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<東京怪談ノベル(シングル)>


―流されて夢の島・3(Survive Ver.)―

 知らぬうちに幻獣の姿となり、見知らぬ土地へと放り出された少女・海原みなも。彼女は今、思わぬ強敵に遭遇し、狼狽していた。
(こんな大猿、爪で追い払えば……でも待って? もし人間だったら? もし殺してしまったら……?)
 眼前の相手が本当に野獣なのか、それとも人間が変化した姿なのか。それを図りあぐねている今、無暗に攻撃は出来ない。
(ううん、迷っている暇は無い筈。そうよ、殺さない程度に脅かせば良いだけじゃない!)
 それは分かっていた。しかし相手の正体も力量も分からず、動揺している今の彼女に、そのような器用な真似は出来なかった。
(逃げよう! この世界がゲームの中なのか、本物の異世界なのかがハッキリするまでは、迂闊に相手を傷つけられない!)
 今の彼女にとって、それが最良の解決策だった。無論、目の前の大猿とて倒せぬ相手ではない。キャラ設定上、人語を操らない種族もあるのかも知れない……そう思っていた。彼女は未だ、自分の置かれた状況が『ゲーム内のヴァーチャル空間』である可能性を捨て切れずにいたのだ。
(木の上……相手は猿よ、追い詰められたらお終い。後退……背中を見せるのは危険。ならば……)
 大技を繰り出す振りをして威嚇し、その隙を見て正面突破。これしかない。みなもが扮する幻獣『ラミア』は体技を以て相手を攻撃するタイプのキャラ設定。幻術で相手を惑わせたり、呪術で攻撃したりと云ったスキルは持ち合わせていない。具体的には、クローを振りかざして相手にダメージを与えるしか攻撃の手段が無い。戦術バリエーションが余りに少ないのだ。依って、威嚇の手段も自ずと限定されて来る。
「やあぁぁぁ!!」
『グルッ!!』
 大猿の目の前で、最大限まで伸ばしたクローを振りかざす。相手がこれに恐怖すれば威嚇は成功する……が、自身も似たような攻撃手段を持つ故に、それを見切る事は容易であったのだろう。みなもは相手の脇をすり抜け、逃亡を図ろうとしたが、威嚇の通用しなかった大猿に捕獲され、その自由を奪われていた。
「しまっ……!!」
 その短い叫びすら、発する暇は無かった。幻獣とはいえ女性の体を模した華奢な造形、野生の大猿が持つ巨大な手と太い腕が発揮する力に耐えうる事は出来なかったようだ。
「ああぁぁぁぁぁ!!」
 その細い腕は、大猿の握力のみで骨格に深刻なダメージを与えられていた。まだ折れてはいない、しかし既にメリメリと音を立てている。そのダメージは殴打による負傷の比ではない。みなもは激痛により、意識を手放しそうになってしまった。
(この、馬鹿力……! 此処まで傷めつけられたら、手段は選べない! 悪いけどアナタにも、痛い目を見て貰うからね!!)
 左上腕部を掴まれたまま、みなもは至近距離からクローで大猿を斬りつけた。その切れ味は鋭利な刀剣類のそれに匹敵する。しかし剃刀のように薄い刃ではない為、相手を『抉る』感じでダメージを与える形となる。依って傷口は大きくなり、回復にも時間を要する。そして何より、想像以上の激痛を相手に与える事が出来るのだ。
『オアアァァァァァ!!』
 顔面から胸部に至るまでの広範囲を抉られた大猿は、堪らず退散していった。このバトルはみなもの辛勝……と云いたい処であるが、彼女のダメージもかなり深刻だ。これが試合であるなら軍配はみなもに上がっただろうが、生存を賭けた真剣勝負にはジャッジなど存在しない。極論すれば、生き残った方が勝者なのだ。
(腕が動かない……治るのに、時間かかるだろうな……)
 恐らくは骨に亀裂が入っており、悪くすれば折れているかも知れない。左腕に相当なダメージを受けた事は確実だった。こういう場合のセオリーとしては、添え木をして患部を固定し、絶対に動かさないようにする事が第一となる。
(本当にサバイバルだよ。大怪我したのに、お医者さんも居ないよ……)
 助けを請いたい、誰かに縋りたい。しかし、それは今の彼女には許されなかった。この異空間に放り出されて28日。一か月が経過しようとしているのに、他のプレイヤーとの邂逅は一切ない。そして、先刻の命がけのバトルだ。これはみなもにとって、『絶望』という二文字を深く心に刻み付ける要因となった。そして彼女は認めざるを得なかった。此処はゲームの中ではない、本物の異世界であるのだという事を。 

***

 一時はその機能を完全に喪失するかに思えた左腕は、驚くべきスピードで治癒していった。人間であれば、全治1か月は下らない重傷だったにも拘らず、僅か5日で全快してしまったのだ。
(やっぱり、あたしは人間じゃなくなっちゃったんだ……このままラミアとして生きていくんだ……)
 話し相手もおらず、ひたすら糧を求めて彷徨い歩き、孤独と戦う日々。外敵に遭遇すると、思わず嬉しくなってしまう。退屈と云う最大のストレスから、一時的にではあるが解放されるからだ。
(戦う事が楽しいと感じるなんて、もう末期症状だね。あの時の怪我だって……治りはしたけど、こんなオマケが付いたよ)
 大猿との戦いで負傷した左腕は、骨が強化されて太くなり、筋肉も発達した。おまけに皮膚までが頑強になり、表面保護の為か鱗が生えた。他にもダメージを受ければ、その部分の皮膚が強化されて鱗に覆われていく。その範囲は次第に拡散していき、今では碗部の殆どと背面部全体が鱗で覆われている。が、その機能上の問題からか、指先と掌に鱗は生えなかった。
(そのうち、全身が鎧のように鱗で覆われちゃうのかな。顔も覆われて、誰だか分らなくなっちゃうのかもね)
 防御力は確実にアップしている。戦闘力自体も、獲物の捕獲や獣との戦闘で鍛えられ、強化されていった。しかし、内面……心だけは元のまま。人間としての記憶が残っている限り、野生化してしまう事は無いだろう。だが、それが却って悲しみを煽っていた。
 生き残る……それが最大の課題である事に変わりはない。しかし、生き延びてどうする? 友達も無く、ただ獲物を捕食して眠るだけの毎日に、楽しみなどあるのか? みなもは次第に、そんな事を考えるようになっていった。
(お願いだよ……誰か嘘だと言って! こんな世界、ありえないよ……あたしはごく普通の中学生、海原みなもなんだよ……)
 せめて、人語を解する他のキャラでも居れば、これほど悲嘆する事も無かっただろう。しかし、今の彼女は『孤独』という、見えない敵と戦う事を余儀なくされているのだ。
 ふと目をやると、蜂の巣がある事に気付く。身を起こし、手を伸ばせば手が届く距離だ。普通ならばそれを見た瞬間、危険を感じて遠ざかるだろう。だが、今の彼女はそれに怯える事は無く、ひっきりなしに出入りするその主を観察している有様だ。
 時々、蜂が威嚇のために彼女に近付き、攻撃を仕掛けてくる。しかし鱗で覆われた皮膚に蜂の針などが通る筈もなく、たかる蠅を追うように素手で払い除けても、まったくダメージを受けないのだ。
(化け物だね……こんなの、あたしじゃない……あたしじゃないよ)
 その頬に、涙が伝う。化け物の体に、人間の心を持つ存在。それが今のあたしなんだなぁ……そう考えると悲しみがこみ上げてくるのだ。
(もうモンスターでも、何でもいいよ……人語の分かる相手に会いたいよ……)
 それが今の彼女の、切なる願いであった。 

<了>