コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


―再び深い眠りへと―

「……ちゃん! おい、嬢ちゃん!」
「あ、う……ん? あ、あれ?」
「『あれ?』じゃねっつーの! 毎度毎度、心配かけやがって!」
 目を開けば、そこには見慣れた顔。怒っているのだか、喜んでいるのだか分からないのは、素がこういう感じだからだろうか。ともあれ、海原みなもは草間武彦と、他数名の警察官が見守る中で眠りの中から覚醒した。
「……喋れるか? なら少しずつで良い、どうやって戻ったのかを……いや、訊いても仕方ないかな」
「いや、大丈夫……と云うより、竜神様が眠っちゃったら、自然に手から離れた感じで。肉体を乗っ取られたと云うより、抱き枕代わりにされていたような……」
 何だそりゃ? と、呆れたような顔になる草間を余所に、一応の説明を終えたみなもは、再び池の方へと視線を戻す。その眼差しは、眠っている赤子を放置して立ち話に付き合わされている母親のそれ……と表現すれば良いだろうか。要は、『寝ている間に抜け出して来たけれど、大丈夫だろうか』と云う心理そのものであった。
「草間さん、神主さんか巫女さん、神父さんでも良い……そういう人に、知り合いは居ませんか?」
「はぁ? 何だよ、その『お医者様は居ませんか』的なノリは?」
「……あの竜神様、ただ眠ってるだけなんですよ。封印も保護も、何も無しで。だから、何かの拍子に目覚めてしまったら……今度は『二度寝』では済まないと思うんです。多分、起こされたら怒ると思いますから」
 成る程、今迄は四神の像が封印を形成していたから、あの黒い集団が幾ら騒いでも目覚める事は無かった。しかし、今はノーガード状態で放置されているに過ぎない。そこをあのカルト集団が突いたら、どのような結果になるか……何しろ相手は曲がりなりにも神様なのだから……と、草間は焦燥の面持ちを見せた。
「ったく、ガラガラ握ってないと眠れない神様が相手、ってか。どうして俺のトコには、こういうヤマばかり回って来るんだ?」
 ボリボリと頭を掻き毟りながら、煙草を口に咥える。だが火は点けていない。禁煙エリアであるという事を弁えてのマナーであるのだろうが、その行動が何となく可笑しくて、みなもは思わず噴き出していた。
(自分だって、おしゃぶり咥えてないと落ち着かないじゃない)
「何か言ったかー?」
「何でも無いです」
 他愛のない、いつものやり取り。つい先刻まで竜神の虜にされて身動きすら取れなかった自分が、もうケロリとして日常に溶け込んでいる。これも『慣れ』なのかと思うと、何となく居たたまれない気持ちになる。
 兎に角、竜神様を起こさないように……この事に留意しなから、教団員が侵入しないよう公園の出入口は警官隊によって固められ、そのまま夜を迎えた。

***

 結局、神主も巫女も神官も見付からなかった。資格所持者に知り合いはあるのだが、人が各々に得手不得手を持つように、彼らにも精通している分野とそうでない分野があるようだ。増して、今回のようなケースは極めて稀である為、名乗りを上げる者は誰一人いなかったのである。
「石像、壊されたままなんですね。またあたしが取り込まれるんじゃないかと思って、警戒してたんですけど」
「此処まで木端微塵にされたら、アウトなんじゃねぇか?」
 ボソリと草間が呟く。その言は当てずっぽうであったが、何と正解であった。石像は台座部分が残存していれば、自己修復が可能なのだが、台座まで粉砕されれば容易に自己修復は出来ないようなのである。
「大体、こんな処でグーグー寝てる方が悪いんじゃねぇか?」
「!! ……それですよ! 別な場所に移って頂いて、そこでゆっくり眠って貰えばいいんです!」
 みなもは、虜にされている間、池の底に時空の狭間があるのを見付けていた。それは神と一体化している時にしか見る事が出来ない、聖なる門。『深遠図書海』への入り口であったのだ。
 何故、公園の池の底がそんな場所に通じているのか、それは分からない。だが、もしそこへ誘う事が出来るなら、もう封印も必要なくなり、竜神の存在が無くなったと知ればあの教団が押し寄せて来る事も無くなるだろう。
 問題は、それを誰がやるかだが……みなもには分かっていた。この役目は竜神の憑代に選ばれ、一時とは言え、神と融合した自分以外には出来ないであろう事を。
「草間さん」
「……あ?」
「また少しの間、姿を消します。でも心配しないでください、ちゃんと帰って来ますから」
「……心配なんざ、した事ぁ無ぇよ。サッサと済ませて来い、俺はもう疲れたんだ」
 顔を背けながら吐き捨てる彼に、みなもはまたも噴き出していた。
 そして池の中心を睨むと、徐々に池の底で眠る、胎児のような恰好の『神様』の姿が見えて来た。無論、みなも一人だけに……であるが。
『竜神様……竜神様』
 そっと呼び掛ける。なるべく刺激を与えないよう、優しく、和やらかな声色で。そして竜神が覚醒すると、みなもの体は再び光に包まれ、衣服が四散して、その身体を包むように金色の霧が彼女を包み込み、やがて羽衣のような衣服を形成していった。蒼く長い髪もまた金色に変わり、眩いばかりの光を放っていた。
『何事か……我はまだ眠り足りぬ、満たされるまでは起こすでないと……』
『此処は下界、神の住処ではありませぬ。このような場所で居眠りを為されては困るのです』
『む……ならば、如何様にせよ、と?』
『私が御案内いたします。静かな、深い深い眠りの世界へと……』
 まさに『寝惚けた』状態の竜神。これが神であるとは、到底信じられぬ様相である。重そうな瞼を擦り、怠そうにゆっくりと身を起こす。そう、普通の人間が、毎朝繰り返すあの動作だ。それを神がやっているのだ。
 竜の巫女と化したみなもは、静かに水面上を歩き、池の中心でスッと姿を消した。その真下に竜神が居るのだろう。草間の目に見えたのは、それが最後であった。そして一瞬、池全体が金色に染まり、直視できない程の光を放ったかと思うと、瞬く間に波ひとつ無い、穏やかな水面へと戻ったのだ。
 その後、みなもがどのようにして竜神を『在るべき処』に導いたのか、それは定かではない。だが彼女は、約束通りに戻って来たのだ。いつものように、いつもの笑顔を振りまきながら……

***

「結局、石像は普通に直すんですね」
「もう、封印の意味は無くなったがな。この公園のシンボルみたいなモンだったし、無きゃ無いで寂しいんだろ」
 重機で運ばれて来た素材に、職人たちがノミと玄能で手を加え、形を整えて行く。黄色いヘルメットを被った作業員が、破壊された遊歩道や柵などを再生していく。その様は、嘗て神の封印を担っていた物を再建しているとは思えぬ程に、アッサリとしていた。
「元通り……ですね」
「何も変わりはしない。俺も、お前も、そして周りも……な」
 これで何度目だろう。当たり前の日常の中に、時々割り込んでくる非日常。だがそれも一瞬の事で、気が付けば元の暮らしに戻っている。
「こういう事に、慣れちゃったんですね。あたしも、草間さんも」
「そんなモンに、慣れたくは無かったけどなぁ。こんだけ数こなせば、嫌でも慣れるってモンさ」
「……また、助けて下さいね?」
「だーかーらー、俺は助けた覚えなんざ無ぇっての」
 悪戯っぽい笑みを浮かべるみなもに、顔を背けつつ吐き捨てる草間。それが彼らの『当たり前』になりつつあるのだった。

<了>