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眷属の宴
くるくるくるとあたしは廻る。
踝まで広がったドレスが、大きく花開く。
夜はこんなにも美しい。
鏡に映ったあたしは、顔にも花を咲かせている。
唇という真っ赤な花びらを持っている。柔らかく開かせている。
人間は不幸だと思う。
この方のお傍にいることで、あたしは満たされている。
もし貴方が望むなら、貴方の首に牙を突き立ててあげたい。
あたしとワルツを踊りましょう。
さざ波のように寄せて返す声がある。
低く地割れのような声が、あたしの本能を疼かせる。
声に導かれてここまで来た。
滴り落ちる血の門を通り、湖上の城に降り立った。
湖は紅の羽を持ったあたしを映し出している。湖の底では凍りついた黒い薔薇がひしめき合っている。
薔薇たちはギシギシと小さく悲鳴を上げている。それは歓喜の声。あたしを待っていたのだ。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
凍った声が口々に祝ってくれる。
「みなさんもごきげんよう。今日も美しくてよ」
「アア、勿体ないお言葉……。是非今度は私めを召し上がって下され……」
あたしは微笑みながら城に入った。歩くたびに、牙が、ニィニィと突き出ては唇に仕舞いこまれていった。
錬金術師の工房では、白衣を着て眼鏡を掛けた白骨死体が待っていた。
「貴女はいつか戻ってくると思っていましたよ。僕は気が長いのでね」
「そんな姿ですもの、いくらでも待てますわ。百年後に来ても良かったかしら?」
「貴方が僕にキスして来るのも待っているんですが、いつまで経ってもその気配もなくてね」
「おあいにくさま。あたしの主は、あの方だけですもの」
「血玉石の作り方を間違えましたね。美女は僕のことも愛すようにすれば良かった」
「その気もない癖に……」
彼はカラカラと骨を震わせて嗤った。
人間を吸血鬼の眷属に変える血玉石は、錬金術師である彼が作った物だった。
全ては主である伯爵のために。
吸血鬼であるために迫害され、吸血鬼でありながら脆き主を守る為に、盾が必要だった。
「宴は久しぶりです。あの方もお喜びになるでしょう」
カビ臭い階段を降りると、穢れた土に白い杭が打たれている場所に出た。
そこに主がいた。
紅く血なまぐさい土に半身を沈め、金色の髪がサラサラと靡いていた。
神経質そうな高い鼻と、病弱さを物語るような細面の顔。美男子だが白濁した目をしていて、どこを見ているのかも分からない。
隣にはコウモリの羽を生やした巨大なカマキリがいた。両手にギザギザと尖った鎌を光らせ、首を傾げている。大きく輝く目は、確かにあたしを捉えていた。
元は平民出の少女だった。人間だった頃と同じように、伯爵に仕え続けているのだ。
「相変わらず、お幸せそうね」
カマキリは微動だにせず、あたしを見ていた。
“彼女”にとって、世界は主しかいない。あたしはおろか、作り手の錬金術師でさえも、世界の外に置いている。彼女はあたしを見ているようで、見ていないのかもしれない。あの瞳孔に似た黒い点が、あたしを見ているように思わせているだけなのかもしれない。
自分と主しかいない世界。
――何て羨ましいことなんでしょう。
あたしは、ナイフで掌を刺すと、滴る血を土に落とした。
穢れた土は貪欲に血を飲んでいく。血を飲む程、土は乾いていき、更にあたしに血をねだる。
主のために。
ただ、主のためだけに。
降り注ぐ血の雨は、渦となって、音を立てた。
主は目を覚ました。白濁した目は、そこにはなかった。美しく紅い瞳が静かにあたしを愛していた。
幾度も胸を焦がされた主の視線。あたしはもう、蕩けていきそうだった。
主は無言で白骨死体の錬金術師に触れた。見る見るうちに、彼は生前の青年に戻った。銀色の髪。グレーの瞳が眼鏡の奥から覗いていた。
主はカマキリの首筋を甘く噛んだ。カマキリの少女は、ブルブルと震え出した。
――悦び。
歓喜の震えだった。穢れた身でも、主は平等に愛してくれる。
「宴の始まりですよ」
主は、確かに、そう言った。
次の瞬間には、あたしを抱き寄せ、青白い首元へ牙を突き立てていた。
壁に焼けついた影たちが、ワルツを踊る。
あたしもヒールを鳴らして、ドレスの裾を広げた。柔らかく、花のように。
たどたどしい記憶から、グラジオラスの詩をうたいもした。
ワインにすっかり酔わされている。
血の翼を広げて舞うあたしが見たいと、主が目を細めて言う。
――全てお望みのままに。
外からは凍りついた薔薇たちの囁きが聞こえる。彼らはあたしが欲しくて堪らないと熱っぽく語っている。
夜はこんなにも愉しい。
カマキリは鎌をギラギラと光らせて、無感動にあたしを眺めている。
あの目はきっと、あたしの胸元で揺れる薔薇色の石を見ている。
世界はこんなにも美しい。
もしも貴方が望むなら――……。
終。
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