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<東京怪談ノベル(シングル)>


―『個人』と『組織』・1―

 化学兵器の闇取引を阻止し、且つ密輸団の統領を消せ……今回の任務を簡潔に言い表せば、そう云う事であった。
「どうした、君になら充分、遂行可能な依頼だろう?」
「出来ない、とは申し上げておりません。ただ……」
 水嶋琴美は思わず口籠る。発言を躊躇うなど琴美としては珍しい事ではあった。だが、彼女の懸念は凡そ見当が付いていた。しかし『動き出してしまった』以上、放置は出来ない。だからこそ指令が下ったのだ。
「この男……名の通った貿易商だな、表向きは。それだけに、彼を消してしまえば騒ぎが大きくなる……」
「難しい任務です。単なる密輸団の殲滅なら、普段通りに立ち回れば良いだけなのですが」
 そう、任務自体は難しいものではない。しかしその闇組織を牛耳っているのは、世界的に名を馳せる大商人。無論、裏の世界でもその名は広く知れ渡っている。彼の訃報を耳にすれば通常の貿易業界のみならず、暗部にひしめくマフィアや密輸団などにも影響し、そのシェアを狙い台頭して来る組織は数多あるだろう。
「ともあれ、任務は任務だ。否定は許されない……分かっているな?」
「……了解しました」
 暗澹たる表情のまま、琴美は指令室を後にした。せめて暗殺指令が無ければ……と、任務の真相に潜む難題と向き合いながら。

***

 相手が大手の貿易商なだけに、その足取りを掴む事は容易であった。何しろ新聞やTVニュースを見れば、一日に数回は関連企業の名が目に付くほどの大企業。株式市場にも常に顔を連ねており、その名が消えれば少なからず騒ぎになる事は必至である。
(このトップを消せ、か……それ自体は難しい事じゃないけれど、背後が広大過ぎるのが厳しい。さて、どうしたものか……)
 組織を束ねるこの男は、若くして頭角を現し、数多の重鎮たちを尻目に置き、30代前半にしてトップに上り詰めた実力者。自らが表に出ずとも、目線一つで巨額の金と物が世界中を動き回るほどのビッグネームだ。正攻法で暗殺を企てるのは、如何な琴美といえど自殺行為に等しい。彼を防護するエージェントは、それこそ雲霞の如く各所で目を光らせている筈である。
 しかし、手が無い訳ではない。彼にもプライベートはある、そこを狙えば良いだけの事だ。事実、暗殺とはそのようなタイミングで行われるのが常であり、公的な場でそれを実施した者はほぼ例外なくその場で消されている。
(事故を装うのが最も簡単、しかし無関係な市民を巻き込んでしまう可能性が……これは却下ね、リスクが大きすぎる)
 主題である『化学兵器密輸の阻止』は二の次、彼女の中ではこの男の暗殺の方が大きなウェイトを占めていた。確かに、アクション的には密輸阻止の方が派手になるだろう。だが、その際の相手はほぼ『戦いにならない』レベルの……彼女にとっては、スーパーマーケットでパンを一斤買ってきてくれと言われているのと同じようなものなのだ。
(駄目、隙が無さすぎる……それに、彼は単なる悪人じゃない。表社会でも活躍している、現代経済界の立役者。そんな存在を『消す』……? ふぅ、流石に今回は難しいわね)
 思わず、溜息をつく琴美。然もありなん、ただターゲットを『消す』だけなら何の問題も無い。しかし、今回は相手が悪い。無論、難易度の問題ではない。ターゲットを消す事による、事後の影響が大きすぎるのだ。 
(政治家の汚職、高官たちの袖の下……許せない事は数多ある。しかし、それらを赦す事で社会が回っていると云うのも事実。この事例だって、そんな『舞台裏』の一つに過ぎない……今回の任務、密輸の阻止だけではダメなのですか? 指令!)
 勧善懲悪が全てなら、『正義』に相当する者が『悪』を滅する事で平和は維持できる。しかし、それだけでは割り切れないのが人間社会の難しい所なのだ。琴美にも、自分はその『正義』の側に立っている……その自覚はある。だが単純にそれらを潰すだけで、世直しは成るのか? と問われれば、安易に首を縦に振る事は出来ない。彼女とて大人なのだ。
(差し当たり、密輸の阻止が先決ね。これは何とでもなる……決行は今夜20時、港の沖合に投錨している中型タンカーから、コンテナが運び出される手はずになっている……か。考えてみたら、これもベタ過ぎて怪しいわね)
 指令書に目を通しながら、苦笑いを浮かべる。貨物船ではなくタンカーを利用する辺りも、偽装していますよ的な匂いが強く出ている。密輸のプロが企てる手口としては、あまりに稚拙すぎるのだ。あからさまな罠だろう。
(タンカーはダミーね。本物は別ルートで動いていると見るのがセオリーだけど……万一という事があるわ、網を張っておいて間違いはないわね)
 琴美はそう考えながら、ブラウスのボタンに指を掛けた。スルリと腕を滑り落ちる布地が指を離れると、日本人としては豊満な肢体が露になる。レーダー網を警戒する故、金属は欠片でも身に付けていてはならない。依ってブラジャーも外す事になる。
 体全体を覆うワンピースタイプのインナーを着けた後、ヒップラインをサポートするスパッツを上から被せるように穿く。
 下肢の動きを妨げない為に短めのプリーツスカートを着け、和服を改造し袖を短くカットした上着を帯で固定し、セラミック製のクナイを多数忍ばせる。そのカラーリングは黒で統一され、闇夜に溶け込むよう考慮されていた。足元を保護するブーツも無論黒色で、足音を消し、スリップを防止するため底面に特殊ゴムのコーティングが為された特別製であった。
(親玉が云々は取り敢えず後回し。気にはなるけど、仕方ないわね!)
 長い髪を後ろで纏め、準備を整えると、琴美は再び指令書に目を落とす。が、この時彼女は指令書に重大な穴がある事に気付いた。そう、密輸される物が『化学兵器』とだけ記述されていて、どのような物なのかと云う詳細がゴッソリ抜けているのだ。琴美は即座に指令室へと飛び、詳細を問い質した。しかし運ばれてくる兵器の詳細については一切が不明、という事だった。
「冗談じゃない、一番肝心な事じゃないですか!」
「その情報が全てなのだ……相手は輸送のプロフェッショナルだ、この手の偽装はお手の物だという事だよ」
 琴美は焦燥に駆られた。銃器なのか、BC兵器なのか、そもそも完成形なのか、パーツ単位なのか……そこから調査しなければならないとなると、首領が云々という問題にまで手が届くかどうかも怪しくなってくる。
 もし、輸送されてきた兵器とやらが『即・使用できる』状態であれば不利どころの話ではない。BC兵器であった場合は周辺への被害拡散を防止する策を講じなくてはならない。
「開封される前に押さえろと……そういう事なのですね?」
「時間との勝負になるであろうが、頼む。このミッションを任せられるのは、君しか居ないのだ」
 目を伏せたまま、司令官がそう告げる。褒め言葉も、時と場合を選ばなければ単なる追い打ちにしか聞こえない。今の琴美には、まさに上官の言葉がプレッシャーにしかならなかった。
(18時25分……情報を信じて、埠頭に向かうしか無いわね。別ルートを用意されていたら、後手を踏む事になるけど……)
 護衛の兵隊を制圧する事は容易。しかし、輸送品の如何によってはとんでもない事になる……不利どころの話ではない。それでも彼女は、黙って現地に赴くしかないのだった。

<了>