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<東京怪談ノベル(シングル)>


混濁者は階段を落下する(4)
 静かだった。先程まで戦場の音が鳴り響いていたこの施設も、今はもう瑞科のブーツが廊下を叩く音くらいしか聞こえない。
 軍事企業の本部にいた兵士達や低級悪魔を退治し終えた瑞科は、恐らく黒幕であろうこの軍事企業のトップを捜索しながら、見つけた隠し階段から地下へと降りて行く。辿り着いた先で広がっていた光景に、彼女は息を呑んだ。白く美しい喉が、驚愕に僅かに上下する。
 そこは、強化人間が作られていた部屋であった。ガラス状の筒のような特殊な装置の中で、培養液に包まれながら何人もの強化人間達が眠っている。いくつも装置が行儀よく並んでいる光景は、まるで悪夢のようだ。装置は強化人間である彼らの母体ではあるが、同時に普通の人間としての彼らにとっての棺桶のようにも見えた。
 次の瞬間、音が響く。ガラスが割れる音。
 瑞科が放った重力弾が、装置を破壊する音だ。
(これで、もうここで強化人間が作られる事はありませんわね……)
 強化人間に関するものを全て破壊し終え、瑞科は安堵の息をつく。これでもう、あのような悲しい者達が生まれる事はない。
 ふと、彼女は奥にも部屋がある事に気付いた。扉を開くためにはパスワードが必要なようだったが、聡明な瑞科にかかればこんなものは朝飯前だ。難なく問いてみせ、彼女は扉を開ける。
 部屋に入った瞬間、ひんやりとした空気が彼女の絹のような肌をさした。室内には残り香のようにかすかな魔力が漂っている。恐らく、この場所で彼らは低級の悪魔を召喚していたのだろう。
「あら、この召喚陣は……。まさか……」
 しかし、瑞科はある事に気付き、しばし思案する。
 悪魔を召喚するには、いくつかの方法がある。ひとえに召喚術といっても、種類は一種類ではない。生まれや流派や地域、その者の持つ魔力によって、使える召喚術は変わってくるのだという事を瑞科は知識として知っていた。だからこそ、この場で行われた召喚術の種類に違和感を感じ彼女は形の良い眉を寄せる。
 この術を使うには、確か膨大な量の魔力を消費する必要があったはずだ。人間では、何百人が束になっても足りない程の魔力が。
 そう、この召喚術は、ただの人間には決してなし得る事が出来ないはずのものなのだ。
「……そういう事、でしたのね」
 見えてきた黒幕の正体に、瑞科は目を細めた。黒幕はこの軍事企業のトップではない。そのトップすらも手駒として操っていた存在が、別にいる。
 人ではない。召喚術をなし得る程に膨大な魔力と、知識を持つ存在。
 恐らく――上級悪魔。
「人が人と悪魔を弄んだのではなく、悪魔が人と悪魔を弄んでいたわけですわね」
 その瞬間、周囲に響き渡ったのは笑声だ。
『あいつらのような知能すら持たぬ低級の者と、我を同格に見るとは戯言を』
 現れたのは、この世の闇を凝縮したかのような漆黒の影。黒い翼を持ち、不敵に笑う異形。彼こそが、今宵の事件の黒幕だ。低級の悪魔を召喚し、人とDNAを掛け合わせ強化兵士を作り出していたのは、人ではなく上級の悪魔だったのだ。
 二人は向かい合い、余裕を孕んだ笑みを浮かべる。しかし、その瞳は揺らぐ事なく相手の事を射抜くように見ていた。
 様子を探るかのような、僅かな沈黙。動いたのは、ほぼ同時だ。
 悪魔の放った魔術を、瑞科は隠し持っていたナイフを投てきする事で打ち消す。
 瑞科は次の一手に備え、剣を構えながら一度後ろへと跳躍。悪魔も、瑞科の動きを伺いながら飛翔し、距離を取った。互いに間合いを計り合う。
「うう……」
 その時、瑞科でも悪魔でもない、誰かの呻くような声が耳に届いた。
 慌てて瑞科は駆け、声のしたほうへと急ぐ。部屋の隅の棚の影に、傷だらけの一人の男が倒れていた。
 任務のための調査の際に、資料の中で見た事のある顔だ。確か、この企業のトップの男。
「よかった。ご無事でしたのね……!」
 企業を乗っ取られた際に殺されてしまった可能性も危惧していたが、杞憂であった事に彼女は嬉しそうに微笑みを浮かべてみせる。
『興が削がれたな。ここはいったん退かせてもらおう』
「……っお待ちなさい!」
 瑞科は男の体を支えながらも逃げ出そうとした悪魔の行き先を目で追うが、悪魔はすーっと宙で霧散し見えなくなってしまった。
 取り逃がす事になってしまったが、今はこの者を助ける方が先決だ。それに、本部はもう潰れてしまったのだ。上級悪魔といえど、すぐに大きな事を起こす事は出来ないだろう。
 瑞科は通信を繋げ、「教会」の救護班を要請する。
「……よく頑張りましたわね」
 救う事の出来た命に、彼女は感謝の言葉を捧げた。そして、彼の今後の人生が平安であらん事を祈る。
 瞳を閉じ祈りを捧げる彼女の表情は、穏やかで優しい聖母のようだ。しかし、瞼を開けた時、彼女の顔つきは一変する。決意のこもったものに、「教会」の戦闘シスターの顔つきに変わる。
 何故なら、まだ全ては終わっていないのだから。
「さて、あとは、逃げ出した彼に罪を償わせるだけですわね」
 見るからに高圧的な態度だった悪魔の姿を、瑞科は脳裏へと思い浮かべる。人どころか同族である悪魔すらも実験体としか見ていない、まさに悪魔の名を冠するに相応しい邪悪な存在。「教会」としても見過ごす事など出来ないし、瑞科個人としても許せる相手ではなかった。
 その高みから、何としてでも引きずり下ろさなくてはならない。
「必ず、わたくしがこの手で制裁を下してみせますわ」