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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に唄う者 謳われる者―前編

静けさが支配する闇色の森。穏やかにひそやかに波紋を描く泉。
その上に悠然と浮かぶのは、黒いマントを羽織った―あの地下鉄で瑞科を見ていた―影。
足元で同じリズムで波紋を描く水面に映し出されているのは、傷ついた人々を救助し、保護する『教会』の戦闘部隊隊員たち。
その彼らを片隅から腕を組んで見守る立役者―『教会』の誇る最強の武装審問官、白鳥瑞科の姿。

「実力は見せてもらったよ、白鳥審問官。ま、本気じゃないんだけどさ」

つまらなそうにも感じる影の声は若干高く―声変わりしたばかりの少年を思わせた。

「でも貴女は、このゲームのプレイヤー、主役キャラなんだ。まだまだ遊んでもらわなくちゃ」

そうでなくては困るんだよ。
面白がるような少年の声が波紋と重なって、緩やかに響き渡った。


デスクに積み上げられた報告書の山とパソコンに送信されてくる報告を見比べ、たどり着いた結論に司令は眉間に深いしわを刻んだ。
儀礼だが、もっとも効率の良いカソックの襟元を正し、額を組んだ両手で支えながら、深く息を吐き出した。
先日、とある都市の一帯に突如として出現した悪魔や魔物の軍勢によって一時占拠された。
かなりの人々が取り残され、『教会』は迎撃部隊のほかに救援部隊を派遣し、事態の収束を図った。
だが、予想以上の魔物たちの数だけでなく、中級どころか上級悪魔までいるとの報告で、派遣した部隊では手に負えない。
初期対応で完全に出遅れたことを重く見た司令は『表』の仕事に専念していた白鳥瑞科異端審問官を緊急で呼び出し、排除に向かわせざるをえなかった。
結果、瑞科の活躍によって、紛れ込んでいた第一級の上位悪魔・アバドン排除に成功したのだが、『教会』上層部が皆、戦慄を覚えた。
あれほどの数の悪魔や魔物のみならず、上級悪魔を易々と呼び出したうえに制約まで与えた者がいたということに、だ。
何の意図があって、あれだけの騒ぎを起こしたか。
単なるデモンストレーションだとすれば、また第二、第三の事件が起こりえない。

―黒幕を見つけ出して、叩くしかないか。だが、手掛かりが……

明晰な指令が頭を悩ます理由はそれだった。
局地エリアに大量の悪魔・魔物を召喚し、その行動に制約をかけられるほどの力を持ち合わせているのは確かだと言うのに、全く手がかりがないのだ。
『教会』の誇る諜報部隊が形無しになるほど、毛筋も痕跡が見つからない。
笑い話ではないが、本当にお手上げの状態だ。

「司令、先日の件でお話があると伺いましたが」
「白鳥審問官か……忙しいところ、すまんな」
「だいぶお疲れのようですが、どうかなさったんですか?司令」

疲労の色を濃くにじませる司令に瑞科は気遣わしげに言葉をかける。

「まぁ、少しな……先日の悪魔大量発生事件では、ご苦労だったな、白鳥。アバドンまで出張ってくるなど、こちらの予想を随分と上回ってくれたからな」
「いえ、大丈夫でしたわ。お気遣いなく……それよりもお聞きになられたいのは、彼らを召喚した者、についてですね?」
「察しがいいな、白鳥。正直なことを言うと、召喚者の手がかりが全くない。諜報部隊がお手上げになってる状態でな……戦ったお前は何か気づかなかったか?どんな些細なことでも構わない」

珍しく切羽詰った様子の司令に何かないかと、瑞科は記憶の糸を手繰るが、召喚者につながる手がかりになりそうなものは思い当たらない。
まるで全てを高みから眺める超越者か何かか、と思ってしまうほど、その存在が全く見えない。
あらゆる目と耳をもつ諜報部隊がつかめないのに、自分がどうにかできるかとは思えなかった。

「すまん、白鳥。もう気にしなくていい。地道に調査を続けさせるしか……」

眉を下げ、困惑した瑞科の姿に司令が片手をあげ、生死をかけようとした瞬間、荒っぽい音を立ててドアが開けられ、息を切らせた諜報部隊員2名が飛び込んできた。

「失礼します、司令!」
「何事だっ!」
「ご無礼をお詫びします。ですが、『教会』の全パソコンにメッセージがっ!!」

鋭く一喝する司令に一瞬尻込みしかけるが、自らの仕事への意識からか、何とか踏みとどまり、本部全体で起こっている異常事態を伝える。
さっと顔色を変え、わずかに遅れる司令に代わり、瑞科は停止していたパソコンを立ち上げる。
機動音を立て、ディスプレイに表示させるOSのロゴ。
数秒と待たずに、アイコンとシンプルな壁紙の画面が表示される。

「わ、ワークシステムの中にあるメッセージです。先ほど報告書を送信しようとしたところ、突然」

ようやく息が整ったらしいもう一人の隊員が説明すると同時に、『教会』本部内専用のネットワークシステムの画面が立ち上がると、底には見たことのない―SD化させた中世の道化師姿のキャラクターが踊っていた。

「これは?!!」
―『教会』の皆々様に申し上げる。前哨戦の勝ちに敬意を払おう……さて、新しいゲームの始まりだ

ふてぶてしく、だが楽しそうに画面上の道化師は恭しく一礼すると、身軽な足取りで踊り出す。

「さあさあ、第二のゲームの始まりだ♪聞き漏らせば、大変だ。第一ゲームの比ではない、もっと多くの犠牲が出るから気を付けて」
「ゲームですって!!」
「どこから侵入してきた!セキュリティ担当チームは何をしている?」
「今、全力で対応しています。それよりも、これは挑戦です。聞き漏らせば、さらなる危機を招きかねません!」

怒号にも似た声で叫ぶ司令。慌てふためきつつも、冷静に告げる隊員たち。
そんな彼らを横目で見ながら、瑞科はくるくると踊る道化師の言葉を待つ。

―お祭り、お祭り、大祭だ。四方八方、人だらけ。お陰で俺たち道化師は大仕事。前以上の大呼び出しに大混乱♪獣たちは天国さ♪さあさあパーティ開始の音が聞こえる。御呼ばれした人は早くおいで。ケーキがなくならないうちにね

ふざけた台詞だが、それが意味することを悟ると、司令は頭を掻きむしった。
『前以上の大呼び出し』が示すのは、前回の事件以上の悪魔・魔物の召喚。『天国』は無秩序に暴れ回る獣や魔物にとって、を意味する。
手の込んだ宣戦布告に司令の怒りが頂点に達した。

「おのれっ!!我ら『教会』をなめおって!!場所の特定はまだ……」
「解析ができました。ここから南南西に40キロ離れた都市で、現在、カーニバルの最中だそうです。やつらはここを狙ったのか、と」

瞬時に冷静さを保った司令は即座に手を打つべく、後ろにいた瑞科に命令を出そうとして―そこに誰もいなかった。

「白鳥審問官ならば、目的地に急行されました。今ならまだ間に合うかもしれない、との事です」
「さすが……というべきでしょう、司令。救援部隊の派遣準備を急がせます」
「……任せよう。だが、一体何者がこんな真似を……」

流れるような手際の良さに、舌を巻くと同時に司令は安堵したのか、革張りの椅子に座り込み、わずかに脱力するも、すぐに表情を引き締めた。
そんな司令に諜報部隊員は肩を竦め、席を辞した。
第一段階で遅れは取らなかった。むしろ上々の出来だろう。
問題はこれから先なのだが、諜報部隊員たちはそれほど悲壮な表情はしていなかった。
最強の審問官・白鳥瑞科が動いている、という安心感だけでなく、手練れの部隊も育っている。
それほどひどいことにはならないな、と諜報部隊員たちは分析していた。


「危険なことになりそうですわね」

不意に口をついて出た言葉に瑞科は苦笑しつつも、その目は鋭く厳しい。
送り付けられたふざけたメッセージは即座に解析がついたが、この道化師を操る者の頭脳に舌を巻いていた。
一見、『教会』を馬鹿にしたようにも見えるが、瑞科の考えが正しければ、あれは『宣戦布告』だ。
どうにか抑え込めればいいのだかけれど、と編上げの白いロングブーツに包まれた右足で、現場へ向かうために乗り込んだ愛車のアクセルを強く踏み込む。
長い戦いの始まるに瑞科は冷やかな眼差しを変えることはなかった。

「さあ、ゲームの始まりだ。どちらが勝つか、楽しみだな」

現場に急行する瑞科に目をつけた。
彼女はすでに疑いをもっている。滅多なことではやらせない。
だが、このまま庇護するのは面白くない。
マントをひるがえし、次の手を考える影はひどく楽しそうに見えた。