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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒の降る夜(5)
 黒。黒が降ってくる。邪気を孕んだ漆黒の羽根が、廃教会へと降り注ぐ。
 頭上に降臨したのは、まさに闇。目に痛い程の暴力的なまでの黒。
 漆黒の翼が羽ばたく音が、教会内へと響き渡る。常人が見たら思わず息をするのも忘れてしまう程の、禍々しく巨大な悪魔の姿がそこにはあった。
 けれど、瑞科の整った横顔には驚愕も焦りも浮かんではいない。その青く澄んだ瞳は怯む事なく、眼前の化け物を見据えている。「教会」屈指の戦闘シスターは、冷静に敵との距離をはかりながら長くしなやかな手で武器を構え戦闘へと備えていた。
 先程まで対話していた悪魔は、瑞科の予想通り仮初めの姿だったのだろう。廃教会の周囲を覆う霧のように、悪魔が作り出した幻だったのだ。真の姿を現すと同時に、用済みとなたその体は宙へと溶け霧散していった。
 後に残ったのは、ボロボロの神父服を身にまとった一体の躯だ。彼もまた、悪魔を信仰し自らの身体を捧げた生贄の一人だったようだ。
 自らを信じ頼ろうとした者達を、傀儡のように扱うだなんて……。
 彼らは、確かに道を間違えたのかもしれない。悪魔を信仰するだなんて、正気の事ではない。けれど、何かにすがり、救済を求める気持ちまで否定する気はない。
 優しき聖女は、痛ましさに一時だけ瞼を伏せる。長いまつげが、揺れた。
 しかし、それも一瞬の事。敵が動いた気配を感じ、瞬時に瑞科はその豊満な身体を宙へと躍らせる。跳躍し、後退した彼女は先程まで自分が立っていた床が抉れているのを視認した。悪魔が、強力な威力の魔術を放ったのだ。
「先程までとは、桁違いの強さですわね」
『くくく、怖気づいたか?』
 悪魔の視線が、瑞科の事をなぶるように見やった。しかし、女は余裕たっぷりの優雅な笑みを返してみせる。
「いいえ、むしろ感謝しております。これでようやく、わたくしも本気を出せますわ」
 そして彼女は、悪魔へと太腿の部分に隠し持っていたナイフを投げつける。ナイフは矢のような速さで迷う事なくまっすぐに飛んでいき、悪魔の身体へと突き刺さる。構える隙すら与えぬ突然の攻撃に、不意を突かれた悪魔は思わず飛ぶ事をやめふらふらと地上へと降りてきた。
 瞬間、瑞科は疾駆する。しなやかな身のこなしで悪魔の懐へと潜り込んだ彼女は、扇情的な脚を振るう。駆けてきた勢いを乗せたその足払いを受け、悪魔が体勢を崩した。その隙を狙い、もう一撃、二撃。
 舞踏のような美しい動きで、彼女は敵へと追撃をくらわせる。その際に、刺さったままだったナイフを回収する事も忘れない。鮮やかで手際の良い動きで、瑞科は悪魔を翻弄していく。
 悪魔は、慌てて彼女から距離をとると再び空へと飛翔。大きな翼を羽ばたかせながら、瑞科へと向かい魔術を放つ。しかし、瑞科は迫っていた魔術に向かい、ナイフを投げてみせた。おどろおどろしい色をした魔術は、彼女に届く事なく霧散する。
「これで、終わりですわ!」
 凛とした声が、辺りへと響いた。瑞科の手により、重力弾が放たれる。しかし、それは悪魔の顔のすぐ横をかすめはしたものの、直撃する事はなく天井へとぶつかり消滅してしまう。
『どこを狙っている!? 貴様もここまでのようだな!』
 悪魔は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、次の攻撃へと移ろうとした。この一撃をくらえば、人間などひとたまりもないはずだ。次の一撃で、勝負を決める。そう悪魔は心に決め、自らの勝利を確信し笑みを深める。
 ……彼は、気付いていなかった。全てが遅かったのだという事に。勝負は、すでに決まっているという事に。
「それは、こちらのセリフでしてよ」
『なに……?!』
 直後悪魔の耳に届いたのは、ガラガラと何かが崩れ落ちるような音。悪魔は頭上を見上げ、そして目を見開いた。ただでさえひび割れていた脆い天井が先程瑞科の放った重力弾によりとどめをさされ、崩れ落ちてくる。
 そして、降り注ぐは、黒。薄汚れた瓦礫が、悪魔の命を喰らう雨と化した。
 瑞科は、ミスをしたわけではなかった。最初からこれを狙っていたのだ。
 悪魔の悲鳴が、瓦礫へと飲み込まれていく。
『ば、ばかな……我が、こんなところで……』
 悪魔が放った最期の声は、誰の耳にも届かない。彼を信仰していた者達も、今はもうどこにもいない。皆、彼のために命を投げ出してしまったのだから。
 最後に一度うめき声をあげてから、命の尽きた悪魔は、すーっと消えていった。

 任務は終わりだ。白い鳥の名前を冠した女は、その場を後にする。彼女の背に羽はなく、代わりとばかりに短めのマントが揺れる。
 悪魔が倒された事で、霧が晴れたのだろう。黒い羽根の敷き詰められた薄暗い廃教に、僅かな月明かりが差し込んでくる。割れたステンドグラスから差し込む白い光が、瑞科の事を包み込む。
 死臭と瓦礫に溢れたその場所で、彼女だけが、ただただ美しかった。

 ◆

 本部へと戻った瑞科は、慣れた様子で神父へと任務達成の報告を済ます。廃教会は、近々撤去される事が決まった。
 悪夢はもう終わりだ。瞳を閉じ、彼女は最後に祈りを捧げる。
 その祈りが届くのか否か。確かめる術などはないけれど、それでも。

 哀れな狂信者達に、せめて安らかな眠りを――。