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大幹部の帰還
中央に据えられているのは、培養液で満たされた大型のカプセル。
まるで透明な棺のようでもあるそれを、生命維持用の様々な機器類が取り巻いて、祭壇のような形を成している。巨大な、機械の祭壇である。
祀られているのは、棺にも似たカプセル内で培養液に漬けられた、白く細く弱々しい肉体。
手足も胴体も、筋肉や臓器が入っているのかどうか疑わしくなるほどに細い。肌は白く、今にも培養液に溶け込んでしまいそうだ。
そんな弱々しい細身の周囲で、長い髪が海藻の如く揺らめいている。まるで老人のように、髪も白い。
顔は年老いているわけではなく、ふっくらと幼げな、子供のそれである。血色をほぼ失って目を閉じているその表情はしかし、往生を遂げた老人を思わせもする。
実存の神。
そう呼ばれる存在が、培養液の中で目を閉じている。ホルマリン漬けの人体標本のようにだ。
フェイトは見入った。
(これは……俺だ……)
心の底から、そう思った。
自分が辿っていたかも知れない運命をフェイトは今、目の当たりにしているのだ。
「あんたは……」
カプセル内の、肉声が届くはずもない相手に、フェイトは思わず語りかけていた。
「あんたは……俺を……」
待っていたのか。
その言葉を、フェイトは呑み込んだ。そんなはずが、ないからだ。
この『実存の神』に先程、何か共鳴するようなものを感じた。
あの少女との戦いの最中、自分の力が高まっているのを、フェイトは確かに実感した。
いや、だからと言って、この人体標本のような少年が自分を待っていたなどと。
直感を否定しようとしているフェイトに、にやりと微笑みかける者がいる。
「待っていたのよフェイト……この子は、貴方をねえ……」
黒蝙蝠スザク。
その可憐な唇が、血で汚れたまま微笑の形に歪む。
「貴方の身体は、この子のもの……貴方の、血も肉も内臓も全部、この子のためにあるの……貴方の命は、この子のもの……」
肋骨が折れて臓器のどこかに突き刺さっているのであろう、その細い身体から、炎が溢れ出していた。
黒い炎。
黒髪から、ゴスロリ調の黒いワンピースから、黒色そのものが氾濫し、燃え盛り、
「貴方の……魂は、あたしのもの!」
スザクの叫びに合わせ、フェイトを襲った。
いや、フェイトのみならずIO2エージェント計4名を一気に焼き殺さんとする勢いだ。
「くっ……!」
襲い来る黒い炎の荒波を、フェイトは睨み据えた。
エメラルドグリーンの瞳が、燃え上がるように輝いた。
緑色の眼光と共に念動力が迸り、黒い炎とぶつかり合う。
緑色の光の破片が、キラキラと飛散した。黒い炎の飛沫が、大量に飛び散った。
衝撃の余波が、フェイトたちを襲う。
隻眼の少女が、元NINJA部隊隊長が、後方へと吹っ飛んだ。
2人を庇おうとしながら、フェイトもまた吹っ飛んでいた。
床に叩きつけられ呼吸が一瞬、止まった。
無理矢理に息を吐き、吸いながら、フェイトは上体を起こした。
黒い炎の渦の中、スザクがゆらりと佇んでいる。折り畳んだ傘を、剣の如く構えながらだ。
「お願いよフェイト、大人しくして……貴方の身体、あんまり傷物にしたくないの。だって、この子のものなんだから……」
「やめろ……」
フェイトは呻いた。
「その身体で……こんな力、使ったら……あんた、死ぬぞ……」
「あたしが死んで、この身体……この子に、あげられたらいいのに……」
血まみれの唇が、牙を剥いた。
綺麗な白い歯をギリッ……と噛み合わせながら、スザクは涙を流している。
「わかる? あたしにはね、この子のためにしてあげられる事……なぁんにも、なかったのよ。フェイト、貴方が来るまではね……」
スザクは涙を流しながら怒り狂い、激怒しながら笑い、微笑みながらすすり泣いていた。
「貴方の命を、この子に捧げる……この子にしてあげられる事、やっと見つかった……」
剣のような傘に、黒い炎がまとわりつく。黒く燃え盛る先端部分が、フェイトに向けられる。
その時、銃声が轟いた。
スザクの細身が、鮮血の飛沫を空中に咲かせながら激しく揺らぎ、倒れ伏す。
「この難儀な小娘の注意を、よく引き付けてくれたな。フェイト」
柱の陰から、ディテクターが姿を現していた。その右手に握られたリボルバー拳銃が、一筋の硝煙を立ち上らせている。
「囮や弾除けとして、お前は本当に役に立つ男だ」
「……どうも」
そんな答え方しか出来ぬまま、フェイトは思った。
黒蝙蝠スザクは敵なのだ、と。
今回の作戦における、救助対象ではなく排除対象なのである。ディテクターは何も、間違った事をしていない。
黒い炎が、消え失せた。
スザクの命は、まだ辛うじて消え失せていない。
「うっ……ぐゥッ……こ、このぉ……っ」
細い胴体の、どこかに銃弾を撃ち込まれながらも即死し損ねた少女が、弱々しくのたうち回りながら懸命に起き上がろうとする。
そこへ容赦なく拳銃を向けたまま、ディテクターは言った。
「死に損なったか……ならば見ておけ黒蝙蝠スザク。お前たちが有難がって拝み奉っていたものが、所詮どういう代物でしかなかったのかを目の当たりにさせてやる」
言いつつ、何度か引き金を引く。
銃口が、立て続けに火を噴いた。スザクに、ではなく機械の祭壇に向かってだ。
培養液で満たされたカプセルは、かなり特殊な強化素材で出来ているのだろう。『実存の神』をしっかりと閉じ込めたまま、銃弾をパチパチと弾き返している。
だが他の機械部分は、そうはいかない。
祭壇のあちこちが、ディテクターの銃撃に穿たれ、小規模な爆発を起こしていた。
「嫌……」
スザクが悲鳴を漏らす。
真紅の瞳が、涙に沈んだまま呆然と見つめている。強化ガラスのカプセルが開き、培養液が溢れ出す、その様を。
白く弱々しい『実存の神』の身体が、ゆっくりと落下して行く。
「い……やぁ……嫌ッ! 嫌嫌嫌嫌いやああああああああっっ!」
死にかけていたスザクの身体が立ち上がり、少年の白い細身を抱き止めつつ、もろともに倒れ込んだ。
「出来損ないの複製品に……失われた面影を、重ねてしまっているようだな」
ディテクターの右手で、リボルバー拳銃がガシャリと開き、すぐに閉じた。鮮やかな、次弾装填である。
「生命維持装置は破壊した。その『実存の神』とやらも、長くは保たん……お前に抱かれたまま、腐り果てていくだけだ」
装填済みの拳銃を、ディテクターはスザクに向けた。
死にかけた子供を抱いた、死にかけた少女が相手でも、この男は容赦なく引き金を引くだろう、とフェイトは確信した。
「わからんのか黒蝙蝠スザク、お前は生ゴミを抱いている。生ゴミを庇いながら、死んでいくのか?」
言葉と共に、ディテクターは跳躍した。
その足元で、床が破裂していた。
何本もの、鞭のようなものが、床下から溢れ出してディテクターを襲う。
百足の大群、のように見えた。節くれだった、甲殻の触手。
それらを回避しながら、ディテクターは着地していた。
床下から出現した何者かが、呻く。
「ゴミ……と言ったのか、貴様……」
どこかで聞いた声だ、とフェイトは思った。
「ゴミと呼ばれる……それが、いかなる事なのか……わかるのか貴様、わかっているのか……」
黄金色の炎をまとう怪物。言葉で表現するならば、それしかない。
がっしりと力強い人型の全身は鱗に覆われ、その各所で、金色の体毛が炎の如く揺らめいている。
それらを掻き分けるようにして、牙のある甲殻の触手が何本も生え伸び、百足のように禍々しくうねってディテクターを威嚇しているのだ。
「殺されて生ゴミと化し、腐ってゆく……その覚悟があって口にしているのであろうな貴様……ゴミという言葉をだ!」
怒声を発する頭部は、黄金色の毛髪を生やした頭蓋骨である。眼窩の奥では、鬼火のような眼光が爛々と燃えている。
頭からは角が1対、生えていた。鹿の角、龍の角、あるいは麒麟の角。
「あんた……」
死にゆく少年を抱き締めたまま、スザクが息を呑む。
「何……しに来たのよ……廃棄物の分際で……」
「私を失脚させての立身出世を図った小娘が、無様な姿をさらしているではないか」
そんな事を言いつつ怪物は、動けぬスザクを背後に庇っている。
「だがな、その非力なる身を呈して我らの神を守り抜いた……それだけは褒めてやろう。あとは、この大幹部ウィスラー・オーリエに任せておくが良い」
「ウィスラー……さん……なのか?」
フェイトはようやく立ち上がり、声を発した。
「まさか……あんたが、そんな……」
「確かフェイトと言ったな、愚民の若造。お前を殺したくはない、早々に立ち去るが良い」
女の子に泣かされていた白人と同一人物、とは思えぬほど力強い口調で、怪物が言う。眼窩の奥で燃える光を、ディテクターに向けながら。
「だが貴様は逃がさぬ、許しはせぬ! ドゥームズ・カルト大幹部ウィスラー・オーリエが、直々に神罰を下してくれようぞ」
「あんた、まだそんな事言ってるのか!」
フェイトは叫んだ。
「見てわかんないのかよ! ドゥームズ・カルトが、もう終わりだって事!」
「終わらせはせんよ、この私が」
ウィスラーの全身で、炎のような体毛が、本物の炎に変わった。
「私はなぁフェイトよ……ドゥームズ・カルトの大幹部として、まだ何事も為していないのだよ……」
黄金色の炎を渦巻かせ、まるで猛火の竜巻のようになりながら、ウィスラーがディテクターに向かって踏み込んで行く。
「終わりになど、出来るわけがなかろうがぁあああああああ!」
「終わらせてやる……この俺がな」
ディテクターが、引き金を引いた。リボルバー拳銃が、幾度も火を噴いた。
何本もの甲殻触手が、螺旋状にウィスラーを取り巻いた。防御の螺旋。
そこへ、ディテクターの銃撃がぶつかって行く。
百足のような触手たちが、ことごとく砕けちぎれた。
ちぎれたものを蹴散らしながら、ウィスラーは右拳を叩き込んでいた。ディテクターの腹部にだ。
「うぐっ……!」
ロングコートの下に着込んだ、パワードプロテクター。その各所からバチバチッ! と火花を散らせつつ、ディテクターは前屈みに身を折っていた。
鳩尾に押し当てられたウィスラーの右拳が、黄金色に激しく燃え上がる。
怪物の全身で渦巻く炎が、右拳に集中し、ディテクターの体内に流し込まれる……寸前で、フェイトは叫んだ。
「させるかぁああああッ!」
エメラルドグリーンの眼光が、念動力を宿しながら迸り、ウィスラーを直撃する。
麒麟と百足と人間の合成体、とも言うべき異形の肉体が、金色の火の粉を血飛沫のように飛び散らせ、吹っ飛んだ。
拳から解放されたディテクターが、前のめりに倒れる。フェイトは駆け寄り、支えた。
「大丈夫ですか」
「甘く見た……」
呻きながら、ディテクターは血を吐いた。
「オーリエ財団の無能御曹司が……まさか、これほどの化け物に作り変えられているとは」
まさしく、化け物であった。
フェイトが本気で放った念動力の波動を喰らいながら、ウィスラーはよろよろと立ち上がりつつある。
「終わらせはせぬ……この私が、大幹部として!」
立ち上がった怪物の全身が、白い光に包まれた。
手負いのウィスラーが何やら底力を発揮した、わけではないだろう。
同じく手負いの黒蝙蝠スザクも、白い光を発しているからだ。
否。白く発光しているのは、彼女の身体ではない。
死にかけた少女の細腕に抱かれた、人体標本のような少年だ。
光を発する少年を抱き締めたまま、スザクは呆然としている。
少女の脇腹の辺りから、小石のようなものが飛び出して床に転がった。
ディテクターの、銃弾だった。
傷口が、異物を押し出しながら塞がってゆく。
白い光が、負傷していた少女の身体を癒している。
フェイトは呻いた。
「……実存の……神……」
生命維持装置を失い、もはや長くは保たぬであろう少年の脆弱な肉体が、力を振り絞っている。まさしく『実存の神』と呼ぶにふさわしい力を。
「力を……授けて、くれるのか……我が神よ……」
白い光に包まれながら、ウィスラーが声を震わせる。
「私に……大幹部としての務めを、果たさせてくれるのだな……飾り物の大幹部に過ぎなかった、この私に……」
白い光が、ウィスラーの肉体にもたらしたもの。それは癒しだけではなかった。
変異が、起こっていた。
怪物の肉体が、白い光の中で膨張してゆく。
聖殿の壁が破裂し、柱が砕け、天井が崩落を始めた。
ドゥームズ・カルト本部施設は、完全に崩壊した。
巨大なものが、その残骸を押しのけて月明かりを浴びている。
甲殻が、禍々しく月光を反射する。
それは列車にも似た、巨大な百足であった。
「ウィスラーさん……なのか……」
ディテクターに肩を貸したまま、フェイトは呻いた。
2人で脱出するのが精一杯だった。他2名もそれぞれ自力で脱出してくれたと、信じるしかない。
「そんな姿になってまで……あんたはっ!」
フェイトは念を振り絞った。エメラルドグリーンの眼光が、激しく迸る。
迸った念動力の塊が、大百足の甲殻に激突し、雨滴の如く飛び散った。
列車のような巨体は、全くの無傷だ。
「まさか……こんな廃棄物男に助けられるなんてね」
大百足の背中に、黒蝙蝠スザクが立っている。白く弱々しい少年の細身を、抱き上げたままだ。
「だけど今は、利用出来るもの利用しなきゃ……ここでフェイトを無傷で手に入れるのは無理そうね。今はこの子に、新しい培養液と生命維持設備を……一刻も、早く」
大百足が、スザクと『実存の神』を乗せたまま、建物の残骸を蹴散らし去って行く。
生命維持装置を失った少年を、救う事の出来る場所。
あの製薬会社の、研究施設しかない。
行先が読めても、もはや追うだけの余力が、フェイトにもディテクターにもなかった。
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