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<東京怪談ノベル(シングル)>


嘆きの石姫3

「あの娘はまだ生きているのか」
 そんな言葉が電話口の向こうから聞こえてきた。
 受けているのはメイド姿の魔女である。
「忌々しい死に損ないが……。お前たちの方でなんとか始末をつけられないのか」
「……善処いたします」
 メイドは静かに言葉を返して、通話を終えた。
 その表情はあまり良くないように見える。
「人間という存在は、どうしてこんなにも薄汚い欲を押し出そうとするのか……」
 静かに、だがしっかりとした口調の言葉は、誰の耳にも届くことのない響きであった。
 この屋敷には、仕える主以外は、自分しかいない。
 寂しさゆえに歪んだ我儘を押し通す令嬢主に仕えて、すでに数年が経つ。
 長く居すぎた為なのかは解らないが、メイドは魔女本来の気質のようなものを失いつつあった。
 むしろ、人間らしい魔女と言うべきなのか。
 郊外に存在するこの古い洋館は、四方を森に囲まれ迂闊には外部の人間が近づくことが出来ない仕様になっている。
 その上、森のなかには幾人もの野生化された美少女たちが、野犬のごとく四つ這いで常に動き回っている。
 令嬢を守るための行動であった。
 そして、鉄で出来た荘厳な門の前に置かれているのは、ガーゴイルの像であった。
 イアルがその姿を変えられ、今や意識すらガーゴイルでしかない成れの果てである。
 令嬢はこのガーゴイル像をとても気に入っていたが、手入れなどをする気は全く無いようで、犬化した少女たちのマーキングの場にもなっており、悪臭が漂っていた。
「…………」
 メイドはそんな彼女の哀れな姿を、窓越しに確認した後、止めていた歩みを再開させる。
 彼女は自分の上司が寄越してきた供物の一つ。
 それくらいの感情しか抱かずにいたが、心の奥底でチリチリと何かが騒ぐ気がして、ゆるく首を振って溜息を零す。
「何処に行っていたの!」
「お嬢様」
 令嬢の部屋の前にたどり着き、扉を叩こうと右腕を上げた途端に、そんな声が飛んできた。
 メイドが僅かに驚いた表情を作り上げ、声の方向へと体を向ける。
 主はいつの間にか部屋を出て何処かへと行っていたようで、目を吊り上げて怒りの感情を露わにしていた。自分を探していたのだろうかと思い当たり、メイドはその場で頭を下げる。
「お呼びでございましたか。お電話の対応をしておりました、申し訳ございません」
「……電話? ああ、そう言えば叔父様がどうのとか言ってたわね……。今更、何の用なのかしら」
「…………」
 メイドは令嬢の言葉に応えることが出来なかった。
 始末しろ、と言われているからだ。
 一族から既に、存在しない者として扱われている自分の主。
 金が絡んだよくある話。それに巻き込まれてしまった哀れな少女。
 メイドであり一介の低属魔女でしかない自分には、踏み込めないものがある。そして、踏み込んではならないと上司からも言われている。随分前の話にはなるが。
 だからメイドは、静かに感情を噛み殺す。
 そして目の前の主をそっと宥めて、部屋に入るように促してやる。
「何か温かい飲み物をご用意いたします」
「甘いのがいいわ」
 令嬢はそんなメイドの言葉にすぐに返事をした。
 ある程度の機嫌の傾きは、修正されたようであった。
 二人の間には、目に見えない絆のようなものが、確かに存在しているのだ。

 未だにイアル奪還を実行出来ずにいる萌は、令嬢の屋敷に張り込む形で監視を続けていた。
 令嬢の素性から仕えるメイド、野犬化した美少女たちの人数や個々の性格の把握など、全て頭に叩き込めるほどの時間が過ぎ去ってしまった。
 時を、見極めにくい状況に陥っているのだ。
「全てが『悪』であったなら……」
 言い訳のような独り言が漏れる。
 萌は外から全てを観てきたために、令嬢の寂しさやメイドの葛藤などまで把握済みであった。
 我儘な少女は、ただ寂しいだけ。
 それを表に出すことは出来ずに、静かに一人で涙を流すだけ。
 先ほど、メイドの姿が見当たらないという理由だけで部屋を飛び出し、探しまわった後は泣きながらイアルの像の元へと掛けて行き「私を置いて、いなくなっちゃったの……?」と心の声を晒し出していた。
 ガーゴイルの像のままであるイアルは、当然それに応えることはなく、ただ静かに時が流れるだけ。
「…………」
 煮え切らない感情が内心で渦巻く。
 令嬢もメイドも、純粋に可哀想だと萌は思った。
 だから、手出しが出来ずにいる。
 任務中であるのだから、私情などは交えてはならないはずなのに。
 せめて彼女たちが、ただの悪であったなら。
 それだけの理由付けで現場に踏み込み、能力を駆使して捕縛もしくは始末などと言った行動が取れただろうに。
 そう改めて思って、彼女は俯いた。
 目的は魔女の本拠地の殲滅と制圧。
 たったそれだけの事が、現在実行できてはいない。
 自分はどうしたらいいのか。
 そんな悩みを思考としてグルグルと回していると、令嬢の部屋から異音が聞こえて、顔を上げる。
 何かが割れる音と、悲鳴だ。
「え……何が起こったの?」
 萌はそう言いながら、一飛で天井へと移動して様子を伺う。
『その娘はもう用済みだそうだ。始末しろ』
「……それは、承服、しかねます」
『お前にその権利はない。――娘を始末しろ!』
「っ、あ、あぁ……ッ」
 メイドの体がビクリッ、と大きく震えた。
 姿無き声と会話をした直後、意思を無視されたような印象を受けた。
 そして声は、あの黒衣の魔女のものだと萌は確信する。
 部下でしかないメイド魔女は、意識を絶たれて命令を実行するだけに動き出す。
「ちょっと、何をしているの!?」
 その声は令嬢のものであった。慌てたような声音だ。
 直後、廊下の窓が一斉に割れる音がする。
 そちらに視線をやれば、屋敷周辺にいたはずの犬化した美少女たちが窓の破片なども気にかけずに飛び込んできていていた。その中に、ガーゴイル姿のイアルもいた。像のままであったが、目が赤く光っている。
 明らかに、何者かに操られているという証拠でもあった。
「な、なによ、お前たち……なんで、私に向かってくるの……?」
「ウゥ……ッ」
「きゃぁ!!」
 一人が飛びかかってくる。令嬢は思わずに手にしていたままの自慢のカップを投げつけて、その場から駈け出した。自分の味方であったはずのメイドですら、今やこちらに向かってくる。
 この屋敷内で、誰も自分を救ってくれるものなのいない。
 ――誰も。
「ガアァッ!!」
「いやぁっ!」
 足の早い少女が令嬢を追い詰めた。足を掴んで廊下に派手に転ばせる。
 皮膚に食い込むほど足首を握り込まれた令嬢は、恐怖に震えて悲鳴を上げた。
 だがそれは、誰の耳にも届かない。
 野生化された美少女たちは、容赦なく主人であるはずの令嬢へと襲いかかる。
 このまま放っておけば、彼女の命が危うくなるかもしれない。そう思った萌は、自らが止めるしかないと背にあるブレードに手をかけた。
 その直後だ。
「いや、助けて!!」
 令嬢の叫び声が一層高く響いた。それに反応を見せた影があった。
 ガーゴイルの姿をした、イアルであった。
「……イアル……っ」
 萌の唇から思わずの声が漏れる。
 意識は無いはずであった。しかも今は、動けるだけの石像だ。
 その彼女が、令嬢を抱きしめて守りの姿勢を見せたのだ。
「っ、まずい……ッ!」
 萌は直後に壁を蹴り、彼女たちの中へと切り込んでいった。
 眼前で何かが激しく弾ける音がする。
 それは、令嬢を守ったガーゴイルが、無残に砕かれた音であった。
 宙に舞う大きな破片の向こうには、メイド魔女がまさに令嬢を手に掛ける寸前の光景があり、萌はそれだけでも食い止めなくてはと己の能力をフルに稼働させた。
 目にも留まらぬスピードで弧を描き、メイドの背後へと回り込んで、耳元でパンと手のひらを鳴らす。
 するとメイド魔女は色を失っていた瞳に光を宿して、弾かれたような表情を作り上げる。自分の意識を取り戻したようであった。
 それを気配のみで確認した萌は、そのまま自分の足を地にすらつけずの勢いで周囲の美少女たちを地へと沈ませる。息の根を止めたわけではなく、手刀で気絶させていったのだ。
 時間にすると、一分も要しなかったのではないかと思われる行動であった。
「……お前、は」
 そう言うのは、メイドである。
 おそらくは上司から何かしらの情報は得ているのだろう。萌を知っているかのような反応であった。
「まだ、彼女をどうにかするつもり? そうであるなら、私は貴女を止める。だけど、そのお嬢様は……所用で離れた貴女を探して、寂しいって泣いていたのよ。イアルの像のそばで」
「お嬢様……」
 令嬢は気を失って倒れていた。
 破かれた衣服と乱れた髪。メイドが傍に歩み寄り彼女の前髪を払ってやると、瞳の端から流れた涙に表情を崩す。指でそっとそれを拭ってやりながら、「申し訳ございません……」と小さく呟いた。
 メイド魔女は、令嬢にすっかり情が移っているようであった。先ほど、命令らしき言葉に背いたように聞こえたのは、その為だったのだと、萌は思う。
「お嬢様は本家からも厭われている。勝手なことを言うが、そちらで保護してもらえないだろうか」
「……貴女はどうするの?」
 萌の問いかけに、メイドは浅く笑うのみで答えなかった。
 その代わりに、彼女は足元でバラバラになってしまっているガーゴイル像を魔力で復元してみせた。
「イアル」
 萌はその像に駆け寄って、声を掛ける。
 イアルは今だガーゴイルの像であり、崩された形が戻されただけであった。だが、石化を解く方法であれば、萌も熟知している。だから焦りはない。
「お嬢様を、頼む」
「……ま、待って! 貴女も一緒に……っ」
 メイドは最後に微笑んで、その場から消えた。
 萌は腕を伸ばして彼女を止めようとしたが、それは出来なかった。
 魔女でありながら、一人の少女を守ろうとしたその姿勢。振り向きざまに見た、儚い表情から醸しだされる情愛を感じ取り、胸が苦しくなる。
 彼女が今後、どうなるかは萌には解らない。
 それでも、意思はきちんと受け取ろうと決意し、顔を上げた。
「こちら茂枝。件の洋館を殲滅、不明者数人とこの屋敷の主である少女、そしてイアルを保護致しました。迎えをお願いします」
 小型の通信機を通して、彼女はそう告げる。
 根本的なことはまだ解決に至ってはいない。ここで立ち止まることは出来ないのだ。
 静まり返った屋敷内の中で、ガーゴイル像のイアルを静かに撫でつつ、萌は今後の流れについての思案を黙したままで展開していた。