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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒の女豹(後編)


 鏡を見ているような気分に、僕はなった。
 不恰好なほどに盛り上がった筋肉の表面で、太い血管がピクピクと蠢いている。まるで無数のミミズが、皮膚の下でのたうち回っているかのようだ。
 筋肉とは、これほどおぞましいものなのだと、僕は改めて実感した。
 全身でおぞましく筋肉を隆起させた、その男が、巨大な両手に左右1本ずつ得物を握っている。
 小型の刀剣と呼べるほどに大きなナイフが、2本。
 この男は、これで人を1人バラバラにしている。被害者は僕とそう年齢の違わぬ女の子で、まあクラスメイトを男女の差別なく殺し尽くした僕に責められる事ではなかった。
 男の頭はつるりと禿げ上がって頭皮には脂が浮き、眼球はひび割れたかの如く血走っている。口はニタニタと微笑みの形に硬直し痙攣しながら牙を剥き、よだれを滴らせている。
 胸が悪くなるほどの醜悪さだ。
 この醜悪な笑みを浮かべながら、女の子を切り刻んだのだろう。生きる価値もない男だ、とは言える。
 それは、しかし僕も同じだ。
 僕も、これと同じくおぞましい怪物と成り果て、同じく醜悪な笑みを浮かべながら、クラスメイトたちを1人また1人と殺していった。今ならば、それがわかる。
 もちろん反省などしていない。あの連中は、殺されて当然の事をしたのだ。
 当然の権利として、僕は報復を決行しただけだ。
 それがしかし、第三者の目にはどのように映る行いであったのか。それを僕は今、思い知らされている。
 おぞましい。他に、適切な言葉はなかった。
「人を切り刻むのが、お好きですの? それなら私と同じですわね」
 男と対峙しながら、黒衣の女は言った。
 全身をピッタリと包む黒のラバースーツに、プリーツスカートという、魔法少女ものの悪役みたいな格好をした若い女。
 両手の小太刀は、模造刀の類ではなく本物だ。そして、それを扱う戦闘技術も。
 水島琴美。社長に対して、この女はそう名乗った。
 その社長は、どこかへ逃げた。
 社長を警護していた男たちは1人残らず、通路にぶちまけられている。
 おぞましく筋肉太りした、この男が、彼らとは格の違う怪物である事は間違いなさそうだ。
「同病相憐れみながら……さあ、殺し合いをいたしましょうか」
「僕は……君を、殺しはしないよ……」
 その怪物の巨体が、水島琴美に向かってユラリと踏み込んだ。
 大型のナイフが左右2本、疾風のように閃いた。
「君を、僕だけの天使にしてあげるだけさ……君はね、僕の中で永遠に生き続けるんだよぉおおおお」
 豊かな黒髪がふわりと舞い、プリーツスカートが微かにはためく。
 黒のラバースーツでピッタリと引き立てられたボディラインが、くっきりとした凹凸を誇示しながら揺らめき翻る。まるで、風に吹かれた柳のように。
 揺らめきながら、水島琴美は叩き斬られた。一瞬、そう見えた。
 2つの刃が、彼女の身体を擦り抜けて行ったように、僕には見えたのだ。
 そんなふうに見えてしまうほど、ギリギリの回避である。
「お肌、綺麗だね君……内臓も、綺麗なんだろうなああ」
 男の呼吸が荒い。ドーピングされまくった巨大な筋肉が激しく躍動し、ミミズのような血管が破裂しそうなほど痙攣する。
 左右2本のナイフが、水島琴美に向かって縦横無尽に閃いた。
 斬撃の豪雨が降り注ぐ中、黒のラバースーツを貼り付けた肢体が一見弱々しく、よろめき舞った。
 形良く膨らみ締まった左右の太股が小刻みに跳ね上がり、ロングブーツを履いた両足が頼りなくステップを踏む。踊る美脚をかすめるように、大型のナイフが幾度も荒々しく弧を描く。
 美しくくびれた胴が、柔らかく捻転し、豊麗な胸の膨らみが横殴りに揺れた。
 ねじれたボディラインを叩き切るべく、あるいは揺れる膨らみを切り落とすべく、男のナイフが左右2本、凄まじい速度で突き込まれ、振り回される。
 そして、止まった。
 男の巨体が、硬直していた。
 水島琴美も、ふわりと動きを止めている。
「ゾーリンゲン、とお見受けしますわ。なかなかの物を、お持ちですのね」
 一見たおやかな左右の五指が、小型とは言え本物の日本刀を、くるりと軽やかに回転させる。
 左右2本の小太刀。
 揺れる胸ばかりを見ていた僕は、それら刃の一閃する瞬間を見逃していた。
「私の二刀、右は関物ですけれど……こちら左、実はゾーリンゲンからのお取り寄せ品ですのよ? 使い勝手と斬り心地は甲乙つけ難し、優劣を論ずるのは愚かな事ですわね」
 食べ頃の白桃を思わせる尻周りに、プリーツスカートと一緒に装着された2本の鞘。そこに左右の小太刀を手際良く納刀しながら、水島琴美は言い放った。
「何にせよ……貴方に、ゾーリンゲンを持つ資格はありませんわ」
 おぞましく筋肉を膨らませた男の巨体が、滑らかに食い違い、崩れ落ちてゆく。まるでダルマ落としのようにだ。
 その死に様を一瞥もせず、水島琴美は歩き出していた。
 僕は思わず、声をかけた。
「ま……待てよ……」
「あら……貴方まだ、そんな所にいらしたの?」
 冷ややかに、彼女はそれでも会話に応じてくれた。
「何か御用かしら。私、こう見えても暇ではなくてよ? 今からあの社長さんを捜し出して、生け捕るか切り刻むかを決めなければなりませんの。お話は手短にね」
「僕は……殺さないのか?」
 殺されずにすむのなら、それは喜ぶべき事であるはずだ。
 なのに僕の中では、安堵や喜びよりも、惨めさの方が勝っていた。
「僕だって……人を、殺したんだぞ。大勢……」
「後悔してらっしゃる?」
「するもんか!」
 僕は叫んでいた。
「あいつらが死なないなら、僕が自殺するしかなかった! どいつもこいつも、殺されて当然の連中なんだ!」
「それなら堂々となさい。貴方は誰に恥じる必要もなく、して当然の報復を成し遂げたのですから」
 水島琴美は微笑んだ。冷笑か、嘲笑か。
「……貴方、虫の死骸を食べさせられたり裸を撮られたりしたのでしょう? そんな目に遭わされたら私だって、相手の方々を生かしてはおきませんわ」
「僕は……これから、どうすれば……」
 愚問だった。
 別に僕を助けに来てくれたわけでもない、ただ仕事で人殺しをしに来ただけの女が、そんな問いに答えてくれるはずがないのだ。
「……あんたは、これからどうするんだ。あんただって……こんなに、人を殺して」
「私はただ、お仕事をするだけ。納税者の皆様に養っていただいている身ですもの、つまらない事で思い悩む暇などありませんわ。働きませんと、ね」
 水島琴美は微笑んだ。冷笑でも、嘲笑でもない。
 この女は、楽しくて笑っているのだ。
「次は、どんなお仕事で……どんな殿方と、殺し合う事が出来ますかしら?」
 人を殺す仕事が、この女は楽しくて仕方がないのだ。
 はっきりとわかる。僕は今、化け物を見る目をしている。
 たった今、切り刻まれた男よりも、クラスメイトたちを殺しまくっていた時の僕よりも、凶悪で禍々しい怪物を見る目。
 僕のそんな眼差しを背中で受けながら、水島琴美は、足取り軽やかに歩み去って行った。