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イケメンハンター、追憶と再会
緑色に輝く瞳は、まるでエメラルドが、悪しき生命を宿したかのようである。
その眼光が、城壁の上からレイチェル・ナイトを射竦める。
トランシルバニア地方の、とある古城。
その中庭にレイチェルは立ち、城壁の上の男と睨み合っていた。
「やるな、小娘……」
エメラルドグリーンの眼光を放つ、その男は言った。
すらりと優美な長身を、豪奢な貴族の衣装に包んだ男。年齢は、20代後半から30代の始め。外見通りであるならば、だ。
ニヤリと不敵に歪む、その顔は、凶悪で猛々しく、そして美しい。
「単なるサーヴァントに、ここまで手こずらされるとは思わなかったぞ。褒めてやっても良い、が……まさか、とは思うが貴様、俺に勝てると思っているわけではあるまい?」
微笑む口元で、キラリと鋭利な光を放つものがある。
鋭い、牙。吸血鬼の証であった。
「健気な頑張りに免じて、命だけは助けてやろう。さあ、そこをどけ……貴様の後ろにいる、その男。そやつの命だけは、気の毒だが見逃してやるわけにはいかん」
吐血で汚れた唇を噛み締めたまま、レイチェルは剣を構えた。悪を討つ、聖なるレイピア。
命尽きるまでこの剣を振るい、守り抜かなければならない人がいる。
レイチェルの背後で、石畳に片膝をついたまま立てずにいる、1人の神父。
「そこを……どきなさい、レイチェル……」
城壁の上の吸血鬼と、同じ事を言っている。こふっ……と血を吐きながらだ。
「あの男とは、私が決着をつけなければなりません……串刺し公の後継者たる、あの男とは」
「無理……無理よ、マスター……早く、逃げて……」
レイチェルも神父も、傷を負っている。レイチェルの方が、いくらかは軽傷だ。
傷の軽い者が、重傷者を守る。当然の事であった。
「ふん、ならば2匹まとめて死ぬが良い……」
緑眼の吸血鬼が、優雅に片手を掲げる。
その手首から、鮮血が噴き出した。そして荒波のように、あるいは炎の如く、禍々しくうねった。
紅蓮の炎にも似た真紅の波濤が、城壁上から中庭へと押し寄せる。巨大な、赤い怪物と化しながら。
吸血鬼の禍々しい血液で組成された、それは真紅の竜であった。
スズメの鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間から、早朝の光が差し込んで来る。
呆然と、レイチェルは目を覚ましていた。
「マスター……」
ベッドの上で上体を起こしながら、ぼんやりと呟く。
また、あの夢を見た。西暦1700年代の、ヨーロッパにおける戦い。
夢の中で、心の中で、あの神父はまだ生きている。
それを思うと、涙が出て来た。
「マスター……ごめんなさい、マスター……」
真紅の瞳が、うるうると涙の中に沈む。
「あたし、マスターの事……忘れたわけじゃ、ないんです……マスターの生まれ変わり、絶対に探し出して見せます……」
レイチェルは涙を拭った。
「だけど、その……手の届きそうな所に今いるイケメンも、放っておけないわけで……」
たった今、夢に出て来たばかりの面影を押しのけるようにして、1人の青年の顔がレイチェルの脳裏に浮かび上がった。
あの吸血鬼と同じ、緑色の瞳。少年のような顔立ちは、20代の男性に対してはいささか失礼ながら、可愛いとさえ言える。
出会ったのは数日前、人ならざるものとの戦いの最中においてだ。
「あたしのバカ……何で、脅してでも名前とかアドレスとか訊いとかないのよう……」
IO2関係者である事だけは、わかっている。
もう1度会うには、どうすれば良いか。
「要するに……あれよね……」
朝のお祈りも忘れているまま、レイチェルは邪な思案をしていた。
「IO2の人が出て来るような事件……起これば、いいわけよね……」
真紅の瞳と金髪。修道服を着た、若い白人の女。
IO2日本支部の掴んでいた情報は、それだけだ。
その女が、複数の部下を使って、何かをしているらしい。
関係があるのかどうか現時点では不明だが、5〜6歳くらいの子供が何人も、この近辺で行方不明になっている。
現場に遭遇する事が出来たのは幸運だった、とフェイトは思った。
「ひ……や、やめて……やめてくれよう……」
男が1人、コンクリートの床に這いつくばったまま怯えている。
一見、単なる不良かチンピラの類である。
この男がしかし、子供1人をさらって脇に抱えたまま、屋根の上まで跳躍した。フェイトの目の前でだ。
子供は、その場で救い出す事が出来た。
逃げる男を追って、フェイトはここまで来た。
広大な廃屋である。元々は倉庫か、あるいは工場であったのか。
「何だ……何なんだよ、おめえはよぉ……」
「それは、こっちの台詞なんだけどな」
ゆらりと右手を掲げたまま、フェイトは男に歩み迫った。
この右手に念動力を宿し、拳あるいは手刀を叩き込んだ。男の体内では何箇所も、複雑骨折と内臓破裂が起こっている。手応えで、それはわかる。
人間であれば動く事も出来ないであろう状態で、しかしこの男は、ここまで逃げて来たのだ。
「助けてくれ……お、俺ぁただ命令されただけなんだ……5歳くれえのガキどもを、さらって来いってよォ……」
「誰の命令なのかってのを訊いている。さっきから何回も」
言いつつフェイトは、男の髪を左手で掴んだ。
微かな悲鳴を漏らす男の口元で、ギラリと牙が光る。
「吸血鬼……か」
フェイトもこれまで、何度か戦った事のある者たちである。
「お前を吸血鬼にしたのは……金髪で赤い瞳の、白人のシスター?」
「な……何で、知ってやがる……」
吸血鬼になって日が浅いと思われる男が、あっさりと口を割った。
「俺、騙されたんだ……好き勝手に面白おかしく生きてけるだけの力をやるからって、あの女によぉ……」
「で、もらったわけだな。雑魚吸血鬼としての、中途半端な力を」
その中途半端な力を、この男に与えたのは誰なのか。
真紅の瞳、金色の髪をした、白人のシスター。
そう聞いてフェイトが思い浮かべるのは、数日前に出会った1人の少女である。八岐大蛇の眷属たる怪物を、たちどころに切り刻んで見せた異国の退魔業者。
確かレイチェル・ナイトと名乗っていた。
彼女であれば、下級の吸血鬼を複数、力で従えて悪事を働く程度の事は容易であろう。
「へ……中途半端な強さで調子こいてんのぁテメーも同じだぜえ」
フェイトに髪を掴まれたまま、男が態度を急変させる。
その言葉の意味は、すぐに明らかになった。
取り囲まれている。
フェイトの周囲で、この男と同じような風体の吸血鬼が十数体、牙を剥いていた。
「おめーはなァ、誘い込まれたんだよ! 俺らのホームになあああ!」
叫ぶ男の頭から手を離し、フェイトは跳躍した。飛びすさった。
とてつもなく剣呑な攻撃の気配が、襲い掛かって来たのだ。
「さあ、やっちまいなぁおめえら! ノコノコ俺について来やがった、このバカをよォー!」
喚きながら、男は砕け散った。
ズタズタに、切り刻まれていた。突然、襲い掛かって来た光によってだ。
閃光の鞭。言葉で表現すれば、そうなる。
「バカはあんた……IO2のエージェントに、ここを突き止められるなんて」
女の声。
優美な人影が1つ、光の鞭を揺らめかせながら、そこに佇んでいる。
身にまとっているのは修道服で、ベールからは、艶やかな金髪が溢れ出していた。
右手に握られているのはレイピア。細身の刃の輝きが閃光と化し、物理的な殺傷力を宿しながら、鞭の如く伸びたところである。
ベールの下では陰影が生じており、顔はよく見えない。端正な輪郭と、そして真紅に輝く眼光だけが見て取れる。
彼女がレイチェル・ナイトであるのか。それよりも先に、確認しなければならない事がある。
十字架だ。
いくつもの十字架が、シスターの周囲に立てられている。
子供たちが、イエス・キリストの如く磔にされていた。全員、意識を失っている。
「……その子たちを、どうするつもりかな?」
「捧げるのよ」
フェイトの問いに、シスターが誇らしげに答える。
「偉大なる串刺し公の末裔が、この国にお生まれになった……私たちは今、その御方をお捜し申し上げているところ」
「その末裔とやらは今、5歳くらいの子供なんだな」
緑色に輝く瞳を、フェイトは捕われの子供たちに向けた。
「つまり、その子たちは人違いってわけだ。連れて帰っても問題ないよな?」
「言ったでしょう? 捧げると……串刺し公の末裔に、この子たちの血を」
シスターが、牙を剥いて微笑んだ。
「末裔たる御方は今、人の身にてあらせられる。吸血鬼として……我らの帝王として、目覚めていただかなければならないのよ。邪魔はさせない!」
レイピアが、子供の1人に突きつけられる。
「動かないで、IO2エージェント。大切な生贄だけど……1人くらいなら、死んでもいいのよ?」
「お前……!」
懐から拳銃を抜こうとしながら、フェイトは動けなくなった。
そこへ吸血鬼たちが、迫り寄って来る。
シスターが、彼らに命令を下した。
「さあ、その男を切り刻んでおしまい!」
叫ぶシスターの右手から、レイピアが叩き落された。
横合いから、光の鞭が一閃していた。
「なぁるほど……あんたと間違えられてたのね、あたしってば」
シスターがもう1人、いつの間にか、そこにいた。
たおやかな右手で、細身のレイピアが揺らめいている。
「IO2の人たちが、やけに喧嘩腰で絡んでくるから……ま、IO2関係の事件を追っかけてたのは、あたしだけど」
可憐な美貌が、フェイトに向かってニコリと微笑む。
「貴方に会うためよ? イケメンヒーロー君」
「レイチェル・ナイト……」
再開を祝している場合でもなく、フェイトは左右2丁、拳銃を引き抜いてぶっ放した。
フルオートの銃撃嵐が、吸血鬼たちを片っ端から粉砕する。
その間、2人のシスターが睨み合う。
「いるのよねぇ……中途半端にバンパイアハンターやってるうちに、いつの間にか吸血鬼になっちゃう奴」
溜め息混じりに、レイチェルが踏み込んで行く。
形良い太股が、修道服の裾を割り開く。
「もちろんマスターの足元にも及ばないけど、一応は本物のハンターの力……しっかり味わってね」
「小娘……! 串刺し公の末裔が、お目覚めになれば! お前なんかああああああああ!」
絶叫と共に、女吸血鬼は砕け散った。
本物のバンパイアハンターの刃に、切り刻まれていた。
子供たちは全員、救助・保護された。
「一瞬でも疑って、悪かったと思う。ここは俺がおごるよ」
フェイトは言ったが、しかしレイチェル・ナイトは最初から、おごらせるつもりであったのかも知れない。あっという間にケーキを平らげ、今は紅茶を堪能している。
「い〜ぃお店知ってんじゃない、フェイト君。デートなんかで、しょっちゅう来てんじゃないのォ? いろんな女の子取っ替え引っ替えしてぇ。ああん、あたしも日替わりイケメンとか揃えてみたいっ」
「……1人でしか、来た事ないよ」
フェイトは一口、アメリカンコーヒーを啜った。
知り合いの経営している喫茶店である。他人をもてなすような場所を、フェイトは他に知らない。
「まあでも確かに、女の子連れて来る場所じゃないかもね。店長さんも店員さんもイケメンで、んもうデートどころじゃないっつうの」
そんな事を言いながらレイチェルが、喫茶店のマスターに熱い視線を注いでいる。まるでハリウッド俳優のような、白人男性の店主。
「ん〜、眼福至福……あれ、でもあの店長さん……どっかで見たような……」
「……一応言っとくけど、手を出したりするなよ。奥さんも子供もいる人なんだから」
そんなフェイトの言葉を、レイチェルはしかし聞いていない。
「あいつ……!」
何やら、血相を変えている。
「ど、どうした?」
「……いえ、何でもないわ。そうよね、そんなはずない……」
レイチェルが、謎めいた事を呟いている。
「あいつは……マスターとあたしで、倒したんだから……」
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