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<東京怪談ノベル(シングル)>


question



 護衛対象が観覧車に並ぶのを見届けて琴美はそちらへと足を向けた。
 人々の喧噪が届くほどの距離。街灯と街灯の間にぽっかりと出来た暗がりを数本の木々が更に濃くしている場所で、男は得物を手に琴美を待っていた。深緑のポロシャツにジーンズの裾を黒のロングブーツの中に押し込んだ男は闇の中にとけ込むように存在を曖昧にして佇む。
「いやあ、慣れない事はするもんじゃないね。やられまくりだ」
 舌を出し肩を竦めてみせる男の笑った顔は琴美より幼くさえ見えた。いや、琴美の方が大人びて見えるせいだろうか。琴美の和服のように合わせられた胸元から覗く豊満な双丘に漂う色香は十二分に大人の女性を匂わせていた。
「やろうよ」
 男は満面の笑顔で琴美を促す。
 琴美とてそのつもりだ。ミニのプリーツスカートの裾をあげ太腿に巻き付けたホルダーからクナイを取り妖艶な笑みと共に。
「勿論ですわ」



 ▼▼▼



 パンフレットを見ながら琴美は腕に巻かれた時計を確認した。アナログの秒針が時を刻んでいる。ジェットコースターの所要時間は4分余り。ならば2分程度この場を離れても大丈夫だろう、そう判断して立っていた木の枝を蹴る。近くから放たれている殺気は今もなお琴美を捕らえて離さない。にも拘わらず仕掛けてくる気配もまた、ない。
 木々を挟んだすぐ向こうに雑踏を聞きながら琴美はその芝生の上で足を止めた。
「ご用ですか?」
 声をかけた大木の向こうから1人の若い男がゆっくりと顔を出す。
「会うのは…初めてかな?」
 ジーンズのポケットに両手をつっこんだまま、男は柔らかい笑みを琴美に向けた。いつの間にか殺気は消えている。いや殺気だけではない。目に見えてそこにいるのに、その気配すらなくなっていた。
 琴美は口を開くでもなく男を見据えた。少しでも視線を外せば見失いそうだった。果たして本当に彼は目の前にいるのか。
「初めてお目にかかる。お噂はかねがね」
 男は恭しく一礼してみせた。気配を持たぬ彼は…同業者。現存する忍者という意味で。



 ▽



「護衛…ですか?」
 琴美は少し驚いたようにその言葉を返した。
「ああ。通常ならSPやSSが動く所なのだが、今回は少々厄介でな…」
 某国大使が家族を連れ日本に訪れたのは2週間前の事だ。明朝行われる調印式が済めば帰国となる。その最後の夜となる今日、大使の子供らがナイトパークに遊びに行きたいと言い出した。まさか夜の遊園地にぞろぞろと護衛を連れて行くわけにもいかず、かといって今から貸し切りにする事も出来ず、極秘裏に子供らを護衛する必要が生じたのだ。

「そこで、水嶋が適任と判断された」
「了解しました」



 △



 彼がおもむろに引鉄を引いた。サイレンサー付きのそれが風切り音だけを発する。琴美は流れるような所作で太腿のホルダーからクナイを取り出し胸元に構えた。金属がぶつかり合う音と共に強い衝撃がクナイを握る右手とそれを支える左手に伝いくる。
 彼は無言で銃口を別の方へと向けた。琴美がクナイを投げたのと彼が再び引鉄を引いたのは果たしてどちらが先だったか。再び甲高い音。弾かれたクナイは地面に落ち、クナイで軌道を変えられた弾は近くの木を抉った。
「大体、わかった」
 彼はそう言って銃を下ろす。
「では、ゲームを始めるとしよう」
 琴美の護衛対象である子どもらを彼は誘拐するという。その子供らを人質に調印を阻止したい反対派の依頼を受けたのだそうだ。ナイトーパークの閉園までに子供を拉致するという誘拐ゲーム。
 彼の背で夕日が地平線に消え、押し寄せる夜と共に彼は音もなく姿を消した。
 そこでようやく琴美は張りつめていた緊張を解くように息を吐く。
「厄介な相手ですわね」
 もし琴美が弾をかわしていたらその弾道の先にいた家族に当たっていただろう。琴美がクナイを投げなければその先にいた女の子達のグループは悲鳴をあげることになっていただろう。
 彼は“それ”を確認したのだ。
 単純な戦闘力における差を埋める最も容易な手段とは、決して貫く事の出来ない盾を用意する事だ。それは矛盾となるか? だが、間違いなく効果的だった。家族連れという盾。友達連れという盾。「大体わかった」とはそういう事だ。
 だが、琴美にも付け入る隙は2つある。
 1つ目。彼は気配を消す事に長けゴーストと畏れられるほどの実力者だが、暗殺専門だ。それが生け捕り必須の誘拐の依頼を受けた事。そして2つ目。琴美はその木に手を伸ばした。木に食い込む弾。この口径では人を傷つける事は出来ても致命傷にはなり得なかった。


 ちょうど子供らの乗っていたジェットコースターが乗降口に戻ってきたのを目視で確認する。時計の針は6時12分を少し回ったところ。閉園時間は10時。残り228分。
 電子ゴーグルを装着。視界に緑色の輝線。映し出された3Dマップに護衛対象が赤く点灯している。対象を視界に収めながら琴美は音もなく動いた。
 遊園地などでの誘拐でプロが多く使う手口といえば、ターゲットを髪の長い女の子と定め、トイレで髪を切り男児用の服を着せぐずる子どもを連れ出すように、或いは眠った子を抱き抱えるようにして園を出るというもの。探しているのは髪の長い女児。故に短髪の男児は殆ど確認される事なく連れ去る事が出来るという具合だ。つまり、誘拐で最もポイントとなるのはその運び出す手段にある。今回の場合18歳と15歳の金髪の少年。サイズから言っても目立たず連れ去るには限度がある。
 と考えるなら拉致出来る場所はそう多くはない。少なくとも、建物内にないコーヒーカップや人の多い通りなどで犯行が行われる事はない。勿論、園内の客やキャストら全員を人質にとるような強硬手段に訴えてくるというなら話は別だが、彼が琴美に接触してきたことを鑑みてもそれはないだろう。
 外周に面しているか或いは排水路などのマンホールがあり、スムーズに搬出出来そうなアトラクションは3つ。対象がそれらのアトラクションを楽しまない可能性も当然ある。恐らくは、それらも含めてゲームなのだ。

 程なく一つ目。ミラーハウス。
 鏡の迷路にてマジックミラーの裏側で客の様子を確認しているスタッフに紛れ、子供らが迷路を楽しむの見守っていたが、彼の罠でスタッフエリアのいる内側から“外側”の迷路に出され危うく客たちの目にとまりそうになる。内から外への一方通行の扉に慌てたが、扉を出される直前に彼に気づいて投げていたクナイの回収用ワイヤーによって紙一重で難を逃れた。
 その後、対象外と予測していたレストランでの停電騒ぎを何とか切り抜けたがこれにより、彼が子供らを外に連れ出す方法を考えていない、いや、明朝の調印式まで捕らえていればいいのだから潜伏先を遊園地のどこかに設定してもいいと考えている事に気づいて、拉致出来る場所の予測範囲を広げる。
 それからいくつかの攻防を経て時間は9時38分。近づく閉園に子供らは最後に観覧車を選んだ。――待ち時間5分。所要時間15分。
 そして琴美は彼に誘われるままに踵を返した。

「やろうよ」
「勿論ですわ」



 ▲▲▲



「たまには動かないと鈍ってしまうからね」
 無邪気な笑顔で楽しげにぴょんぴょんと跳ねながら彼は鎖鎌を構えた。
「悪いけど、銃弾を見切る反射神経とスピードを持ってる相手に近づくつもりはなーい」
 鎖の先の分銅をぐるぐると回していたかと思うと琴美めがけて投げつける。彼ののんびりとした物言い同様にゆっくりと弧を描きながら放たれたそれを、琴美はどこか拍子抜けした気分でかわしながらクナイを投げた。勿論、彼に向けて、ではない。元々クナイは農具だ。土を掘り足場を作る。木に刺さったクナイを足場にして琴美は高く飛んだ。分銅と入れ違いで投げられた鎌が琴美の首を切り落とし損ねる。代わりに琴美の帯を掠めたのは、彼女がその鎌を背面跳びのようにかわしたからだ。
 琴美は右手を引いた。
 クナイを物理的に所持出来る数には限りがある。その場にクナイを残して立ち去る事は回収して去るよりも面倒が多い。速やかに回収出来るよう付けられたワイヤーが足場に使ったクナイを引き抜き、鎖鎌の鎖に絡みつく。
 琴美の着地。スカートの裾がふわりと跳ねて、月明かりの下、スパッツと膝まであるロングブーツとの間にある絶対領域を艶めかしく覗かせる。
 とはいえ、そんなものに見とれるべくもなく彼はクナイの軌道に慌てて鎖を引いたが間に合わず、ガシャリとぶつかり合う音と共に鎖とワイヤーの間にそれらはぶら下がる。
「ちっ…」
 彼の舌打ち。
 2歩ほどの距離に対面する2人。琴美が間髪入れずワイヤーを手繰るようにして間合いを詰める。後方に退くかと思われた彼が鎖を引いて前に出た。
 琴美の流れるような回し蹴り。柔らかい筋肉に覆われた脚をムチのようにしならせて彼のボディを急襲する。だが、武具を使った戦闘に於いても蹴術は大きなウェイトを占めた。読んでいたように琴美の蹴りを腕でブロックしてみせる彼に琴美は連撃へ、勢いを殺すこともなく、スカートを舞わせまるでアイススケーターのような見事な回転で彼の頸動脈を狙う。
 キーン!
 甲高い音が月明かりを一瞬妖しく跳ね返した。
 琴美のクナイを弾いたのは彼が右手に掲げた忍者刀。やはり仕込んでいたか。琴美が刀の峰を蹴ってバク転で退き間合いをとる。
 いつの間に息が切れていたのか胸元を大きく上下させている自分に琴美は内心で驚いた。だが黒のショートスリーブのインナーが汗に濡れているのを不快には感じなかった。彼は気配を絶つのが得意なのではない。気配を操るのが得意なのだ。これ以上ないプレッシャーを感じながら琴美は胸が高鳴るのを感じていた。大量のアドレナリン。高揚感が自分を包み自然口の端があがる。
 恐らく単純な戦闘力は琴美の方が圧倒しているだろう。それを埋める畏気と状況によって作られた緊張感が琴美を飲み込んでいる――彼は間違いなく強い。
「いやぁ、怖い、怖い」
 微塵もそんな風には思っていない態で彼は刃渡り40cmほどのそれの峰で肩を叩いてみせた。そして鎖鎌を放り出す。
「結構、練度を上げたつもりだったんだけどなぁ。適わないどころかあっという間に落とされちゃったや」
 舌を出す彼に琴美はゆっくり息を吐く。どこまでが本気でどこまでが虚栄なのか。とにもかくにも鎖鎌は彼の得物ではなかったらしい。こちらがそうか。
 彼が忍者刀を逆手に構える。今度は彼の方が先に動いた。反射的に一歩退き左手のクナイを投げると右手のクナイで忍者刀を受け止める。投げたクナイは彼の左足のブーツを掠めただけか。
 力を逃がすように更に退って琴美は間合いをとろうと試みる。右へ左へ八の字を描くように仕掛けてくる刀をクナイで捌きながら琴美は防戦一方で円を描くように後退した。
 単調な攻撃はわざとなのか誘っているのか。
 ワイヤーで左手の落ちたクナイを巻き上げる。右手のクナイで彼の攻撃を捌きながら自らの体も後ろへ倒すと、手の中に戻ってきた左手のクナイを地面に突き刺した。それを支点に彼の足を凪ぐようにローキック。反射的に避けようとジャンプした彼に向けて右手のクナイを投げる。
 刀で弾かれるのは計算の上で琴美は右手を引いた。クナイが軌道を変える。
「!?」
 巻き付いたのは彼の左腕。彼がワイヤーを切ろうと刀を引く。さすがの切れ味と賞賛すべきか。だが、そこに出来た隙をつくように刀を持つ右肩に上段蹴り。振り上げて下ろしたかかと落としを紙一重でかわされるが、下ろした足を軸に回し蹴る。
 狙ったのは刀の峰。
「くっ……」
 彼の手から刀が落ちるのと琴美が更に踏み込みホルダーから3本目のクナイを取って右手に握り込んだのはどちらが先か。
 だが、飛ばされた刀を目で追うことなく彼は何の躊躇もなく一歩踏み出し琴美の一閃を腕で受け止めてみせた。
 血が赤く滲む。
 一瞬、面食らったのは琴美の方。左手首を捕まれ捻られるのを側転でかわし仰向けに着地。地面を蹴って彼の後頭部を狙う牽制に彼は手を離して落ちた刀を蹴りあげる。
 腕に刺さったクナイを抜くでなく。
 彼が刀を握ったのと琴美が間合いを詰めたのはほぼ同時だった。
 クナイと刀の再びの邂逅。
 刃をクナイが滑る。
 忍者刀に鍔はない。
 察して彼が琴美を押しきろうとする。そのタイミングを計って琴美は力を抜いた。
 バランスを崩した彼が踏鞴を踏む。
 そこに琴美の足払いが決まった。
 その時だ。
 傾ぐ彼に追撃をせず、琴美は反射的に右手を“そちら”へ伸ばした。ノースリーブに剥き出しになっていた白い前腕に鋭い痛みと小さな赤い染み。それを無視して身構える琴美に、だが。
 彼は体勢を立て直す素振りもなく。
「参った。降参だ」
 転がったまま両手を上げた。
「どういう事かしら?」
 琴美が彼を睨み下ろす。
「ちゃんと周囲が見えてる。その上でこれだ。俺に勝ちはないだろ?」
 琴美が手を伸ばさなければ、吹き矢の矢は後方の木陰で夜陰に忍んでいたカップルに当たっていただろう。そちらを優先して尚、彼と互角だった。いや。
「もう1刀。2刀使われていたらどうだったかわかりません」
 琴美は正直に言った。彼は二刀流だ。だが、一振りで戦っていた。
「それを見越して潰したくせに」
 彼は頬を膨らませる。彼の視線がそちらへ向いた。クナイが掠っただけの左のブーツへ。
「あー、楽しかった。俺の完敗だよ」
 彼が屈託なく笑った。
「……」
 こんな結末を想定していなくて琴美は困ったように彼を見下ろした。
 琴美の目の奥に何かを読みとってか彼が脱力する。
「あれ? 何だよ、ターゲットは俺の方か」



 ▼


「…というのは表向きの話でな。護衛対象は誘拐される。その実行犯がこの男だ」
 そうして上官は一枚の紙を差し出した。
「決して存在を悟らせないという男が、どういう風の吹き回しか、表に顔を出してくれるという。このチャンスを逃す手はない」


 ▲



「いいよ、やりなよ」
 彼は両手を広げ大の字に寝ころびながら言った。まるで隙だらけの本気の言葉だ。運命を受け入れている満足げな顔だ。
「何故笑うのです?」
 思わず琴美は聞いていた。
「殺される覚悟をもって殺してきたからね」
 無邪気に笑う。
「……」
「だけど、君もいつか殺されるんだろう?」
 それが因果応報というものだ。
「あ、そうだ。その矢に毒は塗ってない」

 ――知っている。最初から誰も巻き添えにする気などなかったこと。

 何故彼の気配を感じないのだろう。
 目の前にちゃんと見えているのに。
 どうしてこれほどまでに手応えを感じないのだろう。

 ――ああ、そうか。貴方が優しいから、ですね。






 子供らが遊園地を出、護衛の者達の迎えの車に乗り込むのを見届けて琴美はイヤホンマイクの回線を開いた。
「任務、完了しました」





 ■END■