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<東京怪談・PCゲームノベル>


銃弾の行方を


 事態の発生を誰が正しく把握していたかと問われれば、恐らく誰しも把握はし切れていない筈だ。IO2と雖も、気が付いた時には既に手遅れと呼べる状況にまで事件は悪化していた。
 東京都にはそれなり以上の規模があるIO2の支部が置かれているが、その支部を以てして「お手上げ」だった。
 事件について判明していることは一つ。現在時間軸への、別時間軸からの干渉。それによる、現在時間軸の崩壊が始まっている、とだけ。対処をしろと命じられて、さて何から手を付けたらいいのか。とかく突然現れる物体や、前後の脈絡なく始まる事件や、そうした諸事に追われて支部は上から下までてんてこまいという有り様である。
 そんな中で、"フェイト"のコードネームを持つ青年が血相を変えて廊下を駆けだしたとして、果たして誰が気に留めただろう。
 彼は知っていた。この事態の中心になっている人物が誰なのか。何をしでかしたのか。
 そして、待っていた。
 その人物からの連絡があるのを、じっと。
 彼の情報端末には、メッセージが一文だけ送られてきていた。感情を窺わせないそれはただ住所だけを記載したもので、けれども差出人の名前を見れば確信は容易だ。
 差出人の名前は、藤代響名。
 ――IO2が未だ全容を把握していないこの現在時間軸の崩壊、その一端を担う主犯の女性の、それだ。
 だが、"フェイト"はそれを周りの誰にも告げない。否、今は工藤勇太と。本名で呼ぶべきだろう。
 彼は一直線に、ある建物へと駆け込んだ。雑居ビルを改装した、古びたそれは、錬金術師の工房となっている。工房の主である男と、仕事上の相棒であり義弟でもある青年が二人、飛び込んできた勇太にそれぞれ視線を向けた。
「お前さんとこにも行ったか、連絡」
 告げたのは男。藤代鈴生。響名の夫であり、工房の主たる錬金術師だ。片目を覆った眼帯に手を触れて彼は言い、
「…ヒビ…」
 複雑そうにその名を口にしたのは青年の方。東雲名鳴。見た目は全く似ていないが、連絡主であり、事件の主犯である「藤代響名」の双子の弟。
 三者は視線を見交わし合った。やがて嘆息をしたのは、鈴生である。
「…止めてやるか」
「そうですね――このままだと、この時間軸に致命的な影響が出ます」
 IO2も恐れている事態だし、個人的に、勇太もまたそれを恐れていた。タイムパラドックスの発生。それによって何が起きるかは、誰にも分からない。誰も気づかぬうちに「今」が変わってしまうのか。或いは。
「下手すると世界が滅ぶよなぁ」
 呑気な口調でとんでもないことを口にしたのは鈴生で、名鳴が隣で深々と溜息をつく。
「我が妹ながら何てもん作りやがる」
「さすが俺の愛弟子だ」
「言ってる場合ですか…」
 呆れて言いつつ、勇太は肩から力が抜けるのを感じる。世界がどうこう、なんて深刻な事態を、ここに居る二人は恐らくそんな風に真剣には考えてはいまい。そんなことよりも、自分の双子の片割れが、最愛の女性が、間違った道へ進もうとしているのを、当たり前に叱りに行こうとでもするかのような気軽さで。
 二人を見ながら勇太は、ここに至るまでのことを、改めて冷静に思い返していた。



 ――あいつの作ったモノはな。ルンペルシュテルツキン。
 ――"今、ここでは無い場所"への干渉を可能にする魔道具、人造の悪魔だ。

 IO2嫌いの錬金術師と名高い鈴生にどういう訳か気に入られた勇太は、何度か彼らと遭遇するうち、鈴生の妻であり、名鳴の妹でもある女性――藤代響名が何を作り、何を目指したのかを既に聞き知っている。この事態の中心となる彼女は、「過去を無かったことにすることが出来る」、時間に干渉することの可能な魔道具を作成してしまったのだ。
 予兆はあった。起きたはずの事件が消えてしまう、あったはずの物がなくなる、あるはずの無い物が出現する。些細な事件はIO2でも把握はしていたのだ。それら全てがまさか、「時間への干渉」という大規模な影響を有する魔道具の起こしている現象の余波だなどとは、思いもしない。
 事情を説明された勇太だけが、IO2の中でただ一人、それを把握していたが、彼は周囲には何も告げなかった。その事実を打ち明けてくれた鈴生が、"フェイト"ではなく「工藤勇太」という一個人を常に尊重していたから、その敬意に彼もまた報いたいと考えたからだった。

 さて、現状、「現在時間軸」への影響がIO2でも把握できる程の規模になりつつある中、勇太がこのビルへやって来たのは理由があった。「ルンペルシュテルツキン」、かの魔道具は現在「未完成」なのだと言う。そして、未完成であるが故に、その魔道具は不安定なのだとも。暴走しかけているのだと、錬金術師である鈴生はそう推測していた。
「そろそろあいつもじれて、無茶してでも『完成』させようとするだろうなァ」
 彼は酷く軽い調子でそう告げたが、勇太はその言葉に背筋をこわばらせる。
 「ルンペルシュテルツキン」の完成に必要な最後のパーツについても、彼は聞き知っていた。藤代鈴生。響名の夫である彼の、残されたもう一つの眼球が、最後のパーツだ。それを、響名は奪おうとしている。
 響名の名前で通知された住所を、通知されたメッセージを、勇太は改めて掌の情報端末に写しこんで見直す。ただ場所だけを告げるそれが、勇太だけではなく鈴生と名鳴にも知らされたのであれば、その意図は明らかだった。



 強く吹く風は彼の短い髪を嬲った。雑居ビルの屋上で、近付き始めた低気圧に晒されて曇天は重苦しい。
「我が嫁にしちゃぁ、洒落た場所を選んだもんだ」
 煙草を燻らせる男は言って、右眼を覆う眼帯に触れる。その下の眼窩は、かつて悪魔に奪われた名残だけを押し留めている。
 その「悪魔」が、彼らの見据える場所に居る筈だった。建設途中で放置された公営の体育館。その巨大な空洞の中に。否、本来その建物は既に、完成している筈だったのだ。にも拘らず、今この時間軸に、建設途中の姿で現れ、放置されている。
(時間が)
 ――"フェイト"というコードネームで呼ばれる青年には、知覚が出来ていた。
 時間が歪んで、その影響が現在時間軸に、最早見える形で表れ始めている。
 それも全て、彼らの目指す「悪魔」、否、錬金術の産物である人造悪魔。「ルンペルシュテルツキン」の仕業であることを、彼らだけが把握していた。
「さて、じゃ、行くか」
「え、スズも来るのかよ」
「俺は無茶しない程度に頑張るさ。ああ、勇太」
 鈴生は錬金術師だ。身体能力には全く期待できない。その彼は、不意に、勇太を呼んだ。何ですか、と顔を向けると、放り投げられたのは色眼鏡だった。勇太は"フェイト"として、IO2のエージェントとして行動する時にはサングラスをつけているが、それと似ている。
「…ええと?」
 意図は読めないが、彼がこの場面で寄越すからには、彼の作った「魔道具」であろう。そう考えて問えば、はぁ、と嘆息して、鈴生は渋々と言った様子で解説をしてくれた。
「俺の作るもんの特性は知ってるな」
「『絶大な効果を得られる代わり、致命かつ非可逆の代償を要求する』ですよね」
 運命の逆転、時間遡行、死者の蘇生すら可能とするが、代わりに苛烈な代償を要求するのが彼の作る道具の特性だ。それは「呪い」と言い換えても良い。かつて、右眼を悪魔に奪われた時、彼が得た呪い。本来であれば、彼の道具にはもっと異なる特性が発現するはずだったのだと言う。
「これ、代償は何ですか」
 先にデメリットを確認したのは、その彼の特性を知るが故であった。
「すまん。ぶっちゃけると俺にも何が奪われるか分からん」
 ぞっとして、勇太は手渡された眼鏡を見下ろす。――代償が何か、分からない。
「『ここではない時間軸の可能性』を代償にするんだ。未来か、過去かも分からんが。お前さんが持っていたかもしれない、あるいはこれから身に着けるかもしれない可能性、能力、才能。その中のどれかが犠牲になる」
「…可能性…?」
「ルンペルシュテルツキンに対抗する道具の代償としちゃ、皮肉だな。あれも元ネタの物語じゃ、『未来の可能性を代償にする』悪魔だから」
 呟いて彼は、だから使うかどうかはお前の判断に任せる、と苦笑した。その苦笑を見、生唾を飲みこんで、それだけの危険性のある魔道具を勇太に託した彼の内心を思う。軽薄そうな言動ばかりの男性だが、決して不誠実ではない。それがこうも不確かな代物を寄越してくると言うのは、相応以上の覚悟があるのだろう。
「――得られる効果は?」
 にい、と、その瞬間にそれでも鈴生が笑ったのは。
 彼が錬金術師であり、己が作る道具への矜持が、呪いを得てさえ微塵も損なわれていないが故のものだった。



 建物の内部は不気味な程に静まり返っている。びゅうびゅうと、吹き抜ける風だけが物悲しげな音を立てていた。見上げた先、勇太は人影を見とめて、眉を下げた。
 視線の先、くみ上げた鉄骨の上に危なげもなく立つ女性が一人。――血筋の故に身体能力は並の人間よりは高いのだと、彼は知っている。藤代響名。旧姓、東雲響名。
「…意外。IO2の連中連れて来ると思ったんだけど」
 その彼女の方も勇太を認識した様子だった。呟きは風の音にも紛れずにしっかりと勇太の耳にも通る。彼は見上げた先の女性に、苦笑を投げた。
「俺、そんなことしそうに見えた?」
「クソ真面目なタイプだからなぁ」
「…それを期待されてたのなら、期待に沿えなくてごめん、っていう所かな」
 言いつつ、勇太はじりじりと位置を変える。隣に居た名鳴が嘆息した。
「お前、勇太にまで住所を送ったの、その辺期待してやったのか」
 彼女は――苦笑した様子だった。
「…ううん。自分でもよく分かんないや。メイ、分かる?」
「お前に分かんないことが俺に分かるかよ」
「双子なのにねぇ」
「双子に何を期待してるんだお前は馬鹿か。…あーもう、さっさと馬鹿な真似は終わりにして家に帰るぞ馬鹿ヒビ。スズがどんだけ心配してると思ってんだ」
「そのスズさんは何処なのよ。あの人の眼、分捕りに来た積りなんだけど」
 いっそ軽薄な程の調子で言われて、勇太の方が言葉を呑んだ。名鳴は、彼もまた良く似た軽い調子で肩を竦めるだけだ。
「あいつと素手で喧嘩したらまず間違いなくお前が勝つだろ。ハンデだ」
 何よそれ、と彼女が口を尖らせる。が、名鳴の方は彼女の応え等聞いてはいなかったようだ。その言葉を残して、彼の姿が掻き消える。消えた、ように見えた。実際には床に、彼がそこを蹴りつけた痕跡が残っていたから、人ならざる身体能力を持つ彼が、人ではありえない勢いで踏み込んだのだと知れる。彼がそう判断する間にも、頭上で幾重にも鈴を重ねて鳴らすような音が響いて、次の瞬間には名鳴の身体が弾かれ、床に叩きつけられるかと見えたが、寸でで彼は受け身をとって転がる。見上げた先、骨組だけの鉄の上に立つ響名の周囲には何も見えない。否。既に「それ」は別の場所へ移動している。名鳴が反射だけで転がり、床を連続して目に見えぬ何かが穿ち、コンクリートが細かく噛み砕かれていく。何か巨大なものが、床を破砕しているように見えた。「それ」の正体が目には見えない事だけが異様であった。
 勇太の――テレパスである彼の感覚にも「それ」の正体はわからない。ということは、あれは。
(感情を持たないもの。魔道具の仕業!)
 断じて、彼もまた破砕の咢が迫るのを飛びのき、かわす。そのまま睨みあげた先、響名に向けて銃を向けたが、
「無駄よ」
 彼女の宣言の通り、鉛弾――それもIO2謹製、対霊・対魔術特化型の術が施されたもの――が呆気なく彼女の眼前で弾かれる。響名は左手を翳し、面白くなさそうな表情で告げた。
「…スズさんの。師匠の指輪が、あたしを護ってる。24次元分の圧縮世界の防壁。それを突破するだけの何かが無いと無駄よ」
 その左手、薬指に輝くものに、勇太は心当たりがあった。在り過ぎる程に。
(――結婚指輪!)
 藤代鈴生の持っていたそれとよく似たデザインの、シンプルな指輪。だとすると効果は。
(…藤代さんの持ってた方は確か『一度だけ全攻撃を、発生まで遡って無効化』だったよな)
 だが、響名のそれは攻撃を受けても傷付く気配もない。事実先程一度、名鳴の攻撃を弾いたのはそれの効果であろう。それに、
(あれが藤代さんの作ったモノだとしたら)
 強力すぎる効果と引き換えに苛烈な代償を要求されるはずだ。
 問うような勇太の視線に気づいたのだろう。響名は、その場に余裕綽々、と言った様子で、しかし矢張り表情は面白くなさそうなままで腰をおろし、足を揺らし、
「代償が気になってる、って顔ね? 教えてあげよっか。代償はね」
 しかし言葉を喰うように、名鳴が再び、鉄骨を足場に彼女の背後に迫っていた。攻撃が無駄に終わることを察していてか、今度はただ、そこに立つだけだ。

「勇太は知らないんだな。俺が教えてやるよ。…代償はな、『藤代鈴生を愛し続ける事』だ」

 ――瞬間。
 勇太は呆気にとられた。もっと苛烈な代償を想像していたのだが、それはあまりにも。あまりにも。
 だが、浮かんだ感情を手繰るだけの猶予など与えては貰えない。再び迫ってきた「気配」に、勇太は再び転がり、回避を選択した。攻撃対象が認識できない上に、何が起きているのかが分からない。彼の見る視線の先、砕けたと思ったコンクリートが、まるで動画を逆回しするかのように「復元」しているのも見える。壊れて、再生して、それを繰り返しているのだ。
「…『ルンペルシュテルツキン』…?」
 まさか、今眼前にあるモノがそうなのか。
 勇太の告げた名前にまるで呼応したかのように――モデルとなった物語の悪魔の性質を考えれば、それはあながち外れてもいないだろう――破壊の中心に、薄らと人影が浮かび上がる。輪郭は細く、上背の高い。男女のどちらともつかない体躯に、長い黒髪。そして。
 ――右側だけの眼球と、何もない左の眼窩に、勇太は声を呑んだ。あれは。あれが。
(藤代さんが、『過去において』奪われた眼球…)
 そして今という時間軸において、残った眼球をこの悪魔は奪おうとしている。
「響名さん、それが本当に、あなたの願いなのか!!」
 思わず、だった。勇太は叫んでいた。響名が、彼をじっと見下ろす視線を感じて更に。
「彼を傷付けるのが、あなたの」
「違うわ!」
 反発は思いの外に強い。言葉を遮られ、勇太は目を瞠る。見守る先、響名が震えているように見えたのは強い風の故の錯覚だろうか。
「あの人のためよ」
 立ち上がり、彼女がじっと勇太を見据える。
「…あの人の過去を変える。あの人の特性が『生贄』になった契機を。過去において『悪魔に眼球を奪われた』という事実を――あたしが作ってしまった『ルンペルシュテルツキン』を、完成させることで、『無かったことにする』」
 勇太は、思わず後ずさった。支離滅裂だ。
 藤代鈴生が過去に眼球を奪われたのは、今まさに勇太の目の前に顕現しようとしている「ルンペルシュテルツキン」の仕業だ。
 その過去を否定する為に。
 彼の眼球が奪われ、能力が歪んだその事実を否定する為に。
(そのために今の藤代さんの眼球を奪って、ルンペルシュテルツキンを完成させる…完成させて願うことが、『ルンペルシュテルツキンを生み出したことそのものの否定』…?)
 響名は狂っているのではないか。そう思ったのだが、彼の見遣る先、狂気に近い程強い感情はあっても、怒りとも苛立ちともつかぬ感情に覆われたその顔には紛うことなき理性がある。
「…ヒビ、お前、自分が無茶苦茶言ってる自覚はあるのか?」
 名鳴も同様の感想を得たのだろう。彼が問えば、響名は顔を覆った。
「自覚はある。でも、そもそもあたしがこんなものを作りさえしなければ良かったのよ!!」
 だから。
「だからせめて、完成させる。完成させたうえで、何もかも否定するわ!」
「それは駄目だ」
 改めて確信を得た勇太は、先のそれより幾らか落ち着いた声でその言葉を否定することが出来た。眼前、顕現したルンペルシュテルツキンの方を睨む。
「――俺だって、後悔している過去なんて山ほどある」
 口には出さないが、IO2に入ってからその手にかけた人間だって、居た。決して誰も傷付けずに生きてきた訳ではないし、むしろ得てしまった能力ゆえに他人を傷つけた事なんて幾らもある。その中には、今なお傷を残す人も居る。
 自分のせいで、愛する人が傷付いてしまった、その過去を変えたい。響名の願いは痛い程に分かる。
 だが、だからこそ。
「…俺はあなたを否定するよ」
 ルンペルシュテルツキンを破壊する。
 勇太は銃口を、その悪魔へと向けた。



 工藤勇太は、"フェイト"は、決して順風満帆の人生を歩んだとは言い難い。過去においては実験体とされ、望まぬ能力を得、長じては能力に振り回されることも多々あった。得た力を誰かを守る為に使いたいとIO2に属してからも、組織の性質上、決して綺麗な事ばかりではなかった。
 それでも彼は、自分が「今」「ここ」にある事だけは、後悔も否定も、する積りは微塵もない。
 過去を乗り越えてきた。その痛みを超えて今があるのだから。



 銃弾は届かない。相手はそもそも「時間を自在に移動する」存在なのだから至極当然であろう。銃弾が届いたと思った刹那には、悪魔の気配は背後へ移動している。だが、勇太はそのまま、振り返りもせずに銃口を背後へ向けて撃ちぬく。それもまた、届かない。背後で跳弾の音だけが響いた。
(やっぱり、無理か)
 時間という、超え難い壁が厳然として存在している以上は。
「無駄よ。それは時間を超えられるモノなのよ。人間の認識能力で――『現在』という点でしか時間を把握できない認識で、干渉なんて出来ないわよ」
 それでも勇太は銃撃を続ける。全ての銃弾を吐き出しきっても尚、人造の悪魔の姿は揺るがない。唯一、名前を呼んだことによってその場に存在が確定していたため、「何処に居るのか」だけは視認が出来たが、それだけだ。
 だが。
 勇太は息をひとつ落としただけだった。念動力も及ばず、相手は無機物――人型を象っているが――なのでテレパスの影響も覚束ない。彼に出来るのは、後は。

(…代償が何になるのかは、不確定、か)

 それだけが引っ掛かりはしたが、勇太は懐から取り出した眼鏡をかける。
 ――この選択をもまた、何れ後悔するのかもしれず。
 それでも「今」「ここ」においては、それを最善だと信じて。
 そして彼はリボルバーの銃弾を、念動力でもって一息に入れ替える。細かい作業と雖もルーチン化しているから、少し意識を向けるだけでそれは直ぐに完了する。装填の終わった銃口を、再び「ルンペルシュテルツキン」へと向けた。なまじ人の形をしているがゆえに、テレパス能力で他者の気配を鋭敏に感じ取れる勇太にとっては強烈な違和感を覚えさせる、その姿へ。
「無駄だって言ってるのに」
「さぁ、どうだかな?」
 響名の言葉はどこか諦めを含んだもので、背後に立った名鳴の言葉は酷く静かだ。それを聞きながら、勇太は引鉄を引く。その瞬間に、自分自身の能力を、銃弾に上乗せして。
 その力の名は念動力。
 認識できる対象に、見えざる力で干渉する、超能力。
(認識できるものならば)
 勇太は目を閉じ、再度開いた。異能を付与された代償に、不自然で鮮やかな緑を纏う瞳が輝き、銃弾に上乗せされた念動力が「対象」を抉るのを確かに勇太は感じ取った。


 ――その眼鏡の効果は。
 ――『時間の認識を一時的に可能にする』だ。

 脳裏を過るのは、先の鈴生の説明だ。確かに眼鏡をかけた視界、勇太はほんの一時的にだが、時間をも俯瞰する力を得ていた。尤も、人間の処理能力では、ほんの一時、無数に折り重なる過去と未来とを確認するので精一杯ではあったが。しかし。
 折り重なる時間を壁のように纏った悪魔へ確かな一撃を与えるには、それで充分だったのだ。


 銃弾に。正確に言えば銃弾に上乗せされた勇太の念動力、超常の力を以て、「ルンペルシュテルツキン」に風穴が空いた。空の眼窩を持つ左眼が貫かれ、人型を模したそれの動きが不意に止まる。座り込んでいた響名が立ち上がり、そんな、と小さく呟いた。だが。
 その声に、安堵の色を感じたのは果たしてテレパスを有する勇太だけだっただろうか。


 ビル風が凪ぐ。曇天からはいつの間にか、光が差し込みはじめていた。時空の歪みに引き摺られていた異常気象が終わったのだと、勇太は何となしに確信をしていた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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