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<東京怪談ノベル(シングル)>


ジャスティス


 これほど醜くおぞましい怪物を、雛月は見た事がなかった。
 基本となっているのは、肥満した人間の男である。
 その全身から、大量の贅肉を押しのけて、様々なものが生え伸びている。毒蛇、百足、蛸の足。
「あっぐ……ぅあああああ……お、女、人間のオンナぁ……」
 そんな怪物が、辛うじて聞き取れる人語を発する。
 ひび割れたように血走った左右の眼球が、眼前に立つ雛月をギラギラと凝視する。
 凹凸のくっきりとした、しなやかな細身。ドレスのような黒いワンピースによって蠱惑的に強調されたそのボディラインを、怪物が眼光で舐め回す。
「よよよこせ、そのカラダよこせぇえええ! こんなブタ野郎の身体ァもう嫌なんだよ俺ぁあああああ!」
 様々なものを生やした肥満体が、力士の如く突進して来る。毒蛇が、百足が、蛸の足が、雛月を襲う。
 かわさず、逃げず、雛月はただ片手をかざした。
 黒い長手袋に包まれた細腕が一瞬、光をまとう。その光がキラキラと指先に集まり、光ではないものに変わった。
 1枚の、タロットカードである。
 描かれているのは、たおやかな手でライオンを撫でる乙女の姿。
 大アルカナ『力』のカードを、優美な繊手でつまみ掲げながら、雛月は言い放った。
「ライオンと呼ぶには、あまりにも醜悪で無様な化け物……お前は、女の細腕をふりほどく事も出来ない」
 毒蛇が、百足が、蛸の足が、雛月の周囲で硬直し、動きを止めた。
 それらを生やした怪物の肥満体が、うつ伏せに倒れて床に贅肉を広げる。目に見えぬ巨大な何かに、押さえ込まれている。
 滑稽な悲鳴を漏らす怪物の頭を、雛月は片足で踏み付けた。
 いくらか踵の高いブーツで、怪物の醜い横面をグリグリと圧迫しながら、見回してみる。
 人影らしきものが、部屋のあちこちに佇んでいる。
 生きた人間ではない。一揃いの人骨だった。まるで踊っているようなポーズで、固定されている。
 そんな骸骨が複数、室内あちこちに配置されているのだ。
 全て本物だった。標本として、合法的に入手したものであろうか。あるいは、どこかの墓地から盗み出してきたのか。
「綺麗な子は、中身も綺麗なんだ。そうは思わないか? みんな綺麗な骨だろう」
 雛月が怪物の顔面を踏みにじる、その様を見物しながら、部屋の主が言う。
 美しい、と雛月は思った。美しいとしか表現しようのない男である。いや、女か。
 若い男か、若い娘。美少年か、美少女か。
 性別不明な何者かが、瀟洒な純白のスーツに細身を包んでいる。
 この彼もしくは彼女の所有している、ビルの一室であった。
 骸骨たちが、優雅に踊りながら時を止められている。
 そんな空間の主に、雛月はとりあえず問いかけてみた。
「若い男の子や女の子が最近、何人も行方不明になってるみたいなんだけど……知ってる?」
「この国で年間の行方不明者が一体何万人に上るのか、君こそ知っているのかい」
「その中の0・01パーセントくらいは、ここにいるんじゃないかって思うんだけど」
 踊る人骨たちを、雛月は見回してみた。
「この子たちの……外側は?」
「あるじゃないか。君の、目の前に」
 美少年か美少女か判然としない何者かが、雛月の眼前で軽やかに身を翻す。ファッションモデルか何かのように、優雅な動きではある。
「彼ら彼女らの、最も美しい部分のみを集めて作り上げた、この肉体に! 私は己自身の脳を移植したのだよ! 史上最高の叡智と魔力と美しさを備えた存在が、ここに降臨したのだ!」
「……つぎはぎのゾンビにしちゃあ出来がいい。それは認めてやるよ」
 濃い目のルージュで彩られた唇を、雛月は嘲笑の形に歪めた。
「で……お前の、元々の身体は?」
「それさ」
 作り物の美しい肉体が、その綺麗な人差し指を、雛月の足元に向ける。
 踵の高いブーツに踏みにじられ悲鳴を漏らす、肥満体の怪物に。
「私の、言ってみれば抜け殻だ。下級の悪魔族を何匹か召喚し、詰め込んでおいた。私のボディーガードくらいは務まると思ったのだが」
「思ったより使えなかったってわけ。じゃ、処分しとくよ」
 言いつつ雛月は、そのまま怪物の頭部を踏み潰した。様々なものが、グシャリと床に広がった。
 大アルカナ『力』のカード。この魔力が発動している限り雛月は、あらゆるものを押し潰し粉砕する事が出来る。
「お前、この街の裏通りじゃそこそこ名前の知られた黒魔術師なんだってね」
 雛月は言った。
「いろんな組織に雇われて、いろんな呪い殺しを成功させてきた。たいそう羽振りがいいとは聞いてたけど……腐るほどある金で、綺麗な男の子や女の子を掻き集めて一体何やってるかと思えば」
「不滅の生命を創り出す、高尚極まる研究さ」
 性別不明……否、男でいいだろうと雛月は思った。元々は、無様に肥満した醜い男だったのだから。
 今や美しく生まれ変わった、その男が、得意げに語る。
「この美しき肉体を不滅のものとするために、私はこれからも学究を怠らぬつもりだ。ああ残念、君も確かに美しいが年齢的に問題がある。私のこの若き美しき新たなる肉体に、組み入れて差し上げるわけにはいかない……二十歳過ぎのババアにはなぁ、使い道などないという事よォオオオオ!」
 男の美しい両手が、雷鳴を轟かせながら発光する。
 目に見えるほど激しい放電が、起こっていた。電光が、雛月を襲う。
 その時には、雛月は指先でタロットカードを翻していた。
 絵柄が変わった。『力』から『塔』へと。
 カードの中で、巨大な塔が雷に打たれている。
 その雷が、カードの中から溢れ出し、迸っていた。
 電光と電光が、ぶつかり合った。凄まじい、電撃の爆発が起こった。
 美貌に似合わぬ、情けない悲鳴を上げながら、男は吹っ飛んで人骨をいくつか薙ぎ倒し、床に激突した。
 カードをかざしたまま、雛月は歩み寄って行く。
「得意の絶頂から叩き落とす。それが『塔』の魔力さ」
「ひっ……ま、待て……こここ殺すのか、私を殺すのか……」
 美しい顔を無様に歪め、引きつらせながら、男が命乞いを始める。
「私には様々な組織とのコネがある。お前ほどの黒魔術師になら、いくらでも儲け口を紹介してやれるぞ。な? だから組もう、私と組もう」
「じゃ、協力してもらおうかな」
 雛月は、微笑みかけた。
「僕はね、人を生き返らせたいんだ。だから、お前に用があった。お前の言う、不滅の生命の研究……少しくらいは、参考になるかも知れない」
「おお素晴らしい。この美しき肉体を作り上げる、我が力をもってすれば! 死んだ人間を、最後の審判など待たずして生き返らせる事が出来るであろう! いくらでも協力する。だ、だから命だけは」
「ごめん。お前の命には、用はないんだ」
 雛月は、またしてもカードを翻した。
 今度は『正義』である。右手に剣を、左手に天秤を持った女神。
 その女神が、カードの中で剣を振るった。
 男の、首から上が消え失せた。美しい肉体が、頭部のない屍と化す。
 カードの中の天秤が、大きく傾いていた。
 片方の皿に、先程まではなかった物体が載せられている。
 美しい、だが醜く恐怖に歪んだ表情の、生首である。
「お前の、脳みその中身だけ……研究させてもらうよ」
 天秤の片皿に載せられているものを、カードの中から取り出し、解剖し、調べ上げる。
 この男がしていた事と大して違わぬ、おぞましい作業になるだろう。
 だが今更、手を汚す事をためらってはいられない。
 死んだ人間を生き返らせる。それ自体が、この世で最も禍々しく悪しき行いであるのだから。
 大切な誰かを、生き返らせる。それが不可能であるならば……仇を討つ。
 いずれにせよ、血で汚れずにはいられない道となるだろう。
 カードの中。女神の持つ天秤は、邪悪の側に大きく傾いている。
 平衡を取り戻す事はないだろう、と雛月は思った。