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<東京怪談ノベル(シングル)>


嘆きの石姫2


 物静かな印象を与える、メイド服を身にまとった一人の魔女が、台車を押して歩いていた。台の上には一つの大きなガーゴイル像が乗せられている。石像と言うことも有り相当重いはずだが、そのあたりは魔女の力でも働いているのか、彼女は表情一つ変えずに規則正しい歩みを進めている。
 人気のない静まり返った長い廊下を、暫く歩いた。突き当りの大きな扉の前で台車を止め、ノックを二回する。
「お嬢様、ご希望のお品が届きました」
「……入りなさい」
 扉の向こうから若い女性の声が響いた。どうやらメイドの主らしい。
 メイドが控えめな態度を保ちつつ扉を開けば、その向こうには無駄に広い部屋があり中心に豪奢な椅子が置いてある。そこに尊大な態度で深く座り込んでいるのが、女主人であった。学生なのか、顔つきに若干の幼さが残っている。
「グウウ……」
 椅子の影から、人の声とも思えない唸り声が聞こえてきた。
 犬かとも思ったが姿は人そのもので、四つ這いの姿勢を取っている。目つきも怪しく、口元から涎を零しながら歯を食いしばっている状態で、『獣』そのものだ。
 どうやら、魔術か何かで意識を塗り替えられているらしい。部屋の奥にも数人の似たような女性が、犬のように地面を支配していた。
 主人である少女は、いつもこうしてコレクションを増やしていく。自分と同じくらいの存在であったり、年上の女性だったりと、振り幅は広かった。だが、それも美しいと感じる者のみだ。
 心の奥の寂しさを埋めるため、行き着いた趣味がこれであった。
 定期的に魔女と取引しては、女性を自分の思いのままに操っていく。従順で逆らわない犬として。
「このガーゴイルは、甘い香りがするわ……なんて素敵な造形なのかしら」
 少女はうっとりとしながら、自分のもとに運ばれてきたばかりの新しい『コレクション』を眺めていた。
 左手には先ほど唸り声をあげていた女性の頭が有り、宥めるために優しく撫でてやっている。
 古めかしい洋館に住まうこの淋しい令嬢には、欲する愛が無かった。
 大好きだった両親を事故で失ってから、人生そのものが変わってしまったのだ。夢の様な日々はあっさりと親戚や兄弟に壊され、視界が灰色に染まっていく。
 数々の裏切りの果て、誰も信じられない環境で令嬢が選んだ存在は、今そばにいてくれるメイド――魔女であった。取引を行っている黒衣の魔女の部下らしい、とまでしか把握はしてない。いずれは彼女も居なくなる。そう思っているからだ。
「……このガーゴイル、元はヒトだそうね」
「遠くは亡国の王女であったと伺っております。そちらの姿に戻しましょうか?」
「それじゃあ、つまらないわ」
 メイドとの会話を続けながら、少女は何かを思いついてニヤっと笑った。
 そして頭を撫でてやっていた足元の存在を指で導き、ガーゴイル像へと向ける。
「お前たち、アレにマーキングしてみなさい」
 そう命ずると、犬である女性たちが四つ這いのまま、ゆらりと歩き出した。3人ほどの影が見える。
「ああ、そうだ……ねぇ、意識だけを戻してやりなさい。ついでに視覚と嗅覚……聴覚も」
「お嬢様のお望みのままに」
 メイドは令嬢の言うままに、自分の魔術でガーゴイル像を操作した。
 コウモリ型の翼を広げる暗い石像から、『不安』の意識がメイドに流れ込んでくる。それを指先から感じ取って、僅かに身震いをさせた。表情には出さないが、悦の感情に似たものがあるらしい。
「只今から、このガーゴイルは嘆きを生み出すでしょう」
「素敵。……さぁ、遅れを取らずにやりなさい!」
「ガウゥ……ッ」
 メイドの魔術には余程の信頼があるのか、少女は歪んだ笑みを見せただけだった。
 そして犬達をさらにけしかけるように語気を強める。それに反応して、獣と化した女性たちが次から次へとガーゴイル像へと飛びかかった。

 ――わたしは、どうしたのかしら。海の中にいたような……いえ、それは偽りの記憶……。確か、萌にこの声を届けて……。

「!」
 急に視界が開けた、と思った。
 だが、身体は動かすことが出来ない。
 直後、耳元に届く荒い息を感じてざわりと嫌な感情が生み出される。
『な、何が、起こっているの? ……わたしの体に、しがみついているのは誰?』
 声を出したつもりが、空気には乗せられてはいなかった。
 喋ることすら出来ないのかと思いつつ、視界を動かしてみる。
 すると、肩口に見知らぬ女性が抱きつき、べろりと自分を舐めている光景が飛び込んできた。
 腰と足元にも似たような存在を感じ取って、驚愕する。
『イヤ……っ!』
 そう叫びたくても、やはり音にはならなかった。
 また、自分は石の姿になっているのかと思考が行き着いて、落胆もした。
 ――イアルであった。
 黒衣の魔女が嘲笑う記憶が、チラチラと脳内を横切る。どこで見たものかは解らない。
 ヒトであり、王女であり、人魚であり……と意識の混濁がじわりと起こり始めた。
 それを拒絶するようにして、ゆっくり、視線を移動させる。
 すると、自分を楽しそうに眺める一人の少女と、その隣に静かに立つメイド姿の女性が視界に入った。
 全く、知らない女性たちだ。
「その場所になら粗相をしてもいいのよ、お前たち」
 とんでもない言葉が耳に届いた。
 視界にいる少女から発せられた音だ。
 その後、自分に抱きついている女性たちが次々と身震いをした。鼻を突く異臭が体に染みこんでいくのが解る。
『いや……やめて……ッ!』
 穢れていく自分の体。
 解ってはいるのに自身ではどうにもならない。何故なら彼女の体は今、ガーゴイル像なのだから。

 ――ガーゴイル。

 イアルが脳内で言葉を作ると、意識が揺れた。
 体内の血が脈打つような衝撃が、ゆっくりと来る。
『……、この気持ちは、何……ッ?』
 内心で問いかける。
 ふつふつと湧き上がる己の感情が、王女と人魚の記憶を飲み込んでいくかのようであった。

 ――戦え。自分に向かってくるものと。

 次にそんな言葉が生まれた。
 イアルはそれをすんなりと受け止め、噛み砕く。
 元々の傭兵としての本能なのか、それともガーゴイルという『魔物』の性質なのか。
 それは誰にも解らなかった。
「あら……ちょっとおもしろい展開になってきたわね。彼女を動けるようにしてやりなさい」
「はい」
 現状を目の当たりにして、少女はさらなる命をメイドに下した。
 表情は、実に楽しそうだ。
 メイドは次の瞬間には、魔術で像の石化を解いてやる。しかし、それは『イアル』では無く、ガーゴイルとしてだ。
 バサッと大きな風を切る音がした。
 ガーゴイルの背にある黒い羽根が動いたのだ。
「アァ……ッ!!」
 言葉にはならない叫びが口から漏れる。
 体に張り付いていた女性たちを一気に振り落として、牙をむき出しにした。相手に敵意を向けている証拠であった。
「ふふ……いいわ、戦いなさい」
 少女がそう言うと、犬達が再びガーゴイルへと飛びかかっていく。
「…………」
 状況を完全に楽しんでいる主へと視線を落とし、メイドである魔女は憂いの感情を微かに生んだ。
 やはり表情は動かないままであったが、主に対する気持ちには少しの迷いがあるようにも見える。
 だからと言って、それを制することも出来ないのだが。
 愛に飢えたままの淋しい自分の主。
 支えてやれるのは自分だけ。
 そう、心で言い聞かせながら、メイドは視線の先を静かにガーゴイルへと戻すのだった。

「イアル……ッ」
 今すぐに扉を押し開け、あの場に雪崩れ込みたいと思った。
 だが、それでイアルが犠牲になったらと思うと、今はまだ出る時ではないと考えなおし、自分を律する。
 萌が、イアルの居場所――令嬢の屋敷である洋館を突き止め、扉一つ向こうという距離にまで辿り着いていた。
 渦巻く魔力が強すぎて、一歩を踏み出すことが出来ない。
 令嬢は普通の人間であったが、仕えるメイドの本質が魔女である以上、打開策を生み出すのに時間が掛かる。
 萌は己の気配を消しつつも、その場でひたすらに思考を巡らせた。
 早く、もっと早く動ける方法を。イアルを救える方法を。
 時間にしては数秒の事であったが、焦りが混じり上手くまとまらない。それに苛立ちを感じて、彼女は俯きゆるく首を振る。
『しっかりしろ、私……』
 自分を奮い立たせるための言葉を、内心で強く呟く。
 ヴィルトカッツェの二つ名に恥じぬ行動を。
 萌は改めての決意の意志を深く心に刻んで、また顔を上げた。