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<東京怪談ノベル(シングル)>


凶器
「水嶋・琴美、参りました」
 背筋の伸びた女性が、整理の行き届いた一室で礼をした。
 黒く長い髪を背に流し、適度な緊張感のある表情は硬い。隊の制服がそのピンとした立ち姿によく似あっていた。
 琴美は特殊部隊の所属だ。特務統合機動課というのがその所属名である。活動は多岐に渡り、暗殺隠密の類が主な任務であるが、民間には存在が伏せられている者たちや、魑魅魍魎ですら殲滅する、殲滅戦すらもその任務である。
 十九という若さ、そして女性であるにも関わらず、彼女の高い能力は高い評価を周囲から得ていた。呼び出されたこの司令室の主はもちろん、これまでにこなしてきた任務の数々、その経験が彼女自身の自信にもなっている。
 緻密にして完璧、そして一切の傷を負わずに殲滅戦を勝利してきた自分自身の肉体こそが、その自信を堂々と裏付けていた。
「今回の任務だ」
 まだ四十代ほどの軍服の指令官は、す、と指先でテーブル上の写真を琴美に寄越した。彼女の白い指が、その写真を捉える。
「まだどこにも公表されてはいないが、ある国から密輸された化学兵器が、我が国のスパイとの売買に関わるとの情報を掴んだ。写真はそのスパイと接触する予定の武器商人だ」
 写真には、色黒の男が映っていた。琴美は三十台前半と推定した。服の上からでも、細見にしっかりとした筋肉をつけている。商人とは言え、本人にも戦闘力を備えていそうだと一見して思った。
「お前はその商人が行う予定の取引を阻止せよ」
「取引の場には、もちろんその取引相手や護衛もいるかと思いますが、そちらは?」
 写真を司令官へと戻し、次に提示された書類を琴美は取った。黒い瞳がその文字を追っていく。その姿に司令官は続けた。
「殲滅して構わん。商人の暗殺の妨げになるのは明白だ。それにだ」
「”我が国の治安を乱すわけにはいかん”――ですね」
 テーブルの上で指を組んだ司令官は、「そうだ」とひとつ頷いた。それは司令官の口癖だった。
「了解しました」
 背筋を伸ばしたままの敬礼は、実に彼女に映えた。


 彼女の獲物は特殊な短剣――忍者の扱うクナイと呼ばれるものだった。
 水嶋の家は代々忍者の血を引き継いできた。隠密が暗躍する世の中ではなくなった現代でも、その血と能力は間違いなく必要とされている。
 何も変わらないのだ、先祖らが守ってきた時代も、今の時代も。変わらずこの国は何かに脅かされ、自分たちのような隠密がそれを抹消する。
 影は影にしか消せない。その信念を纏うように、彼女は任務の際にはくの一の戦闘服を着用していた。
 袖を二の腕の半ばまで詰め、帯に獲物を忍ばせる。脚はやはり短く詰めたプリーツのスカートで、その下には身体の曲線が浮かぶスパッツで肌を覆っていた。編み上げのブーツ、そして手に馴染んだグローブと、これまでの任務を支えてきた装具たちだ。
「くの一殿のご出勤かい」
 同じ隊の男が、装束に身を包んだ琴美を見るなり、にやりと笑って言った。視線だけで返事をすると、長い髪を翻して彼女は闇へと消えた。


 取引の場所は廃工場だった。郊外で人の往来も少ない、しかも深夜だ。
 琴美はその廃工場に身を隠していた。女性は我慢強い。待機して相応の時間が経った頃、静かに、しかし大人数の男たちが廃工場へと侵入してきた。
 琴美は目を見張った。情報通りだ。場所も、時間も、取引相手も。
 やってきたのは武器商人の方だった。なるほど、客より早く現地へ赴いたらしい。商売する気はちゃんとあるようだ。
 護衛たちはどの者も武装している。もちろん取引の場であるから、携帯していると分かる程度のものではあるが。その護衛達と共に商人たちが相手を待ち、しばらくして――予定の時間より少しばかり遅れて――取引相手がやってきた。目つきの悪い、やせぎすの男だ。
「ブツは?」
「納入済です。トラックごと持ち帰りできます。金さえ確認させていただければキーを渡しましょう」
 眉を顰め、琴美は懐に忍ばせているクナイに手をかけた。
 狙うは取引の一番重要なシーン。つまり金の確認をする瞬間。その瞬間は辺りを警戒する護衛たちも、必ず金に集中する。
 やせぎすの取引相手が、手下らしき男に指示すると、手下はジェラルミン製らしきケースを取り出した。それをゆっくりと適当なドラム官に乗せ、鍵を外す。開かれたそのケースから、札束が見えた瞬間だった。
 突き刺さったクナイが、ジェラルミンケースに手をかけていた男の手に、深々と突き刺さった。
「ぐあっ!?」
 ケースが落ちる。札束がいくつも投げつけられたクナイによって、宙を舞った。
「なんだ!!?」
「侵入者!?」
 どちらが侵入者なのやら。この廃工場に不法侵入しているのは、そちらだろうに。琴美は心の中でそうつぶやくと、舞う札束の中に向けて、さらに手首を返した。紙ふぶきの中で、護衛のうち何人かが悲鳴をあげて絶命していく。
「お前ら……ッ!?」
 取り乱したやせぎすの男は、自らの、そして取引相手の護衛が次々と倒れ伏す音を聞いて、取り乱しはじめた。闖入者は誰だと紙ふぶきの中で視線を巡らせる。
 視界の中に、琴美は映らなかった。なぜなら背後を取った彼女は、やせぎすの男の首に飛びかかり、脚の力のみでその首をへし折っていたからだった。その姿の、舞う紙ふぶきも相まって美しいこと。その姿を見る者がもしいたとしたら、麗しさに絶句していただろう。
「おい、どうなって――」
 声は目印となった。クナイが紙ふぶきの合間を縫って護衛らを確実に仕留めていた。いくら肉体を鍛えようとも、急所への一撃が決まれば人の身体とはもろいものだ。
 札束がほぼ全て地に落ちた頃には、琴美と武器商人である男のみが立っている状況だった。
 恐らくは、この中で一番の手練れ。それは琴美も肌で感じていた。相手の商人は三十台の前半ほどだろうか。日頃から鍛えている身体だと一瞥して分かる。
「どこの所属だ?」
「…………」
「はは、話さんか」
 いいだろう、と商人はナイフを抜いた。ゲリラが使用していそうなコンバットナイフだ。ナイフ程度でも、相手の体格と技術でいくらでも獲物の性能は変わる。琴美もまた、応えるように小太刀を抜く。
 跳躍したのはほぼ同時、互いが距離を詰めて、刃渡りの短い短剣同士が鍔競合う。じんと手に伝わる痺れ。商人が口の端を上げた。
(優位に立ったとでも思っているの)
 その脇腹に、琴美の蹴りが入る。少々苦しそうな商人の呻きが転じて、反撃に足を掴まれる。琴美のブーツを履いた足が軽々と持ち上げられ、壁に向けて投げつけられる。
 が、商人は片眉をあげた。空中で優雅に回転すると、壁を蹴って逆に武器商人へと距離を詰めたのだ。忍びの動きそのままに、再び回転した身体が武器商人の肩に小太刀を突き刺し、同時に身体を床に叩きつけた。
「グッ!!」
「詰みよ」
 コンバットナイフを琴美が蹴り飛ばし、逃がさぬと馬乗りになった。
「……かっは、悪くない、眺めだ。強い女だな。工作員か?」
 琴美は喋らなかった。代わりに小太刀を引き抜くと、苦悶の声が響いたが、男はなおも続けた。
「だがな、化学の武器というものは肉体の鍛えなど簡単に打ち砕くぞ……」
 痛みを抑えるように男が息を吐く。この男が商人をしている理由は、そこにあるのだろうか。
 いいや、関係ない。
 琴美は、小太刀をもう一度、男に向けて振り上げたのだった。