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<東京怪談ノベル(シングル)>


晩夏の石絡


 都内某所で鍼灸院を営むセレシュは本日の予約患者が全員の施療を完了したが、鍼灸院のドアが開けられる気配に気づいた。
 セレシュに呼ばれていない「侵入者」は黒尽くめの男。
 晩夏なのに黒スーツに黒メガネ。
 セレシュはそっと、眼鏡に指をかける。
「私は害意は持ちません」
 両手を挙げて男は敵意がない事を告げる。
「わかっとる。IO2がウチに何の用や」
 こっそり息をついてセレシュは本題を促した。

 IO2職員がテーブルに広げた地図は都内でオフィスの多い地域。
「この辺りに隠匿もせずに吸血している者がいます。こちらも追っていたのですが、霧に化けられて逃げられました」
 セレシュに依頼した理由は彼女の能力との相性を考えての事と職員は言う。
「穏便に済ませられるとええなぁ」
 IO2の依頼を承った事をセレシュが告げ、職員はお願いしますと一礼した。

 該当の地域は昼間はそれなりに賑わいがあるとはいえ、夜は随分静かで人通りが極端に少なくなる。
 事件現場は複数の人目に触れる可能性がより低くなり、街灯も少なく、暗がりも多いので防犯上、避ける人間も増えてくる。
「……絶好の狩場へと循環しとるんやな……」
 追い込み場所は公園と決めた。
 後は吸血鬼が現れるのを待つだけ。
 見回りの警官に声をかけられて、適当にやり過ごしたら、夜は深くなっていった。

 
 短い男の悲鳴が聞こえ、セレシュは駆け出した。
 眼前には会社帰りだろう男がしりもちをつき、少女に馬乗りに乗られていた。
「そこまでや」
 セレシュの声に反応した少女は顔をあげて、腰まではあろう銀の髪を長い爪で後ろへ払う。
 吸血鬼はそのまま男から降りてセレシュの方へと向かった。
(「食いついた」)
 男はセレシュに気づいていないところから、気絶したと思われる。
 仕事が終わるまでそのまま眠ってほしいと彼女は祈るばかり。
 目的の公園まで一気に駆け込むと、吸血鬼も公園へ飛び込む。
 街灯に姿を晒された吸血鬼はセレシュの外見と似た様な年頃であるが、人ならざる者ゆえ、実年齢はわからない。
 どす黒い血の色の瞳は久々の若い娘の血にありつけるとばかりに爛々と輝いていた。
「さて、あんたはやりすぎた。大人しく縛につけば痛い目合わせへん」
 セレシュとて、乱暴ごとより、穏便に済ませる方がいい。余計な労働は不必要だ。
 吸血鬼は応じようとせず、喋れないのか、嘲笑するようなニュアンスの笑みを浮かべてセレシュの間合に入っていく。
 突き出された手はセレシュの首を掴もうとしたが、黄金色に本能的危機を感じて手を引っ込めた。
「これ以上のおいたあかんで」
 厳しい声音でセレシュは黄金色の剣を振る。
 吸血鬼はセレシュが持つ剣で長い爪が折られていたことに気づくなり、嘲笑のような笑みが消えた。
 餌に牙をむかれ、吸血鬼は苛立ちを隠す気はない模様。
 甲高い悲鳴のような声を上げて吸血鬼がセレシュへ駆け出す。セレシュは仕方ないと腹を決めた瞬間、吸血鬼の姿が揺らめく。
 音もなく手指から霧へと変えて行く。
 その動作は早く、セレシュが気配を計り、振り向いた。
 吸血鬼は霧へ変化し、セレシュの背後を取ろうとしたが、セレシュは見越して眼鏡を外した。
 セレシュが装飾品を外しただけと思いこんでいる吸血鬼はそのまま右手を獲物へ向けるも、セレシュはそのまま手をはねのけて弾きとばした。
 威嚇するように叫び声をあげる吸血鬼が履いている赤いヒールの先が青みがかった灰色へと変わっていく。
 苛立っている吸血鬼は足が重くなっている事に気づかず、躍起となる。
 吸血鬼の足が人体や被服を形成する物質自体が変化していた。
 青灰色の石へ。
 吸血鬼がようやっと気づいたのはふくらはぎより下が動かなくなってきてから。
 足の自由を奪われ、吸血鬼は転倒してしまう。
 呻き声を上げて立ち上がろうとしても足が動かない事に気づく。
 視界に入ったのは石と化している自身の足。
 信じられないとばかりに指先を触れたが、自身の体が変化している事を思い知らされる。
 驚き混じりの悲鳴は声とならず、空気を切る。
 慌てた吸血鬼を気にすることもなく、石化は尚も吸血鬼を浸食していく。
 身じろぎをすると、石が押し割れるような音がした。
 恐る恐るその方向へ吸血鬼が視線を向けると、スカートの裾が石化して割れてしまっている。
 転んだ際にスカートが乱れているのではないかと、慌ててまだ動く上半身で下着を隠そうとする。
「暴れるんやないで。薄いスカートなんかは割れやすいからな。霧に化けるのもナシやで。四肢がちぎれる」
 静かに忠告するセレシュを見上げた吸血鬼は補食者の表情ではなくなっていく。
 石化は進んでいき、腹まで進んでいる。
 吸血鬼は苦しそうに息を大きく吐いた。身を捩ることも侭ならなくなり、腹までが石となったおかげで均衡を崩す。
 地に身を打ちつけた吸血鬼の服は胸まで石化が進み、ブラウスが衝撃に耐えれずに割れてしまう。
 ブラウスが砕けて胸の谷間が覗かせる。
 白い胸が晒されたのも束の間、服の破片より胸の石化を始めていき、吸血鬼は引きつったような悲鳴を上げた。
 石化の恐怖に晒される中、吸血鬼は晩夏の生ぬるい風に遊ばれるセレシュの金色の髪を見て、その本性を本能で勘付く。
 肩が石化しているが、肘から先はまだ動けた。
 それでも生への執着なのか、吸血鬼はゆっくり手を伸ばすも、石化は容赦なく侵食していく。

「……あ……ああぁ……っ」

 指まで石へと変わり、か細い絶望の悲鳴を上げていたが、声帯すらも石へと変わり途中で切れた。
 滑らかな白い肌が石の色へと変わり、頭の天辺まで変わっていき、もう動く事はない。
 吸血鬼が石化完了するまでセレシュは観察しており、全てが石となると、ようやく動き出した。
 石となった吸血鬼だが、しっかり石化できなかった場合、動き出す可能性がある。
 先ほどセレシュが警告した通り、身体が壊れるからだ。
 セレシュが細い指で吸血鬼の指先に触れ、そのまま滑らせて頬を、目元をなぞる。目の瞳孔は石の模様のようになぞられて固まっていた。
 頬を伝い、大きく口を開いた奥に鋭い牙がある。
 頭から離れ、胴体の確認をする。
 数分前までは柔らかかっただろう胸は冷たく硬くなっており、服の上から細く、くびれのある腰を触れるもブラウスの皺が繊細に波打って静止していた。
 吸血鬼が転倒した際、スカートが捲れてしまい、太ももまで顕になってしまっているが、下着までは見えていない。
「転んだ時、気にしとったし、安心やろ」
 してはいけないことをしたが、下着が見える状態での引き渡しは少し可哀想とセレシュは思案する。
 膝が曲がっている状態で転倒したので、割れてないか確認したが擦り傷のような痕があった。
「これはしゃぁないな……」
 次に下に視線を降ろし、滑らかな曲線を描くふくらはぎや臑も特に壊れてはいない。
 足首から下も特に異常なしで、石化も抜かりはない。
 現場の仕事は抜かりない……が。
 ある事に気づいたセレシュは一瞬、思考を硬直させる。
 この話を持ってきた職員の連絡先を聞き忘れた。
「ま、ええわ」
 セレシュは携帯を取り出し、知人の職員の番号を呼び出した。
「あ、お疲れさん。賑やかしいようやけど、今ヒマ?」
 のんびりとしたセレシュの声が夜空に響いた。


 終