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<東京怪談ノベル(シングル)>


―マーメイドの記憶―

 あと30……20……10……タッチ!
 水から顔を上げ、着順を確認すると、やはりと云うか……最下位だった。これで水泳部のレギュラー選考からは洩れる事となったが、自分は元々練習にもあまり参加出来ないし、当然の結果だろうと、海原みなもは納得したような顔で水から上がった。
「海原さん、フォームは良いのに何でタイム出ないのかな?」
「んー、あたしは競泳よりも、潜る方が得意ですから」
「カテゴリーが違うって訳か……それにしても惜しいなぁ、磨けば光りそうなのに」
「あはは……いいんですよ、スピードよりも楽しさを求めたいから」
 マネージャーと思しき上級生が、本当に惜しそうにみなもを見ている。実際、フォームは整っているし筋肉の付き方も申し分ない。これだけ要素が揃っていて、何故にタイムが伸びないのかが不思議だったのだろう。尤も、みなもは元々、人魚の末裔。人間の泳法の方が違和感を覚えてしまい、泳ぎにくいのだ。彼女の泳法は水面での速さを求める為の物ではなく、水中での動きや外敵からの防御に主眼を置いた物なので、競泳に向いていないのも当然の事だろう。
 さて、競泳プールでは未だ競泳大会のレギュラー選考が行われているが、この屋内プールの施設内にはその他にもシンクロやダイビングの為の深いプールが用意されていた。中学の大会ではダイビングなどの競技は行われない為、此方のプールはガラ空きであった。
「先輩、ただ待っているだけなのも退屈なので、あっちのプールで泳いでいて良いですか?」
「え? あのプールはダイビング用だよ? 深くて危ないよ?」
「あたし、そっちの方が得意なんです」
 ふぅん? と一瞬首を傾げたが、公営プールだけに監視員もキチンと居る。だから万一の事があっても心配は無かろうと判断したか、顧問教師の了解も得て、みなもは目を輝かせながら競泳プールに背を向けた。

***

「これ、使って良いですか?」
 そう言って、みなもが手にしたものはモノフィン。いわゆる足ヒレであるが、ヒレの部分が一枚になった比較的上級者向けのダイビング器材である。
「それ、扱いが難しいんだよ?」
「大丈夫です、Cカード講習も受けてますから」
 ……本当は講習を受けただけで、カード自体は取得していないのだが……みなもは元々、そんな物を必要としないレベルの体技を持っている。このような器材を用いず、変身してしまえばもっと快適に泳げるのだが、人目があるためそうする訳にはいかないのだ。
 こうしてモノフィンを借りたみなもは、プールサイドでそれを装着した後、スルリとなだれ込むように水中へと潜って行った。
(ふぅ……やはり尾びれを2枚使う、人間の泳法は合わないな。この方が自然に泳げる感じ……)
 マーメイドとしての本能が垣間見える、みなもの本心。そう言えば何年、あの姿になっていないだろう……そんな事を脳裏に思い浮かべながら、水面を見上げる。陽光とは違う、人工の灯りが眩しい。
(? ……誰か入って来る……)
 水面に波紋が立ち、シュノーケルと通常の足ヒレを付けた他の部員たちが、後を追うようにしてやって来たらしい。が、水面近くでワタワタしているだけで、なかなか潜って来ない。どうしたのだろう? と思ったみなもは、水面に浮上して彼女たちに話を聞いてみた。
「みんな、どうしたの?」
「アハハ! 私たちもレギュラー選もれたから、時間潰しに来たんだよ。けどコレ、普通に泳ぐのとぜんっぜん違うんだねー」
「うんうん、お尻が浮いちゃって潜って行かないの」
 あー、やはりなぁ……と、みなもは苦笑いを浮かべる。考えてみればこの人たちは、自分とは違う理由でレギュラー選に漏れたのだ。要するに『水泳部だが、泳ぎは上手くない』人たちなのである。見れば皆、選考洩れの悔しさからか、作り笑いの下では泣いているかのような複雑な表情になっていた。そんな彼女たちに、みなもはアドバイスを始めた。
「あまり手足をバタバタ動かしてもダメだよ。行きたい方向に向いて、水を蹴るだけで良いんだよ」
「頭じゃ分かってるんだけど……」
「ほら、膝と腰が不自然に曲がってるよ。これじゃあ潜らないだけじゃなくて、怪我をするよ」
 みなもは一番傍に居た部員の欠点を指摘し、先ずは正しい姿勢作りからマスターしようと切り出して、潜水器材を外して普通に泳いでみようと提案してみた。すると案の定、クロールをさせても尻が浮き、膝も曲がっているのだ。これでタイムなど出る筈はない。
「やっぱり、姿勢が悪いんだよ。だからフォームが崩れて、無駄に水を掻いている感じになってるの」
 今度は全員を相手にし、意識して膝と腰を真っ直ぐにしてみようとアドバイスしてみた。すると何名かの部員は直ぐにフォームが改善され、スピードアップに繋がった。
「本当だ! この方が泳ぎやすい!」
「でしょ? 水は抵抗も大きいから、無駄に掻くと体力も消耗するんだよ。逆らわず、自然に。これが鉄則だよ」
 そうしてフォームが改善された部員たちは、再び潜水器具を身に付けてダイビングに挑戦しだした。彼女たちは、みなも程ではないが、スムーズに水中へと入り込めるようになっていた。
「すごーい! たった一言のアドバイスで、あんなに変わるものなの!?」
「コツだよ、コツ。皆だって今の注意を守って泳げば、タイムだって縮まるし、ああして潜る事も出来るようになるよ。慣れれば意識しなくても、足腰は曲がらずに綺麗なフォームを保てるようになるし」
 そうか、と納得した部員たちはこぞってフォームの改善に努めた。やはり、元々は泳ぐ事が好きな人たちだけあって、指摘された欠点は短時間で克服されて行ったようだ。
(そうそう、泳ぐって云う行為自体は水面でも水中でも要領は同じなんだよ。尤も、あたしはバタ足自体に抵抗を感じるから、タイムが出ないんだけどね)
 皆が楽しそうに水中を泳ぐ様を見て、そろそろあたしも……と云う感じで、みなもも再び潜水を開始する。モノフィンの効果は大きく、水深5メートル程度なら直ぐに底まで届いてしまう。そんな彼女を見て、驚愕の表情を浮かべる他の部員たち。だが対抗意識を燃やそうと考える者は無く、みな楽しそうに泳いでいた。
「ぷぁっ! ……海女さんなんかは、4〜5分とか平気で潜ってるんだよね?」
「それは俗説だよ。実際は長い人で2分ぐらい、平均すると50秒から1分ぐらいだよ」
「へー、プロでもそのぐらいなんだぁ」
 とか何とか。他愛のない話で盛り上がりながら、ある者は潜り、ある者は立ち泳ぎで水面を漂っている。
「……皆、気付いてる? この短時間で、メチャクチャ上手くなってるんだけど」
「え!? ……あー、でも、いいや。一回は振るい落とされたんだし、もう選考会も終わりに近いだろうし」
「だね、それに残っているのは上級生ばかり。一年の私たちが今更リベンジを申し込んで、もし勝っちゃったら角が立つし」
「こうやって泳いでる方が、楽しいからねー」
 つい先刻まで、選考洩れのショックでどんよりしていた雰囲気は何処へやら。自信を取り戻した彼女たちは、すっかり明るい表情になって水と戯れている。
(そう、泳ぐ事が楽しいと思えるようじゃ無ければ、上手くなんかならないよ。競争意識なんか要らない、好きだから泳ぐ。それでいいんだよ)
 笑顔で水と戯れる仲間たちを見て、みなもも自然と笑顔になるのだった。

<了>