コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


鏡は時々嘘を吐く
 撫でるような手つきで、女は鏡に触れる。その手は、見ているだけでも寒気を感じ背筋が震えてしまいそうになる程、白く冷たそうだ。まるで、人間ではないかのように――。
 その事を証明するかのように、彼女が触れた箇所から黒いもやのようなものが溢れ出した。それは、さながら漆黒の光。人を呪う邪気。……魔術。魔力を含んだその禍々しい光は、彼女の呼びかけに応えるかのように鏡を通して別の場所へと空間を繋げる。
 鏡の中の彼女の姿がブレていき、フードを被った男の姿へと変わった。その男は彼女が支配している邪教団の支部の内の一つの管理を任されている司祭であり、彼女の忠実なる信者だ。
「そちらの様子はどう? 首尾はどうなっているの? 待ちくたびれちゃったわ」
 退屈そうに唇を尖らせる女に、男は恭しく頭を下げた。けれど、男の口から溢れる声は焦りを孕んでいる。
『申し訳御座いません。なかなか、めぼしい者が見つからず……』
「まったく、役に立たないんだから! あなたの支部は私には不要だったかしら。成果をあげないハリボテなら存在する意味がないわ」
『いえ、そ、そんな……!』
 言外に使えない支部ならば一つ潰したところで問題はないと吐露した女に、慌てて男は首を横へと振る。女は笑っているが、その瞳は夜の海のように冷えきっていた。支部はもちろん、この男の生命すらも彼女にとっては必要なければ使い捨てる程度の価値しかないのだ。
「もう、今回は特別に大目に見てあげるけれど……もう少し頭を使いなさいよ。いい獲物がいないなら、その分数を増やせばいいじゃない」
『つまり、贄の数を増やせと?』
「ゴミのような命でも数が多ければ少しは足しになるでしょう」
 人をさらい自分のために贄に捧げろという残忍な命令を、女は無邪気な笑みを浮かべながら事も無げに命じる。倫理観の狂った彼女を信ずる信徒もまた彼女と同じように心が黒く染まっているのか、あるいは彼女の狂気に侵された彼にはもはや人としての理性など残っていないのか、信徒は迷う事なく頷きを返した。
『仰せのままに。…………なっ、だ、誰だ貴様は!?』
 焦ったようなその言葉を最後に、男の声は突然途切れた。声の代わりに聞こえ始めたのは、何かと何かがぶつかり合う音。そして悲鳴。……戦場の音だ。向こう側で何かが起こった事は明白であった。
 次いで、甲高く耳障りな音が女の鼓膜を揺らす。どうやら、未だ魔術でこの鏡と繋げていたままだった向こうに置いてある鏡が、何者かに割られてしまったらしい。同調し眼前の鏡も割れてしまったというのに、女は笑みを崩す事もせずその場に優雅に腰をかけている。その愛らしい唇からは、くすくすという笑声までこぼれていた。
「……私のかわいい信者ちゃん達、まだまだ未熟者だけれどそれでも普通の人間が敵う強さではないわ。そんな彼らを倒すなんて、ふふ、やっと見つけたかもしれないわね。私を満足させる事の出来る、人間を……!」
 舌なめずりの代わりとばかりに、彼女の長い人差し指が自身の唇をなぞった。まるで、これから食べるご馳走へと思いを馳せるかのように。
「誰だか知らないけれど、待っていてね。私が、楽しく、美味しく――殺してあげる」
 彼女の瞳は、ようやく見つけた獲物への期待に染まり爛々と輝いていた。

 ◆

 すらりと、長く伸びた美脚が絡みとるかのように男の体へと回し蹴りを食らわせる。
「貴女様がこの支部の司祭ですわね?」
 その言葉は、質問ではなく確認だ。彼女は自らが所属する組織の優れた調査力により、この支部について調べあげてきている。故に、たとえ相手から返事がなくともあまり支障はなかった。肯定も否定もせず、壁へと叩きつけられた痛みに男が呻いてるのを見やりながら、彼女は次の攻撃の構えをとる。司祭は慌てて、周囲にいた部下達に指示を飛ばした。
 支部にいた信徒達は、突然美しき女が襲撃してきた事に動揺していたものの、司祭の指示にハッと我に返り彼女へと反撃しようとする。男達の手から放たれるのは漆黒の魔術。この邪教を信ずる事により、人でありながらも悪魔の力を彼らは操る事が出来るようなったのだ。
 けれど、その魔術は彼女のきめ細やかな肌には届かない。
 ふわり、と、この戦場には場違いな程に優雅に、彼女のまとったシスター服の裾が揺れる。スリットから覗くニーソックスに包まれた足は目が眩みそうになる程にまばゆく、それでいて華麗な動きでステップを刻んだ。
 ただ、攻撃を避ける。それだけの動作のはずなのに、彼女がやるとまるで舞台上で演じられる美しいお伽話のように穢れがなく優美だ。
「ふふ、当たりませんわよ」
 彼女は、この場所が戦場だという事を忘れてしまいそうになる程に余裕を孕んだ笑みを浮かべている。その自信に満ち溢れた表情が、ますます彼女を魅力的にさせていた。
 人に仇なす魑魅魍魎や組織をせん滅する事を主な目的とした、秘密組織。「教会」
 そこに所属する武装審問官、戦闘シスターである彼女は、思わず見惚れてしまいそうな程の美しさを持ちながらも、他者を圧倒する強さも持っている。
 名は、白鳥・瑞科。「教会」随一の実力を誇る瑞科に、支部の信徒達はただただ翻弄されるしかなかった。
 信徒達は、それでも、あるものを守るように瑞科の前へと立ちふさがる。
 信徒が守ろうとしているもの。それは支部にある祭壇であり、そこに飾られている美しい女の彫像だ。
 露出の高いシスター服を着た女の彫像は、ところどころに赤色で模様が描かれていた。その赤色からは、仄かに血の香りが漂ってきている。塗料の正体が何かについて、深く考えないほうがいいだろう。
 赤に彩られた修道女の彫像。不気味なのは、模様だけではない。彫像の背中には、修道女に似つかわしくないものがつけられていた。
 それは、禍々しさを感じる程にどす黒い、巨大な翼であった。
 血に染まり、黒い翼をはやし、それでもその顔に刻まれている表情は無邪気な笑み。そのアンバランスさが、ますます狂気を醸し出していた。
 美しくも残忍な女悪魔――サキュバス。彼女こそが、邪教団を支配している者であり、この彫像のモデルとなった者だ。
「全く、趣味が悪いですわね……」
 瑞科は溜息を吐き、再び武器を構える。
 女悪魔の支配する邪教団。支部も含め、その全てをせん滅するのが、今回の瑞科の任務だ。悪趣味な彫像に憂鬱な気分になったとしても、彼女がその足を止める事はない。
「さて、覚悟はよろしくて? わたくしが、本当のシスターがどんな者か、教えてさしあげますわ」
 彼女は生き残っている信者達の顔を一つ一つ丁寧に見やり、笑みを浮かべる。それは、悪魔の彫像とは対象的な、まさに修道女に相応しい天使の如き微笑みであった。