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怪物への道
藤原秀郷の伝説に登場する大百足もかくやと思わせる、巨大な怪物である。
山を七巻き半、は大袈裟にしても列車数輛に匹敵しうる巨体が、今はぐったりと野晒しになっていた。
研究施設の近く、山中のいくらか開けた場所である。
完全に動きを止め、今や列車の残骸のようになっている大百足の上に、その少年は立っていた。
藤原秀郷を思わせる偉丈夫、ではない。美少女にも見えてしまう、細身の少年だ。
その細い身体を、学校制服のような黒衣に包み、両眼を青く炯々と輝かせている。
この少年が、俵藤太よろしく大百足を退治してしまったのだ。
殺されてしまったのか。
それならば仕方がない、と奈義紘一郎は思う。所詮、この少年に殺される程度の怪物でしかなかったという事だ。
それでも、予想外の作品であったのは事実である。
「が……A7の小僧あたりに制圧されているようでは、まだまだか」
「……あなたに、そんな言い方をされる筋合いはないな」
巨大な死骸と化した大百足の上から、青霧ノゾミがじろりと眼光を向けてくる。
いや、辛うじてまだ死骸ではなかった。
節くれだった巨体。その節々を凍らされて動く事も出来ぬ状態のまま、怪物は声を発した。
「お……お前になど、用はないのだ小僧……」
列車の残骸のような大百足の、どこに発声器官があるのかは不明だ。
「我が主は……私の神は、どこにいる……わかっているのだろうな! 貴様らには、我が神の御ために……力を尽くす、義務が」
「黙れ化け物……!」
ノゾミの両眼が、青く燃え上がった。
細い全身から、冷気が立ち上る。
少年の周囲に、霜となる寸前の、冷たい霧が生じていた。
「この無様な図体! キラキラ綺麗なダイヤモンドダストに変えられたくなかったら、少し黙っていろよ!」
「ふむ……怒り狂っているようだな、小僧」
僅かな顎髭を片手で軽く弄りながら、奈義は言った。
「理由は察しが付く。まあ安心しろ小僧……奴はな、あのような小娘に手を出す男ではない」
A7研究室の主任が現在、1人の少女を治療している。
治療、以外の事をするような男ではない。それは青霧ノゾミとて、頭ではわかっているはずなのだ。
それでも抑えてはいられない感情で、青い瞳を燃え上がらせながら、ノゾミは奈義を睨んだ。
「あなたにも言える事だよ奈義先生……少し、黙っていて欲しいな」
「ほう、黙らなければどうする。俺を凍らせて打ち砕き、ダイヤモンドダストに変えてみるか?」
奈義は、微笑を返した。
「いいぞ、やってみろ。お前たちがその気になれば、我ら人間などひとたまりもない。痛快な話ではないか」
自分たちの作り出した怪物に、惨たらしく殺される。科学者としては、むしろ誇るべき死に様である。
だが残念ながら青霧ノゾミは、奈義紘一郎の作品ではない。
奈義の作品と呼べるのは、踏みつけられている大百足の方だ。
こちらもまあ、思った以上の出来ではある。
「屑のような素材と思っていたが、存外そうでもなかったようだな。なかなかの怪物に仕上がってくれた……俺に使われてこそ、だがな」
「我が神を……」
死にかけている大百足が、言葉を発した。
「貴様ら、わかっているのだろうな……私が何のために、あの少年をここへ連れて来たのか! 貴様たちはな、あの少年を助けなければならんのだぞ!」
「怪物が、あまり人間の言葉をまくし立てるものではない。化け物としての格が下がる」
奈義は言った。
「つまらんお喋りが出来ないようにしてみるか。人間の言葉を失えば、お前は怪物として、さらに完璧に近いものとなる」
「貴様……」
「発声器官を切除されたくなければ黙っていろと、そう言っているのだ」
もはや死に体と言うべき状態の大百足を、奈義は見据えた。観察した。
ここまで巨大な怪物への変化を成し遂げるとは、奈義にとっても想定外であった。
ウィスラー・オーリエが、独力で行った変身ではあるまい。
あの『実存の神』と呼ばれる少年の力が、間違いなく作用している。
「実存の神か……あれも、なかなか興味深い怪物ではあるがな。残念ながら俺ではなく、あの男が持って行ってしまった。まあ奴に任せておけば、少なくとも成す術なく廃棄処分という事はあるまい。実存の神などという有難い存在ではない、何だかよくわからぬものに作り変えられているかも知れんがな」
「……それでも……構わん……」
大百足の声が、弱々しい。
奈義の思った通りではある。このような変身が、なんの代償もなく無制限に実行出来るわけがないのだ。
ウィスラー・オーリエは、消耗し尽くしている。
この巨体を維持するには、凄まじいエネルギーが必要なのだ。
今はA7研究室で治療を受けているはずの、あの少年と少女よりもウィスラーは今、いつ死んでもおかしくない状態にある。
だから青霧ノゾミに、あっさりと倒されてしまったのだ。
倒されながらも、ウィスラーは言った。
「頼む……あの少年を、助けてくれ……」
「ほう」
愛情友情の類ではあるまい、と奈義は思った。
「自己満足だな。ドゥームズ・カルト大幹部として、最後まで本尊を守り抜いたという」
「何とでもほざけ……大幹部として、出来る事が……私には他に……何も、ないのだ……」
列車の残骸を思わせる、死にかけの大百足。その全身がビキビキッ……と、ひび割れてゆく。
脱線車輌の如く横転し、腹部を見せている巨体。その腹部に、亀裂が集中している。
乾いた音が、響き渡った。亀裂が、弾けていた。
大百足の腹部で、外骨格が破裂していた。臓物が、どろりと溢れ出す。
いや、それは臓物ではない。
羊膜のようなものに包まれた、人体である。
奈義は歩み寄り、羊膜に似たものを素手で引き裂いた。
理系の人間にしては体格の良い奈義よりも、格段に筋肉の薄い、白く貧相な男の身体が現れた。
若い、金髪の白人。
辛うじて生きてはいる。うまい具合に、意識を失っている。
このままA2研究室に持ち帰り、好きなように改造する事が出来る。
「人間をやめているくせに、人間の心を捨てきれぬ愚かな男よ……だがな、その人間の心が、さらなる怪物への進化を促す事もある。興味深い事実を証明してくれたな、ウィスラー・オーリエ」
ぐったりと動かぬ白人の男を、奈義は荷物の如く担ぎ上げた。そして歩き出す。
「今のところ、お前はまだまだ有望な実験体だ。待っていろ、そこの青霧シリーズに負けぬ程度の怪物には仕上げてやる」
「何がシリーズだ……そんな呼び方をされる筋合いもない!」
さらさらと崩れゆく大百足の屍から、ひらりと敏捷に飛び降りつつ、ノゾミが叫ぶ。
振り向かず、奈義は応えた。
「図に乗るな青霧ノゾミ。貴様など、まだまだ十把一絡げなシリーズ物の一構成員に過ぎんのだよ。大きな口をききたいのならば、せめてこやつと戦って勝って見せろ……消耗しきった怪物ではなく、俺の手で完璧な兵器に仕上がったウィスラー・オーリエとな」
「上位研究員から、ボクたちホムンクルスへの命令なら……仕事として戦えと言うのなら、いいよ戦ってあげる」
言葉と共に、青く冷たい眼光が、奈義の背中に突き刺さって来る。
「ボクは、何とだって戦って見せる! そして証明するんだ。先生を守れるのは、ボクだけだって!」
ノゾミの言う先生とは無論、奈義紘一郎の事ではない。
「そのムカデ男はもちろん、あの緑色の目の男にも! 片目の女にも! クナイの中年男にも! ボクは負けない、誰が来ても先生を守って見せる!」
(それでいい……あの男に、思い知らせて見せろ)
心の中で、奈義は言った。声に出して伝える事でもない。
(ホムンクルスは、人形や愛玩動物などではない……怪物なのだと、生きた兵器なのだとな)
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