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<東京怪談ノベル(シングル)>


―『個人』と『組織』・3―

 男は、揚陸艇の甲板で気絶している船員たちを一瞥すると、やれやれと云った感じで肩を竦めた。
「人は見かけに依らないと申しますが……このようなチャームなお嬢さんが、大の男を伸してしまうとは」
「奇麗なバラには棘がある、とも申しますよ。油断大敵、相手を舐めて掛かる方が悪いのです」
 仰る通り……と、男は薄ら笑いを浮かべたまま、桟橋の上で琴美と対峙している。その間に残りの揚陸艇も接舷し、乗員たちが琴美を取り囲む格好となった。しかし首領の男はそれを見て『君達、その頭は只の飾りかね?』と冷酷に言い放つ。
「妨害が入る事は、最初から想定内だった筈。その為に人数を多く割いたのだ、分からないのかね?」
 そう、この積み荷を依頼主の元に届けて、初めて彼らの仕事は完遂されるのだ。流石に貿易のプロフェッショナル、妨害者をどうするかという事より、その本分の方が優先されると判断したようだ。
「申し訳ありませんが、荷を陸揚げさせる訳には参りません。どなたにお届けするのかは知りませんが、それが何をもたらす物なのかは理解できますので」
「これはビジネスでしてね。完遂させなければ報酬が貰えない、そうなると運搬に掛かった燃料費や船のチャーター代、人件費などなど……これらが支払えなくなるので、困る事になるのですよ」
 こうして話している間に、揚陸艇は桟橋を離れ、妨害があった場合の予備集合地点を目指して移動を開始していた。恐らくは闇に紛れて荷を陸揚げし、夜明け前に依頼者の元へ届ける手筈が整っている筈。そして、これだけの大物取引なら依頼者自身がわざわざ港にまで出向く必要はない。トランク一つで事が済むレベルの取引ならば使いの者が出向いて来る事も考えられるが、冷静に考えれば、このような無防備状態を当局に押さえられれば逃げ場は無い。此処は契約締結の場でも、受け取りの確認場所でもない。単なる中継点に過ぎないのだ。ならば手早く揚陸し、場を離れて証拠を隠滅するのが正しい手順と言えるだろう。
「既に陸路は封鎖されています。主要幹線道路は勿論、枝葉の小道に至るまで、全て。つまり、陸揚げに成功しても、積み荷が依頼者の元に届く事はありません。いや、もしかしたら尾行が付いて、依頼者もろとも一網打尽に……」
「ククク……あーっはっはっはっは!! ……いや失礼。我々も舐められたものですな。そのような包囲網、物の数ではないのですよ。揚陸に成功しさえすれば、後は何とでもなる。あまり玄人を馬鹿にしない事ですね」
 陸路の封鎖が怖くない? 此方もプロの仕事なのですよ? と、琴美は首領の自信たっぷりな態度を見て、その理由を推測してみた。無論、目線は彼の目から外さずに。
(偽装? あれだけの大物を、どうやって? あるいは空路……ありえない、陸路より目立ってしまう。第一、発着所が無いし航空機に搭載するにしてもヘリコプターで運べるような量じゃない。一体……)
 分からない。どう考えても、揚陸した積み荷を運搬するのは陸路に限られる筈。なら、包囲網を突破し、且つ追跡を許さない強固な防御網を用意しているのか……? 等々、様々な可能性を思い浮かべてみたが、どれも無理がある。荷を放棄する以外に、逃走の手段は無い筈だ。なのに……
「ふん!」
「!! やはり、大柄な方はモーションの際に隙が出来るようですね。動きが丸見えですよ」
「ええ、分かっています。しかし私は戦闘の専門家ではない……自己防衛のために鍛錬はしていますがね。ですがこうして貴女を足止めする事で、役割は果たした。これがプロの仕事と云うものですよ」
 その言葉に、琴美はハッとなる。つまり、彼らは揚陸を完了し、既に移動を開始したと云う事になるからだ。
「まさか、こんな短時間で!?」
「言ったでしょう、プロの仕事だと!」
 男は背部から棒状の物を取り出し、それが両端からバラリと分割するのが見えた。
(三節棍!!)
 成る程、妨害を覚悟していたならば護身用の武装を用意していても不思議ではない。しかも桟橋は幅が狭く、回避するには前後どちらかに移動するしかない……こういうシチュエーションでは有効な武器となる。
 しかし琴美も負けてはいない。相手が攻撃を繰り出す為には、重心を移動させて勢いを付ける必要がある。つまり、脚の動きに注目していれば、凡そ何処に攻撃が来るかが判断できる。そして更に、脚をクナイで牽制すれば、攻撃にも転じられない。
「一対一の戦闘になれば、私の方に分があるという事ですね!」
「ふん……言ったでしょう? 私は戦闘の専門家では無いと。貴方を足止めできればそれでいい、と……」
 つまり、彼は自らが囮となる事で密輸を完遂させようとしているのだ。確かにハイリスクではある、下手をすれば逮捕されて現在の地位も何もかもを捨ててしまう事にもなりかねない。しかし彼は、敢えてその場に立ち塞がり、琴美を足止めしている。
「私一人を此処に釘付けにしたところで、どうにもなりませんよ? 陸路の封鎖は広範囲に展開していると申し上げた筈です」
「……誰も、この付近で揚陸するとは言っておりませんよ?」
 何!? と、琴美の顔が驚愕に染まる。此処で初めて、男が自信たっぷりに『封鎖は無意味だ』と云った意味が分かったのだ。
「確かに、この場所からの陸揚げが第一のルートでした。しかし、インシデントに対する備えを怠るようでは、プロの仕事とは言えない。お分かりかな? お嬢さん!」
 刹那、三節棍の先端から銃弾のようなものが射出されるのが見えた。しかし、それは琴美を照準してはおらず、彼女の足元を狙って発射されたものだった。琴美はバックステップでそれを難なく回避するが、炸裂した銃弾からは濃厚なスモークが拡散し、瞬時にして彼女の視界を奪っていた。
「私の役割は此処までだ。この広大な洋上で、どうやって彼らを探すのか……とくと拝見させて頂きますよ!」
 男は先刻乗り付けたモーターボートで漆黒の海へと消えた。やがて東の空が白んで来る頃には、沖合に投錨していたタンカーも姿を消していた。
(元より、彼を逮捕する事のリスクは承知していた……密輸の阻止だけが成功すれば、勝利だと考えていた。しかし……)
 洋上に退避路を用意していたという、彼の言が本当ならば捜索は極めて困難となる。しかし船舶は何処かに寄港しなければ、海の藻屑となるのが運命。必ず足取りは掴める……彼女はそう確信していた。

***

 あれから数日。太平洋上を漂流していた船籍不明の大型船舶が海上保安庁によって拿捕された。謁見の結果、船倉から大量の薬物が押収された。しかし船員の姿は無く、内部は無人だったという。
「尻尾を切って逃げた、か……」
「しかし、彼の退路はもう無い筈です。船員とタンカー、これらが本当に消えてしまう筈はない。必ず尻尾を出します」
 あと一歩まで追い詰めた相手に、逃走を許した。これは琴美にとって汚点として残る事となった。元より、ブリーフィングの段階で既に後手を踏んでいたのだ。心理戦に弱い……この思わぬウィークポイントの露見は、琴美にとって克服すべき、大きな課題となるだろう。
(まだまだ未熟、か……)
 19歳。まだ若い彼女にとって、内面的な成長はこれからの鍛錬に期待されるべき処である事に間違いはない。彼女はキュッと唇を噛み締め、TV画面を睨み付けるのだった。

<了>