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<東京怪談ノベル(シングル)>


悪魔も眠る昼
 祈りを捧げ、朝食を食べ終えると、瑞科は冷たい紅茶を淹れる。透き通ったお気に入りのグラスに注がれるのは、少し濃い目のキャンディ。お菓子のような名前からして可愛らしいその紅茶は、クセが少なく大変飲みすい。アレンジとしてフルーツを入れてあるそれは、爽やかな香りと味で瑞科の形の良い鼻と白く細い喉を楽しませる。
 時計の針が、ゆっくりと、けれど確実に時を進めていく。本来なら、とっくに出社していなければいけない時間だ。
 けれど、焦る必要はない。今日は仕事もないし、任務も入っていない。久方ぶりの、休日なのだから。
 瑞科もこんな日くらいは「教会」の事も戦闘シスターである事も忘れ、普通の女性に戻る。戦場とは程遠い、平和な日常に浸る。
 紅茶を飲み終えた彼女は、イヤホンから流れてくるクラシカルで洗練された音楽に耳を傾け、読み途中の文庫本へと目を通す。
 お昼になる頃には、以前読んだ時よりも栞を挟む位置はだいぶ後ろになっていた。
 そこでようやく彼女はページを捲る手を止め、本を閉じ立ち上がる。物語の続きはまた今度だ。せっかくの休日なのだから、昼食は外で食べる事にしよう。
 寝室にあるワードローブへと向かい、そこから私服を取り出す。取り出した衣服は以前秋ものを探して馴染みのブティックに寄った時に買ったもので、試着した時に店員にも褒められたお気に入りだ。
 慣れた手つきで着替え終わり、全身鏡の前で姿をチェックし、納得の行くコーディネートに彼女は満足気に微笑む。
 外に出ると、眩しいくらいの太陽が彼女の事を照らした。爽やかな風が、心地良い。
 どの店に行くかは、まだ決めていない。散歩しながら決めるのもいいものだろう、と彼女は目を細めた。

 瑞科のブーツが、歩道を叩き軽快な音を奏でる。彼女が街を歩くと、ただそれだけで人々の視線をさらった。
 立ち寄った落ち着いた雰囲気のカフェで、彼女は昼食を済ませる。たっぷりと卵を吸い込んだ、フレンチトースト。添えられた舌触りの良い生クリームの甘く優しい味に、瑞科は端正な顔を無垢な少女のようにほころばせた。セットでついてきたサラダも、新鮮でみずみずしい。
 食後のコーヒーを飲んでいた時に、不意に彼女の通信機が震えた。手にとり通話を繋げてみれば、通話口の向こうから上司である神父の声が届く。
 ……緊急の任務だろうか?
 瑞科の胸中に、期待混じりの闘志が宿った。
『先日の任務で、貴女が助けだした彼の事なのですが……』
 しかし、神父が口にしたのは別の用件であった。
 先日の任務の事は、まだ記憶に新しい。彼女は、悪魔に企業をのっとられ利用されていた軍事企業のトップを救ったのだ。
 神父からの連絡は、彼の現在の様子の報告だった。まだ入院中だが、順調に快方に向かっているらしい。後遺症等もないと聞き、瑞科はホッと胸を撫でおろす。
 あのまま放っておかれていたら、恐らく失ってしまっていたであろう命。その命を救ったのは、他でもない瑞科だ。「よかったですわ」という言葉を、無意識の内に彼女の扇情的な唇は紡ぐ。自然と、笑みがこぼれた。
 瑞科はまだ二十一歳の女だ。お洒落やショッピングに興味があるし、スイーツやランチにも目がない。買った本の続きが気になり、音楽を聴いて癒される。一見どこにでもいる普通の、女性。
 けれど、彼女はその実「教会」の戦闘シスターであり、悪を倒し、人々を救う。
 誰かのために戦うこの生活を、瑞科は誇りに思っていた。
「ところで、司令。何か任務はございませんの?」
『ええ。今は、英気を養っていてください』
 神父の返答に、瑞科はほんの少しだけ残念に思う。
 店内では周囲の客が談笑する声がし、喉を通るコーヒーの苦味は心地良い。なんて、平和な昼だろうか。
(こんな日は、悪魔もお休みしているのかもしれませんわね。なんて)
 冗談混じりにそんな事を思い、くすりと彼女は無邪気な笑みを浮かべた。
 けれどやはり、任務の事を恋しく感じる。ありふれた平和な休日も無論嫌いではないが、やはり自分は任務に身を投じている時が一番いきいきと出来る気がした。
 まだ見ぬ新たな任務に思いを馳せながら、彼女は今後も悪を倒していく事を誓うのである。