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<東京怪談ノベル(シングル)>


Annihilate The Heresy 1

 硬い床をヒールが叩く。
 更衣室に向かう瑞科の小さな顔は、これから任務へ出るというのに微笑の余裕を崩さない。
 何しろ――。
 彼女はこの魑魅魍魎殲滅組織たる「教会」の、最終兵器と言って過言でない女なのだ。任務を仰せつかった時点でそれは成功を前提とした遊戯に過ぎない。
 それを分かっているから。
 司令官も、悪魔崇拝教団と上級悪魔の打倒という至難の業を言いつけるにあたって、安堵したような表情を見せていたのだ。
「期待には答えなくてはなりませんわね」
 ――尤もみすみす逃すつもりなど毛頭ないのだが。
 小さく笑って更衣室のドアを開けた瑞科が、己の戦闘服を仕舞ったロッカーの前へ立った。既存の戦闘服では収まりきらなかった豊満な肢体を惜しげもなく晒す。
 彼女の戦闘服は特注である。その素材は戦闘に適応した最先端の素材だそうで、事実彼女が戦いの中で素材による不利を感じたことは一度もない。
 つくづく膨大な科学力だ――と思う。
 けれど、彼女の専門はそちらではないのだ。科学者の頭の中には、聞きかじりの知識ではおよそ理解しえない何かが常に渦巻いているのだろう。
 取り出した服へ腕を通す。
 空気の抵抗を極限まで抑えた、体に貼りつくようなシスター服だ。腰下までの深いスリットから外気を浴びる、しなやかで無駄のない足を、ニーソックスで覆っていく。太腿に食い込む感覚も慣れたものだった。
 その上から履いた膝丈の編み上げブーツの紐を確認する。解ける様子はない――少なくとも今回の任務を達成するまでに足を取られることはないだろう。
 次いで取り出したコルセットを細いウエストへ巻いた。締め付ける感覚と同時に、普段でさえ隠しきれぬ胸が余計に張り出す感覚がする。
「また大きくなりましたか。太った――いえ、そんなまさか」
 独りごちながら大きく育ってしまったバストを眺めた。
 訓練は欠かしていないし――女性にとっては考えたくないような結末というわけではなかろう。そのうち戦闘服も作り直してもらう羽目になるかもしれない。
 この大きすぎる胸は戦うのには少々邪魔だが、その重みを補ってこそ修練になるというものだろう。
 納得したようにグローブをつける。細く、しかし鍛え上げられた二の腕までを覆うそれには、神の使徒を思わせる純白の布飾りがふんだんに施されている。白く透き通るような皮膚に馴染む革製のそれに繊細な指を入れて、一度拳を開閉すると、元より彼女の体の一部であったかのような錯覚すら覚えた。
 最後の装飾は花嫁のそれを思わせる純白のケープとヴェールだ。いつか日常でこれを付ける日が来るかもしれない――と思えば、年頃の女性らしい高揚が脳裏をよぎった。
「い、いけません。それよりも任務、任務のことを考えなきゃならないんですわ」
 言い聞かせるように火照った頬を叩いた。
 幾ら常勝無敗の女帝とはいえ、一瞬の雑念が敗北を導く可能性もある。瑞科とて単純な実力だけでここまで来たわけではないのだ。
 少しばかり冷静を取り戻した心で息を吐く。先程とは打って変わって、整った相貌に鋭い眼光を秘めたまま、彼女の唇が緩やかに弧を描いた。
「お仕事の時間と参りましょう」
 ――人に仇なす悪魔の館へ、神の裁きを下すために。

 *

 雨が降りそうだ。
 邪教団の本拠地へ辿りついて、まず思ったのはそのことだった。ただでさえ美しい肢体を際立たせるかのように貼り付いているシスター服が濡れたときのことはあまり考えたくない。
 頭頂から髪先まで、一切の乱れがない艶めく黒髪を風に流す。頬を撫でる感覚が思いの外乾いている。――任務が終わるまでに降り出すことはないだろう。
 不快感は些末な可能性として頭の隅に追いやる。
 改めて。
 見上げた白塗りの屋敷は嫌になるほど大きい。ところどころ罅の入った外壁と、煉瓦に囲まれた鉄門に絡んだ蔦が、これまたいかにもな――幽霊屋敷めいた雰囲気を醸し出している。
 錆びた鉄に指を掛ける。――開いた。
 鍵がないということはそれだけ出入りする信徒が多いということだろう。全員に合い鍵を配るわけにはいかぬ。だが、ただ開け放していたのでは外敵の侵入を防げない。
 すなわち。
 両側の草むらから飛び出してきた黒服の男たちが、瑞科にナイフを向ける。
「全く、悪魔崇拝だなんて大層な趣味ですこと」
 刹那に地を蹴った瑞科の拳が、右側の男の鳩尾へ突き刺さった。
 苦悶の呻き声を漏らしてもんどりうった彼には目もくれず、突進してきたもう一人へ向けて足を上げた。
 電光石火――。
 そう言って過言でない速度の蹴りが寸分違わずその手を撃ち抜く。耐え難い痛みに崩れ落ちた彼の掌から流れ落ちる赤が、庭の深緑へ滲みていた。
 鳩尾を殴られた方の男は腹を押さえたまま痙攣している。大方、呼吸困難に陥ったのだろう。こちらはじきに――否、もう意識を失っているかもしれない。兎も角問題はない。
 となれば。
 武器を失い、すっかりと腰を抜かした男の首元へ思い切り手刀を叩き込む。簡単に力を失った彼を見下ろして息を吐いた。
 造作もないことだ。
 確かに一般人ならばこの程度でも追い返せよう。或いは――脅して捕らえたなら贄にすることも可能だ。
 ――甘い。
 つくづく甘い。
 彼らはもう一般人だけを相手取ればいいような規模の団体ではない。黎明期こそ素人にナイフを持たせれば事足りていただろうが、教団に目を付けられるほどの規模になってしまった以上、そんな子供騙しの戦法は通用しない。
「予定変更。思ったより少し早く終わりそうですわね」
 認識が甘いというのはその分だけ粗が多いということだ。害を及ぼす悪魔を迅速に殲滅できる可能性に、形のいい唇が柔らかな弧を描いた。
 この騒ぎは伝わったろうか。連絡させる隙もなく行動不能にしたつもりだったが、ともすれば隠しカメラに捉えられているかもしれない。
 ――混乱しているうちが確実な勝機だ。そこを超えて警備態勢を整えられれば危険度が跳ね上がることは間違いない。
 シスター服の裾が油断なく翻る。美しい顔に怜悧な色を湛えて、瑞科は教団内部へ足を踏み入れるのだった。