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Chase
ざわ、と木々がざわめいた。
それがあまり良いものではないと感じたフェイトは、作り物の髪を押さえつつ視線を上げる。
「!!」
宙を舞うものがあった。例のクリプティッドだろうか。動きが早くて目で追うのもやっとというほどだ。
だが、どこかで見たような、そんな気もする。
「フェイト!」
直ぐ側にいたクレイグが名を呼んだ。ほんの数秒、フェイトの意識は過去の記憶を巡った。
その僅かな隙に、宙を舞う『何か』がこちらへと移動してきたのだ。
銃を対象に向けるが、その動きは一瞬だけ遅く、残像のみが視界に残る。
マズイ、と思った次の瞬間、自分の体が地を離れたことに気がついた。
流れる景色は、数メートルほど後ろ。
何か起こったのか理解できずにいると、傍で知らない声がした。否、知ってはいるが正体の知れぬ相手の声であった。
「手荒ですまない」
「え……!?」
白金の毛並みが目に入る。
おおよそ、この場には不釣り合いなモノであった。
犬――違う、俗にいう人狼だとフェイトは咄嗟に判断した。
だが、それ以上を考える時間は与えられなかった。
「おい、ユウタ!」
「…………」
再びのクレイグの呼び声に、フェイトは応えることが出来なかった。
目の前の人狼に当て身をされたのだ。
そして彼は、その人狼に連れ去られてしまう。
ほぼ同時に、クリプティッドらしき影も移動を始めた。
反対側に飛んだその影を追うのは、クレイグだった。
個人的感情ではフェイトを優先させたかった。だが今は、あくまでも任務中なのだ。
僅かな舌打ちを空気の乗せながら、彼は未だ正体が明らかではない影を追跡するために、走り続けていた。
「……あれ」
意識がゆっくりと浮上した。
薄ぼんやりとした視界にあるのは、見覚えのない天井である。
「気がついたかい」
「!」
ビクリ、と体が震えた。
それでぼやけた意識も急激にクリアなものになり、自分の体がベッドの上で仰向けになっていると自覚して、視線を動かした。どこか知らない、ホテルの一室へと連れ込まれたようである。
その先にあったのは、バルトロメオの姿だ。
軽い混乱が脳内で起こった。
意識を失う前、動きの早い影を見た。その直後、自分の体は何者かに抱きかかえられた。
ヒトではないが二足歩行には変わらず、だが、到底ヒトには似つかない姿の……。
「人狼……あんた、なのか?」
「だとしたら、キミはどうするんだい」
バルトロメオは、フェイトの言葉に表情を変えずにそう返してきた。
幾度か見た、余裕の笑みであった。
そして彼は、大きなベッドの端に右の手のひらを押し当て、僅かに体重を掛けてみせる。
当然、スプリングが沈む音がした。
「……っ」
フェイトは女性の格好のままであったので、足先にある彼の手に条件反射が出てしまい、僅かに震えを生んだ。
それを見て笑うのは、バルトロメオだ。
「怯えているね。心配せずとも、無粋なことはしないよ。……ただひとつ、答えをもらおうか」
「な、何?」
「キミは先程の影を、知っているね?」
「!」
バルトロメオの問いに、フェイトは明らかに動揺して見せた。
咄嗟に平静を装うことすら出来なかった。
「……あんたは、あれに関係があるのか?」
『関わって』いるのか。
そういう意味合いの言葉を返す。
震えた声音に目を細めつつ、バルトロメオは「ふむ」と言って一度姿勢を正す。
そしてくるりと踵を返してから、腰を下ろしてきた。
フェイトはそんな彼の行動に、胸騒ぎを掻き立てる。足元が沈み込んで、思わず自分の足を曲げて距離を取った。
「キミは実に風変わりだ。でもとても……興味を惹かれる。不思議なものだ」
遠回しとも取れるバルトロメオ言葉に、フェイトはどう返事をしていいものかと思った。
否、そんな余裕すら無いようだ。
彼の中で膨れ上がる焦燥感と脈打つ鼓動は、何の信号なのだろうか。
「――ああ、そうだ。キミの持っていた銃、勝手で悪いとは思ったけれど、調べさせてもらったよ。登録番号がボクの知る組織のモノでね」
「ッ!」
緊張が走る。
フェイトは素直に瞠目して、身構えた。
目の前の存在は、やはり『そちら側』の人間なのか。
「改めて聞こう。キミはあの異形を、知っているね」
再びの問いにフェイトが唇を開くのは、それから数十秒経ってからであった。
通信機は、切られたままだ。
移動しながら何度か通信を試みたが、反応はない。
通信相手であるフェイトの意識が落ちたままか、それとも彼を連れ去った本人――バルトロメオが意図的に切ったか。
「くそ、あいつ……ユウタに何かしてたらタダじゃおかねぇぞ!」
素直な感情を吐露しつつ走っているのは、影を追い続けているクレイグであった。
目を逸らしてしまえば、一瞬で見失ってしまうような動きのそれに、既視感がある。
数ヶ月前に、とある大きな研究施設を制圧した。
その場にいた強化人間と、動きがよく似ていたのだ。
「……よろしくねぇな」
そのよく似たものは、おそらく出処は同じなのだろうと彼は思う。
被験体の身体能力を無理矢理に引き出す『筋肉強化剤』は、特定の組織が作り出したものだ。
「要するに……俺らが抑えたのはほんの一握りって事か」
ぼそりと独り言を吐いた後、クレイグは足を止めて腕を上げた。そして手にしたままであった拳銃を宙に向けて、躊躇いもなく撃つ。予めサイレンサーを装着していたので、発砲音は極々抑えられたものであった。
移動を続ける影が、建物の壁の向うに消える数秒前。
クレイグが放った銃弾はその端を微かに捕えて、消えた。
彼は目だけでそれを確認してから、小さな端末を取り出して画面に視線を移動させた。赤い小さな丸印が、点滅しつつ移動している。先ほど撃ったものは実は発信機であり、端末はその行方を追うもののようであった。
「――こちらナイトウォーカー。目的変更。ただのクリプティッド事件じゃなさそうだ」
耳に手をやりながら、通信を取る。宛先は本部なのだろう。
「発信機をつけてある。データも送信してあるから、場所の特定を頼みたい。……ああ、頼む」
それだけを伝えると、彼はまた通信回路を変更してフェイトへと繋ぎ直した。
「フェイト、応答しろ」
電子音はするが、やはり反応はない。
思わず、表情が歪んだ。
それを誤魔化すために、クレイグは懐から取り出した煙草を口に咥えて、火を灯す。
ゆっくりと息を吸い込んで、同じように紫煙を吐き零した。
「あー……、そういや俺たち、休暇中だったんだよなぁ」
脱力したかのように壁に背を預けて、そんな独り言を漏らすと、小さく自嘲する。
車で移動中に緊急任務の通信が入り、そのまま行動が任務へと移ってしまった。同行していたフェイトは女装して囮作戦を決行させて、そのままの格好で連れ去られた状態だ。
「…………」
クレイグはフェイトを連れ去った人物の変貌を、目の当たりにしていた。
自分と対峙していたはずのバルトロメオが、チラリと視線を僅かに動かした直後にはその場から姿を消していた。視る能力が高いクレイグであってもギリギリと言っていいほどの速さで、『彼』はその身を変容させていた。
――狼に。
「つーかありゃ、ライカンスロープだな」
ふぅ、と再び紫煙を吐き零しつつ、そう呟く。
一般的に『狼男』や『人狼』などと呼ばれ知られる存在。
最初は影と同じ部類かとも疑ったが、彼の動きには無駄がなかった。抵抗もなく動けるということは天性から来るものだと考えて、クレイグは益々眉根を寄せる。
味方なのか、それとも新たなる敵か。
まだ、判断をつけられない。
そこまでの思考に繋げた所で、耳元に電子音が走った。
「……っ、ユウタ?」
ジジ、と音がしたが、返答はない。
だが回線が生きていると判断したクレイグは、背を預けていた壁から離れて歩き出した。
そして先程とは別の端末を取り出して、画面を見る。
どうやら、それは通信機を通して居場所を特定出来るものらしい。
一つ、大きな通りを挟んだ先にある高級ホテル。
そこに、緑の光がチカチカと瞬いている。その点滅が動く様子はない。つまりは、その場に居続けているということだ。
まるで、ここまで来いと言われているかのような感覚であった。
フェイトから発したものか、それともバルトロメオがそうしたのかは解らないが、何となく後者だろうと当たりをつけてクレイグは走りだす。
「挑発かよ……くそっ」
そんな言葉が漏れた。
任務で個別に行動する事は茶飯事であったし、慣れている。私情を挟むことなど以ての外でもあったし、クレイグ自身も割り切れていると思っていた。
だが、実際。
今の現状は何なのだ、と心で呟いてみる。
フェイトが自分の隣に居ない。
たったそれだけの事で、こんなにもざわざわとする。心が酷く掻き乱されていると自覚する。
「おいおい……この俺が嫉妬かよ」
まるで誤魔化すかのようにして、独り言が漏れた。
恋愛経験など数多と積んできたはずなのに、ここに来て一人の存在に打ちのめされている。
それを再確認させられているような気がして、益々内心がざわついた。
フェイト本人にそれを自覚させられるのであれば、まだ良かったのだ。
そんなモヤモヤとした思考を繰り広げていると、目的のホテルに辿り着いていた。そして彼は躊躇いもなくドアマンが開く入り口をくぐり抜けてフロントへと駆け寄り、荒い息を吐きながらバルトロメオの名をカウンターの向こうにいる女性へと発した。
身なりの整った女性は「少々お待ちください」と言って取り次いでくれていた。内線を使い連絡を取ると、「23階、211号室へどうぞ」とエレベーターの方角へと手を差し伸べつつの返事をくれた。
軽い礼をしてクレイグは移動を再開させた。
いつもであれば、女性にウィンクの一つでも飛ばせたはずだったが、今日はそれが見られない。それほど、今の彼には余裕が無いのかもしれない。
高速で、かつ滑らかな動きをするエレベーターに乗って、数秒後。
目的の階に着いた彼は、号室の案内をチラリと見た後、矢印の先へと足早に進んだ。
211号室。その扉の前に立ち、クレイグは銃を片手に開いている方の手を上げ、室内にいる人物を呼ぶためのインターフォンを押す。アンティークゴールドのフレームの中心に添えられたボタン式のそれは、妙に重かった。
「――やぁ、やっと辿り着いたのかい。遅かったじゃないか」
数秒置いた後、開かれた扉の向こうからはそんな明るい声が響いてきた。
クレイグはその声の主の額に自分の銃口を静かに当てて、低い声を発する。
「フェイトを解放しろ」
「いきなり物騒すぎじゃないかい。……心配しなくとも、彼なら奥にいる。本来ならキミなど迎え入れたくもないのだが、事情が事情だ。入りたまえ」
「…………」
バルトロメオの言葉は半分くらいで耳に留めて、招かれた室内へと歩みを進めた。
ふわふわとした高級な絨毯が敷き詰められた足元は、妙に落ち着かない。そんなことを思いながら辿り着いた先には、フェイトの姿があった。
「……ナイト、来てくれたんだね」
「フェイト」
ベッドメイキングされた状態の上で座り込んでいる姿を見て、まずは安堵した。これが乱れでもしていたらとても穏やかな気持ちではいられなかっただろう。
おそらくは連れ去った当時が気を失っていた状態だったので、運んだ先がベッドの上だったという理由なのだろうが、どうにも納得がいかない。女装のままでもあったからだ。
歩みを進めて、フェイトの頬に触れる。
「どこも怪我してねぇな?」
「うん、大丈夫」
フェイトはいつもどおりであった。
若干、疲れているようにも見えたが、色々と起こった中であるしそれは理解の範疇でもある。
取り敢えずの無事を確認できたクレイグは、自分の身をフェイトに寄せて額に唇を寄せた。
フェイトはそれに驚いてはいたが、拒絶をせずに受け入れている。
「全くキミたちは、遠慮という言葉を知らないのかな」
やれやれと肩を竦めつつ、バルトロメオが背後でそう言った。
それに過剰反応して再び銃を向けようとするのは、クレイグだ。
だが、それを止めたのがフェイトであった。
「……フェイト?」
添えられた手に、クレイグは表情を歪めて名を呼んだ。
すると側に居るフェイトが緩く首を振る。
「ナイト、彼は味方だよ」
「何言ってやがる。こいつはお前を攫ったんだぞ」
「それでも、銃を向けたら駄目だ。彼は、バルトロメオさんは俺達と同じ……IO2なんだよ」
「はぁ?」
フェイトの言葉はクレイグにとっては予想外すぎる響きであった。
俄に信じがたい、という表情が浮かび上がっている。そして、思わず本音が唇から零れ落ちる。
「イタリアに支部なんかあったかよ?」
「やれやれ、キミはいつでも失礼な男だな。……まぁ、いいだろう。ボクは正真正銘、IO2のエージェントだ。ここにそれを証明する手帳もある」
バルトロメオが差し出したものは、本部から発行されている写真とバッジが一緒になっている手帳であった。所謂、警察手帳のようなものだ。もちろん、フェイトやクレイグにも支給されているものである。
それをまじまじと見て、クレイグは大きくため息を吐き零した。
どうやら、間違いなどでは無いらしい。
「……俺達は、ここで起こってるクリプティッド事件を追って来た。アンタの目的も同じなのか」
「そうなるのかな。どちらかと言うと本来は観光が目的でもあったんだがね」
「昼間に言ってた『旅行』ってのは、嘘じゃなかったってわけか……」
がしがし、と頭を掻きつつ言葉を続ける。
フェイトに近寄った際にベッドに腰を下ろしていたのだが、そこで姿勢も崩して背中が丸くなった。
ようやく、緊張の糸が解れたといった所か。
「取り敢えず、俺が追ってたアレは問題が有り過ぎる。本部にも既に連絡済みだし、アンタは……」
「ここまで踏み込んでしまったんだ。今更、無かったことにしてくれとは言わないでくれよ」
クレイグの言葉を制してきたバルトロメオの声音には、強い決意のようなものがあるように思えた。
巻き込まれたというよりは自分から飛び込んだのだ。何かしらのプライドがあるのかもしれない。
フェイトとクレイグは互いに顔を見合わせた。双方困り顔であったが、やはりどうしようもない。同じエージェントである限りは記憶操作も通用しないだろうし、それ以前に行動を起こす前に本人に阻止されてしまうだろう。
「気は進まねぇけど、協力体制を組むしか無さそうだな」
はぁ、とまた長い溜息を吐きつつ、クレイグはそう言った。
そして顔を上げると、バルトロメオもフェイトもこちらへと視線を向けてきた。
「そろそろ本部から折り返しの連絡が来るはずだ。まずはさっきの影の行き先を突き止めるのが優先事項だろうな。……簡単には行かねぇだろうけど」
「ふむ。なかなか深刻な内容のようだ」
続けてのクレイグの言葉にバルトロメオが反応したあと、通信機には本部からと思わしき伝達が届く。
クレイグとフェイトはそれぞれに耳に手をやり、新たな指示を受け止めるのだった。
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