魔法生物が襲い掛かってくる。
 けれど、イアルは迷わず魔女へ魔法銀のロングソードを突き出した。
 魔法生物かイアルへ襲い掛かる寸での所で魔女は絶叫を残して崩れ落ち、彼女の絶命を知らせるように魔法生物も塵と消えていく。
「……」
 イアルは喉に溜めていた息を吐き出し、振り返る。
 彼女達は、人に戻っただろうか。

 イアルは、その光景を黙って見ていた。
 魔女がいた床を四つん這いのSHIZUKUが舐めている。
(手間を掛けたというのは、こういうことだったのね)
 魔女が倒れたことで、意識を取り戻した彼女達の目には人間としての光が戻っていた。
 けれど、SHIZUKUだけは元に戻らなかったのだ。
 魔女に気に入られてしまった為に洗脳以上の手間を掛けられた為に魔女が倒れても尚、彼女は人間に戻れない。
(人に戻さないと……)
 イアルは、SHIZUKUを包み込むように抱き締める。
 飼い主以外に慣れない野犬はイアルの腕を噛み砕こうとするが、イアルはSHIZUKUの頭を撫でて呟いた。
「今日から、わたしがあなたと一緒よ?」
 人になるまで、ずっと。
 人である全てを忘れたSHIZUKUが、人であることを取り戻す日まで。
 イアルは、彼女の為に戦おうと思う。

 あたしはだれ?
 あたしはいぬ。

 ───いいえ、あなたは人間。
 SHIZUKUという、たったひとりの女の子。
 一緒に、取り戻していきましょう。